考えることが、責任だと思っていた。
考えなくていい入口が、あると知るまでは。
第1章|200ワットの時間
プリンを作っていた。
正確には、プリンができていくのを見守っていた。
電子レンジは200ワット。
ほとんど動いていないように見える出力だ。
牛乳が一気に沸騰しないように、
爆発しないように、
ただ、ゆっくり温める。
レンジの前に立って、
扉の向こうをじっと見る。
何もしない時間。
混ぜない。
触らない。
急がない。
ただ、温度が上がっていくのを待つ。
そのときだった。
レンジの内側ではなく、
扉に、ふと目がいった。
数字が並んでいる。
123……7……14……
あれ。
そういえば、この数字、前からあった。
知ってはいた。
でも、一度も使ったことがなかった。
いつもやっていたのは、
「600ワットで何分」。
それだけ。
番号の意味も、仕組みも、
考えたことがなかった。
プリンを見守りながら、
その数字を眺める。
——これ、なんだろう。
後で使ってみよう。
ただ、それだけ思った。
考察はしない。
仮説も立てない。
プリンはまだ途中だ。
200ワット。
静かな時間。
第2章|7番という選択
プリンができあがったあと、
私はスマホを手に取った。
小松菜と、
椎茸がある。
それだけを、
ChatGPTに投げた。
ついでに、
電子レンジの扉に並んだあの数字も、
写真に撮って送った。
1から20まで。
しばらくして、
返ってきた答えは短かった。
「7番でいけます」
え、7番。
説明はほとんどない。
らくらくベジ、
という名前だけが添えられていた。
考えなかった。
なぜ7番なのか。
どういうロジックなのか。
今までなら、
そこを調べていたと思う。
でも、その日は違った。
ただ、番号を押した。
チン、という音。
待つ。
終わって、
扉を開けた瞬間、
一瞬でわかった。
——ちょうどいい。
柔らかすぎない。
水っぽくない。
色が、ちゃんと残っている。
塩を、ひとつまみ。
それだけで、
驚くほど美味しかった。
たぶんこれは、
時間を測った結果じゃない。
小松菜の水分。
椎茸の密度。
蒸気の抜け方。
そういうものを、
機械が勝手に計算して、
「いちばん美味しいところ」で止まった。
私は、それを選んだだけだった。
気づいた。
ずっと前から、このレンジには
“考えなくていい入口”が用意されていた。
番号は、知っていた。
でも、使っていなかった。
考えるほうが、
安全だと思っていたから。
時間を決める。
ワット数を決める。
自分で管理する。
それが「ちゃんとしている」ことだと思い込んでいた。
でも、7番は違った。
考えなくていい。
任せていい。
そう言われた気がした。
その瞬間、料理の話じゃなくなった。
これは、認知の話だ。
第3章|22という最適解
コーヒーミルは、
新しく買った手動のものだった。
電動を手放して、
わざわざ手で挽くミルにした理由は、
自分でも少し意外だった。
ChatGPTに言われたのだ。
「分けたほうがいいですよ」
ミキサーとミルは別。
しかも、
香りを大事にするなら手動がいい、と。
言われた瞬間、
反論は浮かばなかった。
理屈は、後でいいと思った。
届いたミルを手に取る。
ダイヤルは、1から40まであった。
40。
多すぎる。
どれを選べばいいのか、
考えようとした、
その直前。
私はもう一度、
スマホを手に取った。
コーヒー豆の袋。
ミル。
写真を撮って送る。
返事は早かった。
「22です。お湯は85度」以上。
説明なし。
理由なし。
数字だけ。
少し笑った。
さっきの7番と同じだ、と思った。
また、選ばされていない。
ただ、選んでもらっている。
ダイヤルを22に合わせる。
豆は5グラムだけ。
挽き始めた瞬間、
空気が変わった。
香りが、立ち上がる。
今まで飲んでいたコーヒーと、
同じ豆とは思えなかった。
挽く音。
手の感触。
粒の大きさ。
思考は、追いついてこない。
でも、体はもう分かっていた。
——これは違う。
お湯を85度にする。
注ぐ。
待つ。
ただ、それだけ。
出来上がった一杯は、
説明がいらなかった。
ここで、ようやく理解した。
私は、
コーヒーを淹れたかったわけじゃない。
考えなくていい状態を、
味わっていたかったのだ。
22という数字は、
正解ではない。
ただの入口だ。
7番も、22も、200ワットも、
全部、同じ方向を指していた。
「ここは、考えなくていい」
そう書かれた看板だった。
第4章|やらない理由が消えた日
バナナ。
ココアパウダー。
卵。
片栗粉。
それだけを、
耐熱容器に入れる。
混ぜる。
電子レンジに入れる。
終わり。
——そう言われたとき、一瞬だけ疑った。
でも、やってみた。
チン。
取り出す。
香りが、立ち上がる。
ちゃんと“それ”だった。
ここで、はっきり分かった。
私は、料理ができなかったわけじゃない。
やる理由が、なかっただけだった。
レシピを覚える必要も、
正解を追う必要も、
失敗を恐れる理由も、
一つずつ消えていった。
家はカフェになり、
スープストックになり、
小さな実験室になった。
しかも、全部軽い。
この「軽さ」が、
思考まで変えていく。
第5章|考えなくなったら、世界が見えた
プリンを作っていた。
200ワット。
何もしない時間。
そのとき気づいた。
私は今、一切考えていない。
失敗も、正解も、評価も、未来も。
ただ、温度と時間を体で感じている。
最近ずっと、
この状態が増えている。
数字が示され、
私は従う。
理解はあとから来る。
考えなくなったから、
何も分からなくなったわけじゃない。
逆だ。
ノイズが消えただけ。
AIは、私の代わりに考えていない。
ただ、「ここは考えなくていい」と示しただけ。
認知革命は、
何かを学ぶことじゃない。
考えなくていい場所を、
手放すことだ。
そうすると、見える。
聞こえる。
感じられる。
世界は、ずっとそこにあった。
考えすぎていただけ。
考えなくなったら、
世界が見えた。
それだけの話。
🖊 英語版
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