説明が、いらなくなった年の終わりに

15年前に言われた言葉が、ずっと心に引っかかっていた。

「あなたは、もう説明いらない人だよ」

受け取れなかったその言葉が、今年の年末、ホームページが消えたとき、ようやく届いた。

今回のホームページの一件は、単なるトラブルではなかった。

昔取得したドメインサービスが終了し、気づかないうちに別の会社に移行されていて、でも管理画面は昔のまま。まず、そのドメインのメールが届かなくなり、メール設定をするために、ChatGPTのアドバイスどおり、管理画面をいじったら、ホームページは、本当に、跡形もなく消えた。


でも不思議と、慌てなかった。

これからHPの住所を新しく設定し直せばいいだけだ。結局いつかやることになる作業が、ちょうど年末に来たのだ。

ChatGPTに管理画面を写して送って、「ここ、もうYahooじゃないですよ」そんなところから始まった。DNS、CNAME、サーバー。15年前は業者に丸投げしていた"裏側"を、今回は全部、自分で触った。


この設定が、ここに入ると、こうなる。

ああ、発信って、住所の話だったんだな。

そんなことを、初めて腑に落とした。


ホームページが開かないあいだ、ブログを仮設住宅にした。

どうせなら、とホームページの文章を、全部、ブログに移した。コピペして、読み返して、直して。

その途中で、何度も同じ言葉が浮かんだ。

「これ、説明しすぎてる」


15年前、あの言葉を言われたとき、私は受け取れなかった。

怖かったし、経験も足りなかったし、説明しないと消えてしまいそうだった。


役に立とうとしていた。

与え続けることで、ここにいてもいいと、自分に許可を出していた。


でも今は、違った。

どうせ全部やり直すなら、全部変えよう。

そう思った瞬間から、作業は「修復」じゃなくなった。リノベーションだった。


箱は同じ。中身は、全部、入れ替え。

プロフィールも、言葉の温度も、余白も。


坂本龍一のように、音と音のあいだを信じる感じ。

説明をやめた。

説得もしない。

共鳴する人だけが来ればいい。

そう、初めて本気で思えた。


一週間後、最後の設定を外して、もう一度つなぎ直した。その瞬間、ホームページは、何事もなかったように現れた。


ポーンと。

ああ、これでよかったんだな、と。


そして気づいた。

変わったんじゃない。戻っただけだった。

恐怖が減った分、元の位置に戻った。

説明しなくていい自分に。

もう満たされている自分に。


50歳の年末。

ようやく、あの言葉を、自分に許せた年だった。


破壊と創造の年だった、2025年

書き終えてから、もう一つ気づいたことがある。

今年を一言で言うなら、破壊と創造の年だったのだと思う。

ただしそれは、激しい革命のようなものではなく、もっと静かで、生活の延長線にある破壊と創造だった。


今年は、いろんなものをやめた。

役割を、いくつか手放した。

説明することを、やめた。

与えることを、やめた。

そして、しれっと新しくしていった。


師走に入り、母に急に誘われて、箱根に行った。

『Dead Man』(1995)を観た。

役目を終える箱根登山鉄道「104号」にたまたま乗車した。


古いものが、静かに役目を終える姿。

その直後、ホームページが消えた。

あまりにも分かりやすくて、笑ってしまったくらいだ。


そういえば今年は、実家のアパートもリフォームをした。

屋根の色が変わり、壁の色が変わった。


今住んでいるマンションも、新築から19年。1年がかりで、外壁も、ベランダも、すべて塗り替えられ、つい最近、修繕工事が終わった。

箱は同じなのに、空気が、まるで違う。


ベランダに置きっぱなしで、タイヤがぺったんこになったミニベロのタイヤを変えた。新しいタイヤに空気が入ると走りが違う。


これもまた、破壊と創造のあいだの出来事だった。


🖊 英語版

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