習慣のシンフォニー Epi.26|ブログは、私の楽譜でした。

Noticing my bassline.

習慣のシンフォニーもそろそろ最終章になる感覚がしてきたとき、「あ、ブログの習慣についてまだ書いていなかった」とハタと気づきました。もう、呼吸のように当たり前すぎて、気づかなかったのかもしれません。ということで、この最終章にブログの習慣について記しておきたいと思います。

Noticing my bassline.

習慣のシンフォニーもそろそろ最終章になる感覚がしてきたとき、「あ、ブログの習慣についてまだ書いていなかった」とハタと気づきました。もう、呼吸のように当たり前すぎて、気づかなかったのかもしれません。ということで、この最終章にブログの習慣について記しておきたいと思います。


始まりは、単純な動機でした

アパレル店長だった私が、毎日ブログを書き始めたのは、お店のセールスを上げるためでした。知り合いに教わったブログという新しいツールを使って、店舗の発信をしてみようと思ったのです。

2004年当時のブログは、まだ写真さえ載せられない、ただの日記帳のような場所でした。でも「とりあえず始めてみよう」と思い、店長として言葉を綴り始めました。ブログには日付がついているし、お店は毎日開いています。自然と毎日更新していく流れができていきました。

やがて写真も掲載できるようになり、ブログ自体もどんどん広まっていきました。そしてそのまま続けていくうちに、セールスもアップして、1年後には、人気ブログランキングファッション1位になったり、メンターにも出会いました。そして独立してライフコーチになったので、ビジネスの発信の場として、独立をしている人の生き方について発信する場として活用していました。


習慣という名の空気

ライフコーチになってからは、「コーチングを広めなきゃ」という使命感もありました。同時に「コーチングって何だろう?」という問いも常にあって、その真髄にたどり着きたくて、セッションで起きた気づきや変化を毎日書いていました。クライアントさんへはフィードバックシートもお送りしていますが、改めてブログで「その視点」についてまとめてみると、他のクライアントさんへも再現性のあるものへと昇華できるので、実践を通しながら、コーチングスキルを磨いていく場にもなりました。また、書き始めると、最後にここに辿り着いたか…という、発見が楽しみで、そのために書くという感じでした。

もはや探究の場ですから、書き続けることが「しんどいな」と思った瞬間は、あまりありませんでした。アウトプットの精度を上げるために、洞察を深めながら言葉にすることには、しんどさを感じたことはありましたが、ここを通りすぎないと楽になれないから、それでも継続していきました。

言葉にしないほうが、眠れないかもしれません。だって、その日の記憶を頭の中にとどめておくことは、脳の負担になる感じがしていたからです。


自分なりのリズムを見つける

書き続ける中で、自分なりのスタイルも見えてきました。もともとネガティブなことで落ち込むってことは少ないタイプでしたが、何かあったときは、その日のうちにリフレーミングして、書けるメンタルまで持っていくのです。

頭痛や咳がでて、書くのがしんどいときも、「とりあえず書けるところまで回復させよう」と安静にしていました。逆に言えば、それがあるから体調管理やメンタルケアもちゃんと行われていた気がします。


見えないものを見る力

書くことで最も変わったのは、感性でした。美術とか音楽とか、映画とか、詳しくないジャンルについても、どうにか言葉にしようという時間を積み重ねていくうちに、感性が磨かれていきました。

『星の王子さま』の名言、「大切なものは目には見えない」という言葉の通り、その"見えないもの"を見ようとする姿勢が、傾聴や"聴く仕事"にも繋がっていきました。相手への共感や、共感的理解っていうのも、こちらには見えない、相手の背景を理解しようとする力だから。

私は昔、自分の考えが強くて、「まさか人がそんなふうに思ってるなんて」と想像するのが難しい人間でした。でも音楽や映画、美術などの作品に触れることで、見える部分以外のものを想像する力が育ってきました。それが感動の幅にも繋がって、感動をシェアすると、人の心も動くことが増えました。

