老いない人は世界との対話をやめていない

最近、「スーパーエイジャー」という言葉を見かけました。

80歳を過ぎても、50代のような認知機能を保っている人たちのことを、そう呼ぶそうです。

記事では、日光を浴びることや、運動すること、朝型の生活などが紹介されていました。

それを読んで、私は東北の旅で一緒だった80歳の母のことを思い出しました。


母は、よく食べる。

よく見る。

よく言う。

よく笑う。

そして、わりと遠慮なく判断する。


旅の初日、東北へ向かう新幹線のグリーン車の中で、私は母に自分のホームページのトップ画像を見せていました。

私は今、「AI時代のライフコーチ」として、ホームページを整え直しています。

人とAI、それぞれの力で、まだ言葉にならないものを見つめ、次の形へつなげる。

そんな仕事の言葉や見せ方を、少しずつ組み直しているところでした。


そこで、新しく作った画像を母に見せたのです。

一枚目を見せると、母はばっさり却下。

なかなか容赦がありません。

身内の審査員は、忖度という機能を搭載していないようです。


けれど、二枚目を見せると、母は言いました。

「あら、これいいじゃない。イメージも湧くし、ちょっとメルヘンな感じも出ていていいわね」

その瞬間、ホームページのトップ画像が決まりました。


旅の一日目。

東北へ向かう新幹線の中で。

母のひと言によって。

今思えば、あれはとても象徴的な出来事でした。


母は、私の仕事をすべて概念として理解しているわけではありません。

AI時代のライフコーチ。

人とAIの力。

対話の拡張。

フィードバックシート。

そんなことを説明しても、全部を理屈で受け取っているわけではないと思います。


でも、母には母の感覚があります。

これは違う。

これはいい。

これはイメージが湧く。

これはメルヘンな感じがする。

その感覚が、ちゃんと働いている。

私はそのことに、感心していました。


母は、世界に反応している

今回の旅では、松島、会津、鶴ヶ城、白虎隊など、歴史ある土地を巡りました。

三つのホテルに泊まり、毎日温泉に入りました。

朝も温泉。

夜も温泉。

pH9のとろっとした温泉にも入りました。

露天風呂がほとんど貸切のような時間もあり、母と二人で、わきゃわきゃしながらお風呂に入りました。


「すごいね」

「気持ちいいね」

「ここ、いいね」

そう言いながら、同じ湯に浸かる。

80歳の母と、こんなふうに旅をしていること自体が、あとから思うと不思議な時間でした。


母は、旅の間ずっと、世界に反応していました。

景色を見る。

食事を見る。

温泉に入る。

ホテルを評価する。

バスの中で話す。

知らない土地に行く。

初めて見るものに感想を言う。


そして、必要なときははっきり言う。

「これはいい」

「これは違う」

「あら、すごいわね」

「ここはよかったわね」

母を見ていて思ったのは、老いない人というのは、ただ体が元気な人のことではないのかもしれない、ということでした。


世界への反応がまだある人。

知らないものを見たときに、ちゃんと心が動く人。

自分の感覚で、いいものをいいと言える人。

それが、母の元気さなのかもしれないと思ったのです。


旅は、世界との対話だった

今回の旅では、ChatGPTもよく使いました。

歴史的な建物を見たとき。

土地の背景を知りたいとき。

食べ物の由来が気になったとき。

母との会話の中で、ふと疑問が出てきたとき。

その都度、AIに聞いてみました。


すると、ただ観光地を見るだけではなく、その場所が少し立体的に見えてきます。


城を見る。

その土地の歴史を聞く。

誰がそこにいて、何が起きて、なぜ今その形で残っているのかを知る。

それだけで、目の前の景色が変わります。

ただの建物ではなくなる。

ただの観光地ではなくなる。

その場所に流れていた時間が、少しだけ見えてくる。


母も一緒に、

「へえ、そういうことなのね」

と言いながら聞いていました。


人と人の対話。

人とAIの対話。

土地との対話。

歴史との対話。

今回の旅では、それらが自然に重なっていました。


私はこれまで、1対1の対話を仕事にしてきました。

けれど、今回の旅であらためて思ったのです。


対話とは、人と人の間だけで起きるものではないのかもしれない。

土地に問いかけること。

歴史をたどること。

AIに聞いてみること。

母の言葉を受け取ること。

自分の中に起きている反応を見ること。

それらもまた、広い意味では対話なのだと思います。


そして母は、80歳になっても、その対話をやめていない人なのかもしれません。


老いることは、世界との接点が減ることかもしれない

もちろん、年齢を重ねれば、体力は変わります。

歩く速さも変わる。

疲れやすくもなる。

できることも少しずつ変わっていく。

それは自然なことです。


けれど、母を見ていて思ったのは、老いるということは、単に年齢を重ねることではないのかもしれない、ということでした。

