母の一言で、旅が始まった。
「箱根に行きたい」
その小さな声が、そのまま翌日の現実になった。
呼ばれた場所へ、少しだけ身をゆだねると、
世界は驚くほど静かに——そして正確に——開いていく。
その流れの中で迎えた、二日目の物語。
赤い車体との別れ
箱根美術館を出たとき、空はどこまでも青かった。
小さな赤い車体の箱根登山鉄道・104号車が、光をまといながらホームに滑り込んでくる。まるで時間の狭間から現れたレトロ映画のワンシーンみたいだった。
駅員さんが珍しく説明をしている。
「104号はその役割を終えます」
小学生のときにも乗っていたであろう104号。私の約20年来のメルマガのタイトルを変えた日と重なった。強羅から小涌園へ向かうその短い移動でさえ、旅が上質になる"間"が生まれる。何かが終わり、何かが始まる予感がした。
乗り逃したバスと、別のルート
小涌園に着き、バス停へ向かうと、予定のバスとは違うバスが止まっていた。
「箱根園」とちらっと見える。私たちの方向だ。
でも本来乗るバスじゃないから見送った。母は、「なんだ、乗ればよかったのに……」と後悔している。でも仕方ない、これから乗る予定のバスが来るはずだから。
しかし、すぐには来なかった。
代わりにやってきたのは、別ルートのバス。
「元箱根着きますか? なんか予定のバスとは違うのですが」
運転手は、「時間通りには着きませんよ」とあっさりと言った。でもどこか、流れに沿っている感じがした。ほんの小さな"ズレ"が、この日は何度も訪れる。そしてそのたびに、気づけばすべてが美しい景色へつながっていった。
元箱根のバス停付近に、なんと、1時間に1本しか来ない、まさかのプリンス箱根行きバスが目の前に停車していたのだ。
これに乗るには、少し時間稼ぎをしないといけないと思っていたら、違うバスに乗り、それが思ったよりも早く着いたことで巡ってきたかのようだ。その一瞬の偶然に乗っかるようにして、私たちは箱根園へ。
芦ノ湖の光と、富士の贈り物
箱根園から九頭龍神社までの道を歩く。
冬なのに、10℃以上あって、温かい。九頭龍神社は、雨や強風のイメージがあったが、この日は富士山も良く見えた。
芦ノ湖に着いたとき、湖面に光が砕けて散っていた。静けさの上に銀箔が流れていくような、あの独特の光景。
湖に立つ赤い鳥居は完全に静止していて、その向こうをゆっくり進む海賊船との対比が、時間の層を何枚も重ねたような奥行きをつくっていた。
謎のバスと、タクシーの奇跡
九頭龍神社から元箱根までのセラピーロードを通り、プリンス箱根へ。日帰り温泉につかろうと思っていた。
しかし、帰りの元箱根までシャトルバスまで2時間もある。ならば、歩くかタクシーかで、元箱根へ行き、日帰り温泉に入るか? いろいろな案が浮かんでくる中、目の前にどこへ行くのか分からない謎のバスが来た。
80歳の母は「やっぱりきたわ」と言わんばかりに走って行ったが、バスを逃してしまった。でもそのバスが正しいかどうかもわからない。これが箱根の旅だ。
しかしその直後、プリンスのスタッフが声をかけてくれた。
「日帰り温泉はランチ付きでないと利用できないんです」
「龍宮殿もランチ営業は終わっていますよ」
道は"閉じた"ように見えた。
「じゃあ元箱根まで歩く?」(ちなみに25分はかかる)
そんな話をしていたその瞬間、タクシーがまるで合図みたいに目の前へ現れた。
「あの、予約してないんですけど乗れます?」
運転手は、「たまたま通ったので」と言った。
私たちは何の迷いもなく、箱根神社へ向かうことにした。母は興味がないと言いながらも、100段近くある階段を余裕で上っていた。隣の60代くらいの女性たちは、ハアハア言っていたが。(笑)
箱根神社では、龍の口から流れる水を少し汲んだ。家に戻ったらこの水でコーヒーを淹れよう。旅の余白を持ち帰るみたいに。
消えた店と、隣の正解
ランチは、以前行った古民家カフェに向かったものの、店は別のお店に変わっていた。
けれど――
そのすぐ隣に、ChatGPTがお薦めしていた蕎麦屋『絹引の里』があった。
導かれるように入って、天丼を注文したら、海老が2本、季節の野菜、そして――
半熟ゆで卵の天ぷら。
割った瞬間の、とろりと光る黄身。衣のサクッ。外側はカリッ、中はとろり。
"偶然出会った正解"という味がした。ここまでの見事な流れを振り返るように母と話し、今回の箱根の旅は大成功で満場一致だ。でもまだ、最後まで楽しむ。
遂に、日帰り温泉は天成園に決めた。母も行きたいと思っていた場所で、ChatGPTにも一番オススメされたところだった。
さあ、箱根湯本行のバスは? あと5分ではないか。
バス停の小さなドラマ
箱根湯本行きのバスが迫り、ほぼ目の前のバス停へ走る。
バス停に着くと、2つの列が。スタッフの方に聞くと、「2番線の方が早いよ」と教えてくれた。どうやら、2番線のほうが急行で、違うルートから下るようだった。
待っていると、外国人観光客から英語で声をかけられる。
「箱根湯本に行く?」
「はい、行きますよ」
しかし、別の箱根湯本行のバスが先にきたから、もう一度聞かれた。
「こちら、急行なんですよ。だから、直通で着きます。そう言ったスタッフの人を私は信じてる(笑)」
というと、「じゃあ、ぼくはスタッフとあなたを信じるよ」といって、笑っていた。
旅の途中に、こういう役割がふっと来るのが面白い。ひとつの案内が、ちいさな旅の縁になる。
急行バスは新道を走り、25分ほどで箱根湯本に着いた。世界が一気に麓へ滑り落ちていくような感覚だった。
最後に用意されていた"締め"
バスを降りた瞬間、まるで待っていたかのように、目的の温泉天成園行きのマイクロバスが停まっていた。
呼ばれているみたいに乗り込む。
フロントの案内にはないけれど、HPでみた2時間コースを尋ねると、「ありますよ」とすんなり通る。
浴衣もタオルもついていて、露天風呂は広く、風も涼しく、夜空には星が瞬いていた。湯気の向こうで光が揺れるたびに、今日一日のすべてが整っていく音がした。
すべては、受け取る準備ができていたから
予定は何度も消え、選択肢はそのたびにずれて、でも最後にはすべてが最適な線に収束していった。
迷い続けたように見えた一日は、最後にすべてが美しく整った。
導かれたというより、こちらが受け取れる状態になっていたのだと思う。
箱根は、そういう旅の仕方をさせてくれる。
"受け取る"ということが日常に入ると、旅もこうして姿を変えるのだと思う。
🖊英語版
0コメント