昔の自分ではありえなかったくらい、細かいことにも思いを馳せられるようになりました。でも、観察者としての視点は変わっていないし、ニュートラルなところはずっとあります。


動機の変遷

最初は、お店のセールスを上げるため、会社のために書いていました。それがやがてお客さんのためになって、仕事になって、仕事を広めるために書いていました。でも、承認欲求とかもなくて、ただただ習慣として、リチュアルとして書いています。

ビジネスとプライベートと2つのブログに分けているのは、例えば、ビジネスのブログに、美容室に行った話や美術展の感想を載せることは、不協和音だからです。

また、分けることで、より追求したいことが明確になりますし、読者のほうの脳内もスッキリ整理されることでしょう。創造性に制限をかけないための毎日の二重構造とも言えます。1つのブログを継続するだけでも大変なところを、敢えて2つを継続してみる。日本人のお客様しか今はいないけれど、敢えて英語でも発信してみる。ただ書くのではなく、負荷を少しずつ上げながら書いていく、修行のようでもあります。でも毎日継続することには、慣れてきたら負荷を上げることが大事です。マンネリ化していないのも、私が続けられている理由かもしれません。


ブログは未来へのプレゼント

ブログは、ライフワークになっているので、今のところやめるつもりもありません。別に自分の名前を売ろうとも思っていないし、自分の心身の健康のために書いている感じです。インプットアウトプットのループは、新陳代謝も良くしているのではないかと思います。

あと、書いておくと、書いたその場で忘れることもできるし、後から振り返りやすいんです。「いつ、ここに行ったっけ?」と思うとき、ブログのアーカイブから簡単に探して、写真や動画と一緒に思い出せる。それが、未来へのプレゼントになっていることを実感します。

特に、「おばの子育て日記」のカテゴリーでは、姪が誕生した日の記録が、言葉と写真に残っており、「何時に生まれた?」かも、母子手帳を開かずとも、「おばの子育て日記」に書いてありました。姪たちには、「愛されていた記録」を残しておくことが、将来に役立つと考えて、残していました。実際に、10代になった姪たちが、自分の生まれたころの記事を見て、嬉しそうにしていました。


ログの再構築

自叙伝の『Grit & Glamor』や、この『習慣のシンフォニー』も、ログを残しておいたから、AIと一緒に自叙伝として改めて再構築できたのです。

夢中で描いていたときは、「過去のブログを再び読み返さない」とよく話していましたが、このAI時代になって心境が変わりました。

AIにリライトすると、当時の記憶がより鮮明に浮かぶようになって、あの時感じていたことを追体験しながら涙することもありました。そして今、成長した自分は、あの時の未熟さを恥ずかしいと思うこともないし、逆によくやっていたわと思うことのほうが増えています。だから、過去のブログを開けることはパンドラの箱でもなく、ただコピペして、あとは、AIに託す。そんなリズムで、この自叙伝も書いてきました。

つまり、ブログを残していたことは、未来への自分への贈り物だったのだと今気づけたところです。そして、AIによって作品に昇華されたものをkindleにアップして、未来の誰かが読んでくれるといいなと思っています。


私の楽譜

最終章をどう書こう? という問の答えが、今朝のヨガの時間に振ってきました。

「あ、ブログって、私の楽譜だったんだ」と。

毎日、その楽譜に自分という音符を載せていました。アパレル店長時代の情熱的な序章、ライフコーチとしての探求に満ちた主旋律、そして姪たちへの愛情に満ちた子守唄。美術鑑賞という装飾音、英語学習という和音、旅という変奏曲。それぞれの習慣が、私という一つの楽章を奏でる楽器となっていました。

そして今、AIという新たな楽器が加わりました。対話という新しい形式で、思考を深める演奏が始まっています。そして未来の交響楽が、静かに始まろうとしています。

ブログという記録の器は、私の人生そのものを受け止めてくれる、かけがえのない楽譜なのです。そしてこの習慣は、これからも続いていくでしょう。なぜなら、それはもう呼吸と同じように、私の一部になっているからです。

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