箱根、導かれる旅 予定が消えるたび、正解が現れた日

📧 Art of Being Mail Letter より

母の一言で、旅が始まった。

「箱根に行きたい」

その小さな声が、そのまま翌日の現実になった。

呼ばれた場所へ、少しだけ身をゆだねると、

世界は驚くほど静かに——そして正確に——開いていく。

その流れの中で迎えた、二日目の物語。


赤い車体との別れ

箱根美術館を出たとき、空はどこまでも青かった。

小さな赤い車体の箱根登山鉄道・104号車が、光をまといながらホームに滑り込んでくる。まるで時間の狭間から現れたレトロ映画のワンシーンみたいだった。

駅員さんが珍しく説明をしている。

「104号はその役割を終えます」

小学生のときにも乗っていたであろう104号。私の約20年来のメルマガのタイトルを変えた日と重なった。強羅から小涌園へ向かうその短い移動でさえ、旅が上質になる"間"が生まれる。何かが終わり、何かが始まる予感がした。

乗り逃したバスと、別のルート

小涌園に着き、バス停へ向かうと、予定のバスとは違うバスが止まっていた。

「箱根園」とちらっと見える。私たちの方向だ。

でも本来乗るバスじゃないから見送った。母は、「なんだ、乗ればよかったのに……」と後悔している。でも仕方ない、これから乗る予定のバスが来るはずだから。

しかし、すぐには来なかった。

代わりにやってきたのは、別ルートのバス。

「元箱根着きますか? なんか予定のバスとは違うのですが」

運転手は、「時間通りには着きませんよ」とあっさりと言った。でもどこか、流れに沿っている感じがした。ほんの小さな"ズレ"が、この日は何度も訪れる。そしてそのたびに、気づけばすべてが美しい景色へつながっていった。

元箱根のバス停付近に、なんと、1時間に1本しか来ない、まさかのプリンス箱根行きバスが目の前に停車していたのだ。

これに乗るには、少し時間稼ぎをしないといけないと思っていたら、違うバスに乗り、それが思ったよりも早く着いたことで巡ってきたかのようだ。その一瞬の偶然に乗っかるようにして、私たちは箱根園へ。


芦ノ湖の光と、富士の贈り物

箱根園から九頭龍神社までの道を歩く。

冬なのに、10℃以上あって、温かい。九頭龍神社は、雨や強風のイメージがあったが、この日は富士山も良く見えた。

芦ノ湖に着いたとき、湖面に光が砕けて散っていた。静けさの上に銀箔が流れていくような、あの独特の光景。

湖に立つ赤い鳥居は完全に静止していて、その向こうをゆっくり進む海賊船との対比が、時間の層を何枚も重ねたような奥行きをつくっていた。


謎のバスと、タクシーの奇跡

九頭龍神社から元箱根までのセラピーロードを通り、プリンス箱根へ。日帰り温泉につかろうと思っていた。

しかし、帰りの元箱根までシャトルバスまで2時間もある。ならば、歩くかタクシーかで、元箱根へ行き、日帰り温泉に入るか? いろいろな案が浮かんでくる中、目の前にどこへ行くのか分からない謎のバスが来た。

80歳の母は「やっぱりきたわ」と言わんばかりに走って行ったが、バスを逃してしまった。でもそのバスが正しいかどうかもわからない。これが箱根の旅だ。

しかしその直後、プリンスのスタッフが声をかけてくれた。

「日帰り温泉はランチ付きでないと利用できないんです」

「龍宮殿もランチ営業は終わっていますよ」

道は"閉じた"ように見えた。

「じゃあ元箱根まで歩く?」(ちなみに25分はかかる)

そんな話をしていたその瞬間、タクシーがまるで合図みたいに目の前へ現れた。

「あの、予約してないんですけど乗れます?」

運転手は、「たまたま通ったので」と言った。

私たちは何の迷いもなく、箱根神社へ向かうことにした。母は興味がないと言いながらも、100段近くある階段を余裕で上っていた。隣の60代くらいの女性たちは、ハアハア言っていたが。(笑)

箱根神社では、龍の口から流れる水を少し汲んだ。家に戻ったらこの水でコーヒーを淹れよう。旅の余白を持ち帰るみたいに。


消えた店と、隣の正解

ランチは、以前行った古民家カフェに向かったものの、店は別のお店に変わっていた。

けれど――

そのすぐ隣に、ChatGPTがお薦めしていた蕎麦屋『絹引の里』があった。

導かれるように入って、天丼を注文したら、海老が2本、季節の野菜、そして――

半熟ゆで卵の天ぷら。

割った瞬間の、とろりと光る黄身。衣のサクッ。外側はカリッ、中はとろり。

"偶然出会った正解"という味がした。ここまでの見事な流れを振り返るように母と話し、今回の箱根の旅は大成功で満場一致だ。でもまだ、最後まで楽しむ。

遂に、日帰り温泉は天成園に決めた。母も行きたいと思っていた場所で、ChatGPTにも一番オススメされたところだった。

さあ、箱根湯本行のバスは? あと5分ではないか。


バス停の小さなドラマ

箱根湯本行きのバスが迫り、ほぼ目の前のバス停へ走る。

バス停に着くと、2つの列が。スタッフの方に聞くと、「2番線の方が早いよ」と教えてくれた。どうやら、2番線のほうが急行で、違うルートから下るようだった。

待っていると、外国人観光客から英語で声をかけられる。

「箱根湯本に行く?」

「はい、行きますよ」

しかし、別の箱根湯本行のバスが先にきたから、もう一度聞かれた。

「こちら、急行なんですよ。だから、直通で着きます。そう言ったスタッフの人を私は信じてる(笑)」

というと、「じゃあ、ぼくはスタッフとあなたを信じるよ」といって、笑っていた。

旅の途中に、こういう役割がふっと来るのが面白い。ひとつの案内が、ちいさな旅の縁になる。

急行バスは新道を走り、25分ほどで箱根湯本に着いた。世界が一気に麓へ滑り落ちていくような感覚だった。


最後に用意されていた"締め"

バスを降りた瞬間、まるで待っていたかのように、目的の温泉天成園行きのマイクロバスが停まっていた。

呼ばれているみたいに乗り込む。

フロントの案内にはないけれど、HPでみた2時間コースを尋ねると、「ありますよ」とすんなり通る。

浴衣もタオルもついていて、露天風呂は広く、風も涼しく、夜空には星が瞬いていた。湯気の向こうで光が揺れるたびに、今日一日のすべてが整っていく音がした。

すべては、受け取る準備ができていたから

予定は何度も消え、選択肢はそのたびにずれて、でも最後にはすべてが最適な線に収束していった。

迷い続けたように見えた一日は、最後にすべてが美しく整った。

導かれたというより、こちらが受け取れる状態になっていたのだと思う。

箱根は、そういう旅の仕方をさせてくれる。


"受け取る"ということが日常に入ると、旅もこうして姿を変えるのだと思う。


🖊英語版

Art of Being — Guided by the Unseen


🖊編集後記

箱根で『Dead Man』を観て、「卒業する104号」を観て、その翌日、ホームページがWEBから消えました。

まるで示し合わせたようなタイミングでの Dead HP。いまだ復旧はしていません。

お陰で、エンジニアスキルが身に付きました。もともと、 BLOG にはHPのようにページを重ねていける機能があります。

真っ白なキャンバスを前にして、「直す」のではなく、「生まれ変わらせる」ことを選びました。


1D1U Camp は、1D1U Land へ。

Session は、Dialogue へ。

止まった時間の中で、

静かに構造が組み替えられていく感覚。


終わったからこそ、

はじまるものがある。 

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