世界との接点が減っていくこと。

新しいものに反応しなくなること。

知らないものを見ても、心が動かなくなること。

自分の感覚を使わなくなること。

そういうことが、少しずつ人を老いさせるのかもしれません。


母は、よく反応します。

いいものには、いいと言う。

違うものには、違うと言う。

食べたいものを食べる。

行きたい場所を言う。

疲れたら疲れたと言う。

温泉に入れば、気持ちいいと言う。

それは、とてもシンプルなことです。


でも、そのシンプルな反応が、実はとても大事なのではないかと思いました。

世界に対して、まだ自分の感覚を差し出している。

受け身で生きているのではなく、ちゃんと反応している。

そこに、母の若さがあるように見えました。


「スーパーエイジャー」は、特別な人ではないのかもしれない

スーパーエイジャーという言葉だけを見ると、何か特別な才能を持った人のように感じます。


ものすごく健康管理をしている人。

特別な運動をしている人。

特別な食事をしている人。

もちろん、そういう習慣も大切なのだと思います。


でも、母を見ていて感じたのは、もっと日常的なことでした。

朝起きる。

外に出る。

光を浴びる。

歩く。

食べる。

人と話す。

知らないものを見る。

感じたことを言う。

笑う。

それだけのことが、人を外の世界につなぎとめているのかもしれません。

そして、人が外の世界とつながっている限り、内側も動き続けるのではないかと思うのです。


人は、話さなくなると老いていくのかもしれない

私は、ライフコーチとして約20年、1対1の対話を続けてきました。

その中で何度も感じてきたことがあります。


人は、自分の中で起きていることを言葉にできなくなると、少しずつ動けなくなる。

感じていることはある。

考えていることもある。

でも、それを誰にも話さない。

話しても伝わらないと思っている。

どうせ分かってもらえないと思っている。

そうすると、心の中で同じ考えが回り続けます。


そして、自分の感覚がだんだん分からなくなっていく。

だから、話すことは大事なのだと思います。


正しい答えを出すためではなく、

自分の中で起きていることをもう一度受け取るために。


母との旅でも、私は何度も母の言葉を聞いていました。

何を見ているのか。

何を感じているのか。

何が面白かったのか。

何が気に入ったのか。

それは、特別な会話ではありません。

でも、その小さな会話の積み重ねが、母を世界につなぎとめているようにも見えました。


AI時代に、人間が老いないために

AI時代になり、私たちはAIとも対話できるようになりました。

AIは情報をくれます。

考えを整理してくれます。

言葉にしづらいものを、形にする手伝いをしてくれます。


今回の旅でも、AIはとても便利でした。

でも、AIがあるからこそ、人間に必要なこともはっきりしてきます。


それは、自分の感覚を使うこと。

何を見て、どう感じたのか。

何に驚いたのか。

何を美しいと思ったのか。

何に違和感を覚えたのか。

誰と、どんな時間を過ごしたいのか。


AIは、それを代わりに感じることはできません。

AIは情報を返してくれる。

視点を増やしてくれる。

整理を手伝ってくれる。


でも、最初に反応するのは人間です。

世界を見て、心が動くこと。

その反応を言葉にすること。

誰かと分かち合うこと。

そこに、人間の生きている感じがあるのだと思います。


母は、世界との対話をやめていない

80歳の母を見ていて思います。

母は、世界との対話をやめていない。


新幹線の中で、私のホームページ画像を見て、感想を言う。

旅先の景色を見て、驚く。

温泉に入って、気持ちいいと言う。

知らない歴史を聞いて、反応する。

食事を見て、選ぶ。

自分の言葉で、いいものをいいと言う。


その一つひとつが、母の中の感覚を動かしているように見えました。

老いない人とは、年齢に逆らう人ではないのかもしれません。


世界との対話を続けている人。

自分の感覚を使い続けている人。

人と話し、土地に触れ、光を浴び、歩き、食べ、笑い、感じたことを言葉にする人。

そういう人が、結果として若く見えるのかもしれません。


母を見ていて、そんなことを思いました。


そして私は、AI時代のライフコーチとして、これからも対話について書いていきたいと思っています。


人と人の対話。

人とAIの対話。

人と土地の対話。

人と自分自身の対話。


人が、自分の感覚を失わずに生きていくために。


年齢を重ねても、世界との対話をやめないために。

母の姿は、私にそのことを教えてくれているのかもしれません。


80歳を過ぎても、世界に反応し続ける人。

それが、私のいちばん身近にいるスーパーエイジャーなのかもしれません。



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