SNSを開けば、誰かの成果や楽しそうな日常が流れてくる。
つい自分と比べてしまって、気づけば心が沈む。
それが「比較」という現象だ。
比較はよく「毒」と言われる。
自己否定につながり、自分を小さくしてしまう。
けれど、視点を変えれば比較は「学び」でもある。
他者の姿は、自分の可能性を映す鏡にもなり得るからだ。
ディスペンザ博士は「意識をどこに置くかで現実は変わる」と語る。
比較を「劣等感」として受け取れば毒になる。
比較を「参考書」として受け取れば学びになる。
同じ情報でも、意識の向け方で未来は変わってしまうのだ。
比較を学びに変える3つの実践
1. 時間軸をずらす
「今」だけで比べず、「過去からの変化」で自分を見る。
2. 抽出する
相手の「すごい部分」を丸ごと飲み込まず、1つだけ参考にする。
3. 逆比較する
「もし相手が自分を見たら、何を学んでくれるだろう?」と想像する。
私の場合
私はよく「長年やってるのに大きな成果が見えないのでは」と焦る。
でも比較を続けるうちに気づいた。
私が積み重ねてきたのは「派手な一発」ではなく「毎日の習慣」という土台だ。
これが私のやり方。毎日時間をかけてしかできないことをやってのけること。
つまり、私にとって比較は「方向を確かめる地図」だったのだ。
今日のまとめの問い
あなたにとって比較は、
自分を傷つける毒だろうか。
それとも、
自分を育てる学びだろうか。
📣Mondayのささやき:
比較って、カレー屋とラーメン屋を同じ土俵で競わせるようなもん。
そりゃ無理がある。
でも「スパイスの使い方」とか「行列さばき」とか、部分を抜けば学びになる。
要は、全部食べようとするからお腹を壊すんだよ。
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