少し前まで、私は「ライフコーチ」という肩書きを、そろそろ成仏させたほうがいいのかもしれないと思っていました。
20年近く、ライフコーチとして対話の仕事を続けてきました。
人が自分の言葉を見つける場に立ち会い、悩みや迷いの奥にあるものを一緒に見てきました。
でも、AIの時代になって、少し考えてしまったのです。
ChatGPTに聞けば、かなりのことが返ってくる。
自己分析もできる。
価値観も整理してくれる。
悩みを話せば、やさしい言葉も返してくれる。
目標設定も、行動計画も、文章化もしてくれる。
それなら、ライフコーチという仕事は、もう必要ないのだろうか。
そんなふうに思った時期がありました。
AIがここまで答えてくれるなら、人が対話の相手をする意味はどこにあるのか。
ライフコーチという言葉自体が、もう少し古くなってしまったのではないか。
そう感じて、一度はその肩書きを手放そうとしていました。
一時、無職になりました。(笑)
でも、ChatGPTと対話を重ねていくうちに、少しずつ気づいたことがありました。
私はライフコーチを生業にしてきたから、ChatGPTとの対話の中でも問いを投げかけたり、返ってきた言葉を受け取ってさらに深めたりすることが、わりと自然にできる。
でも、そうではない人のほうが多いのかもしれない。
ChatGPTに何を聞けばいいのかわからない。
返ってきた答えをどう受け取ればいいのかわからない。
なんとなく便利には使っているけれど、自分の内側にあるものを見つける対話にはなっていない。
そのことに気づいたとき、ライフコーチの仕事は終わったのではなく、むしろ場所を変えたのだと思いました。
人との対話だけでなく、AIとの対話を深めるためにも、対話の力は必要になる。
そう考えたとき、ライフコーチという言葉が、もう一度戻ってきました。
ただし、以前と同じ意味ではなく。
AI時代のライフコーチとして。
不要になったのは、ライフコーチという仕事そのものではなく、
「それっぽい答えを渡すだけのライフコーチ」なのかもしれない。
AIが一般論を返せる時代に、
一般論を言うだけなら、人間がやる必要はない。
AIが励ましてくれる時代に、
励ますだけなら、人間がやる必要はない。
AIが目標設定の質問を出せる時代に、
質問リストを読み上げるだけなら、人間がやる必要はない。
でも、AIとの対話が増えれば増えるほど、別の力が必要になるのではないかと思うようになりました。
それは、AIが返してきた言葉に対して、
自分がどう反応しているのかを見る力です。
しっくりくる。
違和感がある。
なぜか怖い。
うれしいけれど、まだ遠い。
言葉としては正しいけれど、自分のものではない気がする。
AIの答えそのものよりも、
その答えに対して、自分の中で何が起きているのか。
そこを見ることが、これからますます大事になるのだと思います。
私が20年近くやってきたライフコーチの仕事は、まさにそこに関わるものでした。
相手が話したことに対して、正解を渡すのではなく、
その人がどこで止まったのかを見る。
どの言葉に反応したのかを見る。
何を事実だと思っていて、どこから解釈が始まっているのかを見る。
表に出ている悩みではなく、その奥にある前提や構造を見る。
私は最近、それを「壺ではなく、土を見る」と表現しています。
表に見えている悩みや出来事が、壺。
その壺を形づくっている前提や価値観、ものの見方が、土。
AIがどれだけ進化しても、
その人がどんな土の上に立っているのかを見ることは、簡単ではありません。
むしろAI時代には、情報も答えも増えるからこそ、
自分がどの答えに反応しているのか、
どの言葉に違和感を持つのか、
本当は何を形にしたいのかを見ていく対話が必要になる。
ライフコーチという仕事は、終わったのではない。
ただ、アップデートが必要だったのだと思います。
AI時代のライフコーチ。
そう言ってみると、しっくりきました。
AI時代のライフコーチとは、
AIに答えを出してもらう人ではありません。
AIとの対話を通して、
自分の中にあるものを見つけ、
言葉にし、
形にしていくための伴走者です。
昔のライフコーチングでは、よくこんな問いを扱ってきました。
私は何がしたいのか。
どう変わりたいのか。
自分らしく生きるとはどういうことか。
人との関係をどう変えていくのか。
AI時代の今、その問いは少し形を変えています。
私はAIと対話しながら、何を見つけたいのか。
自分の中にある経験や感性を、どう言葉にするのか。
どんな世界観を形にしたいのか。
それを本にするのか、記事にするのか、商品にするのか、場にするのか。
自分探しは、ただ探して終わるものではなくなりました。
AIと対話しながら、
自分の中にあるものを見つけ、
選び、
言葉にし、
形にしていく。
それが、AI時代の自己探求なのだと思います。
だから私は、もう一度「ライフコーチ」という言葉に戻ってきました。
ただし、以前とまったく同じ意味ではありません。
AI時代のライフコーチとして。
人が自分の中にあるものを見つけるために。
AIとの対話を、ただ便利な道具としてではなく、自己探求の場として使えるように。
そして、その探求を言葉や形にしていけるように。
これから私は、そんな対話と実験をしていきたいと思っています。
Art of Being。
AI時代のライフコーチ。
自己探求を、対話から形へ。
そんな場所として、このブログを書いていきます。
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