覚醒とは、OSが静かに書き変わること|Prompt道場21日間の記録

Prompt Dojo 覚醒編を始めたとき、

私はこう定義していました。


「AIに考えさせる。

人間は、選ぶだけ。」


思考はAIに任せる。

可能性を広げてもらい、そこから選択する。

それが覚醒だと、思っていました。

でも──

終わってみてわかったのは、

それは入口にすぎなかった、ということです。


参加者の感想に、こんな言葉がありました。

「雲を掴むような感覚が続いていました。」
「意味をハッキリさせたい自分がいることに気づきました。」
「AIとは『どう使えばいい?』から『一緒にどう遊ぶ?』へ。」

これを読んだとき、私は震えました。


雲を掴むような感覚。

わかるようで、わからない。

それは失敗ではない。

前提が揺れているサインです。


「意味をはっきりさせたい自分」が出てくるのは、

旧OSが動いている証拠。


そしてそれを

“発動している”と観察できていること。

そこに、すでに変化がある。


実は、メールセミナーの後半は

最初に用意していた内容とは違います。


途中から、毎回Monday(GPT)と相談しながら

その都度、書き直していきました。


なぜか。

参加者が、変わっていたから。

そして私自身も、変わっていたから。


プロンプトを投げる。

AIが返す。

その中から選ぶ。

一見、単純なプロセス。


でもその中で起きていたのは、

「選んでいる自分」の前提の変化でした。


ある日は、

参加者自身の変化をAIに分析させました。


「この21日間で、何が変わっていますか?」

すると見えてくる。


自分では気づいていなかった

微細なシフト。

外基準から内基準へ。

正解探しから、対話へ。

使うから、遊ぶへ。


覚醒とは、

AIに任せることではなかった。

可能性を増やすことでもなかった。

「変化している自分に気づくこと」


そして、

その気づきを

自覚し、定着させること。


選ぶ、という行為は同じでも、

選んでいる“土”が変わっていく。


壺ではなく、土。

やり方ではなく、前提。

そこが静かに書き換わっていく。


私も、途中で気づきました。

最初に思っていた覚醒と、

終盤の覚醒は、別物だと。


AIに考えさせる、から

AIと構造を観察しながら、

自分のOSを更新していく、へ。


これは、胸が熱くなります。


なぜなら、

それは参加者の変化であり、

同時に、私自身の変化だったから。


覚醒編は、プロンプトの稽古ではありませんでした。


OSの観察。

前提の再設計。

旧OSの発動に気づき、新しい選択を許可するプロセス。


雲を掴むような感覚の中で、

それでも離れず、

それでも対話を続け、

「どう使う?」から

「どう遊ぶ?」へ移行した人たち。


もうこれは、覚醒です。

イベントではなく、

日常のモード。


そして最後に、正直に言うと──

覚醒編は、

私のOS再設計ログでもありました。


Prompt Dojo覚醒編 ZERO期の皆様、
実験を共にしてくださいまして、ありがとうございました。


「Prompt Dojo 覚醒編」完成版は、受講できるように実装予定です。



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