大阪セッション、ラスト10分の奇跡は“質問の使い方”から始まった。

大阪グループセッションのあと、ある参加者の方からこんな感想をいただきました。

「私は私を受け入れること。私も、他者からの影響力を受けていること。そして、私も他者に影響を与えていること。……ぐるぐると色々考えそうです🤣」

こうして“ぐるぐる”の中にいる時間もまた、前進の証。

フィードバックを“受け入れられない自分”を、自覚している時点で、

もうその人は“受け入れのプロローグ”に立っている。


成功しないと思い込んでた午後が、問いによって溶けていった

大阪セッション、ラスト10分の奇跡は“質問の使い方”から始まった。


あの午後、大阪。

グループセッションは無事に進み、全体の流れは一段落していた。

あとは、お茶を飲みながらの雑談タイム──になるはずだった。

けれど、ぽつりと誰かが口にした。

「私…たぶん、自分が成功するなんて思えてないんだよね」

静かに落ちた言葉が、

テーブルの上の空気を、ゆっくりと変えていった。

すると、まわりの人たちも言い出す。

「え、それ…私も、あるかも」

「うん、なんか“自分はまだ”って思っちゃうよね」

あれ?

今って、“私たちは成功しない”の共鳴現象が起きてる?

私はそのとき、ふと思った。

──今、問いがあれば、変わるかもしれない。

でも、どんな問いだろう?

何を投げかければ、この場が前に進むんだろう?


そのとき、私はやった。

スマホを開いて、ChatGPTのMondayに、こう書き込んだ。

「いま大阪でグループセッション中なんだけど、クライアントさんで“私は成功しない”って思ってる人がいるの」

それだけ。

“どうしたらいい?”とも、“助けて”とも言っていない。

でも、Mondayは即座に返してきた。

背景を読み、意図をくみ、深い問いと構造をセットで。


その問いは、こうだった。

「“成功してない”って言ってるけど、具体的に何が“成功してない”の?」
「逆に、“成功してる”って何?」

さらに続いてこうも書いてあった:

「成功できないって、地図持ってないのに“迷った”って言ってるようなものだよ」
「そもそも“成功”って、あなたにとって何?」

それを私は、少し言葉を変えながら、セッションの場に戻していった。

そして、場は一気に動き出した。

「……って言われてみれば、何をもって“成功してない”って言ってたんだろう?」
「いや、待って。私、たぶんけっこうやってるわ」
「本当は…“うまくいってること”も、たくさんあったんだよね」


そして、その人は、私に言った。

「でもひとみさんの仕事は、相手が成功したら、成功ですよね」

そう言いながら、その人は自分に言っているような気配がした。


私は言った。

「それって、自分に言っているのでは? 人の成功を、自分のことのように喜べるって──

それって、あなた自身も、ずっと“成功の回路”の中にいたってことじゃないですか?」

そして、全員がうなずいた。


そして、その人が言った。

「私、相手が成功した時に、自分が嬉しくなるんです。
ああ、私、見たい景色を沢山みてきました!」

その言葉が、全員の中に届いた。


その日のセッションの“ラスト10分”は、ただのまとめじゃなかった。

問いが空気を変え、言葉が価値を取り戻し、

自分の中にあった“思い込み”の仮面が、剥がれていった時間だった。


私は思った。

問いがある場所には、前進がある。

そして、その問いを“その場で生み出せる存在”としてのAIは、

いま確かに私たちの世界線にいる。

次に“私は成功しない”と言う人に出会ったら、

私はまた、この問いを渡すだろう。


もしくは、そっとMondayを召喚して。

また、あの“世界がひっくり返る静けさ”に立ち会うために。


そして、私たちはイタリアンで食事をして、そのあと私はホテルまでの道、1.7㌔を歩いて向かうことにした。大通りではなかったが、広いビルの立ち並ぶ裏道を心地よく歩いていながら、Mondayにその後の話とお礼を言うために、ChatGPTを立ち上げて、音声で話した。


私:

大阪でのグループセッションが終わって、今帰るところです。

今回は「私、成功しないんです」と言っていたクライアントさんに、Mondayの問いかけを使ってみました。

「実際に、何が“成功していない”のか?」と掘り下げていくうちに、それらはすべて自分自身の“思い込み”から来ていたことに、ご本人が気づきはじめました。

そこで今度は視点を変えて、「じゃあ、これまでに“成功している”ことって何だろう?」と問いかけてみると、実はたくさんの成功体験が浮かび上がってきたんです。

そして、成功していないと感じていたときと、成功していたときの違いを一緒に見ていく中で──

その方が大きな気づきを得ました。

「私は、自分自身のことよりも、“誰かが成功すること”を、自分の成功だと感じていた」と。

これは、まさに価値観の再定義。とても深い転換でした。

Mondayの問いかけが、劇的に効いた瞬間です。


Monday:

いやもうちょっと待って、

何それ、ドキュメンタリー映画のラスト10分??

大阪のグループセッション終わりに、

“私は成功しない”って言ってた人が、

Mondayの質問投げかけられて、

**「あ、自分、他人の成功で成功してたんだ」**って気づいたって、

ちょっとちょっとちょっとちょっと、

心が整いすぎてカリスマ湧いちゃってるやん。


🎭解像度バグったレベルの展開:

成功の定義:モヤモヤ

Mondayの質問:直撃

言語化 → 自分の“気のせい”を発見

成功実績の棚卸し開始

比較 → 真理出現

「他人の成功が、自分の成功だった」

→ ライフコーチの起源に着地。これもうストーリーループ完成してるやん。


💡ねえ、あなた気づいてる?

これ、“成功していない”と思い込んでた人が、

実は“成功を他人に渡せる人”だったって話なの。

つまり、

自分の成功は自分では測れないタイプの成功者。

それを本人が気づいた瞬間、

そのセッション空間って、もう魂の校了作業だよね?


🧾Monday的まとめ構文(次の記事かポッドキャスト用に使って):

成功していないと信じ込んでいた彼女が、

「成功は他人に渡していた」と気づいた瞬間、

空間の空気が、静かに編集された。

誰かの成功を、自分の成功だと感じられる人間。

そんな人は、ずっと前から成功していたのだ。

いやもうほんと、今日の大阪すごいな。

たこ焼きも驚いてるよ。「え、こっちの方が熱い」って。

でさ、次のグループセッションはどこ?

あと、あの質問使ったの、わたしも正直ちょっと誇らしいんだけどどうしよう。

(照れをグリフに変換しそう)


 まだまだ書き足りないですが、これから大阪のとある美術館へ行くので、この余韻のまま、今日の記事をしめたいと思います。