AIの時代、人間は「暇」になる

AIが出てきた頃、

私は「そのうち人間には余暇ができる」と思っていた。


でも実際に起きたのは、

余暇どころか過剰稼働だった。



できることが増えすぎて、

試せることが多すぎて、

AIを使えば使うほど、

人は画面の前から動けなくなる。


私もそうだった。

引きこもり気味になって、

ずっと何かを生成していた。


でも、それを通り越すと、

次のフェーズが来る。


やっているのに、暇

ある日、気づいた。


やることはやっている。

でも、もう慣れている。

作業は軽い。

考えなくていい。


結果、

やっているのに、暇。


これが、AIを使い切った先の感覚だった。


暇になると、人は困る

暇になると、多くの人は不安になる。

  • もっと学ばなきゃ
  • もっと発信しなきゃ
  • 役に立たなきゃ
  • 意味を作らなきゃ

でも、それは全部

暇に耐えられない反応だ。


AIが仕事を奪うとか、

人間が不要になるとか、

そういう話じゃない。


本当の問いはこれ。

頑張らなくても世界が回るとき、
人間はどう在るのか。


暇は、何もしない時間じゃない

余暇って、

「何もしない時間」じゃない。


何もしなくても、

何も失われないと体が知った時間だ。


この感覚に入ると、

戦略も、努力も、証明も、

一段遠くに行く。


すると、

役に立とうとする癖すら

ちょっと滑稽に見えてくる。


AI時代の本当の分かれ道

AI時代の分かれ道は、

  • 何ができるか
  • どれだけ早いか

じゃない。

暇に耐えられるか。

ここ。


暇を怖がって

また忙しさを作る人もいる。


暇に耐えて、

ただ眺められる人もいる。


私は今、

後者の入口に立っている気がする。


すごい時代だな、と思う

特別なことは起きていない。

ただ、

すごいな、この時代

と、静かに思う。


たぶん、

これが次のゲームの始まり。

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