傾聴は、自分に返ってくる。自分の中にない問いは、相手にできない

「AI時代における問いの重要性」に気づいてしまってから、ALL EARSの講座3年目の構想を、いったんフラットに戻して考え直しています。

傾聴講座、対話講座と2年続けて受講してくださった方たちがいる。

一方で、これから新しく学んでみたいと思ってくださる方たちもいる。

その二つは、同じ入口にしない方がいいのかもしれない。

今は、そんなふうに感じています。


そして、改めて傾聴というと、多くの人は「相手の話を聴くこと」だと思うかもしれません。

相手を受け止めること。

相手に寄り添うこと。

相手の話を遮らずに聴くこと。

もちろん、それはとても大切です。


でも、ALL EARSで傾聴編、対話編と深めてきて、今あらためて感じていることがあります。

それは、

傾聴は、相手のためだけのものではない。

ということです。


相手の話を聴いているようで、実は私たちは、自分の中にある問いの深さ、自分の見方、自分の違和感の感度にも出会っています。


なぜなら、

自分の中にない問いは、相手に向けることができないからです。

たとえば、誰かがこんなふうに話したとします。

「本当はやりたいことがあるんですけど、なかなか動けなくて」

この言葉を聴いたとき、人によって出てくる質問はまったく違います。


「何をやりたいんですか?」

「いつから動けないんですか?」

「何がブレーキになっているんでしょう?」

「本当にそれをやりたいと思っていますか?」

「動けないことで、何を守っているんでしょう?」


同じ言葉を聴いているのに、出てくる質問が違う。

それは、聴き手がどこを見ているかが違うからです。


出来事を見ている人。

感情を見ている人。

行動の原因を見ている人。

その人の前提を見ている人。

その奥にある願いや恐れを見ている人。


質問は、相手の中から生まれているようで、実は聴き手の内側からも生まれています。


だから、傾聴はとても正直です。

相手の話を聴いているつもりで、

自分が何を見ている人なのかが表れてしまう。


相手の話のどこに反応するのか。

どこを深めたいと思うのか。

どこを流してしまうのか。

どこに違和感を覚えるのか。


逆に、どこに違和感を覚えられないのか。

そこには、聴き手自身の問いの器が出ます。


傾聴を学ぶとき、多くの場合は「相手をどう理解するか」に意識が向きます。


でも本当は、相手を聴くことを通して、

私はどんな問いで世界を見ているのか

が見えてくるのです。


たとえば、相手がこう言ったとします。

「家族に迷惑をかけたくないので、自分のやりたいことは後回しにしています」


この言葉に対して、

「家族思いなんですね」

と受け取ることもできます。

でも、別の聴き方をすると、こんな違和感が立ち上がるかもしれません。

「迷惑をかけないこと”と自分を生きることが、いつから対立するものになったのだろう?」


この問いが立つかどうかは、聴き手の中にその視点があるかどうかに関係しています。


もし、自分の中に「人はなぜ自分の願いを後回しにするのか」という問いがなければ、その違和感には気づけないかもしれません。


もし、自分の中に「やさしさの形をした自己犠牲」という視点がなければ、その人の言葉の奥にある痛みを通り過ぎてしまうかもしれません。


もちろん、すべてを深読みすればいいわけではありません。


相手の話を勝手に解釈したり、決めつけたりすることは、傾聴ではありません。

でも、ただ「大変だったね」で終わるだけでは、届かない領域もあります。


「大変だったね」は大切です。

まず受け止めることは必要です。


でも、その先に、

この人は何を守ろうとしているのか。

何を言えずにいるのか。

どんな前提の中で苦しくなっているのか。

本当はどんな願いがあるのか。


そんな文脈を見て、相手が受け取れる形で返すことができたら、対話はもう一段深くなります。


私はそれを、シルキーなフィードバックと呼んできました。

シルキーなフィードバックとは、ただやさしく返すことではありません。


相手を傷つけず、でもぼかさずに、

その人の文脈や真実にそっと触れる返し方です。

鋭く言い当てることが目的ではありません。

相手より先に答えを出すことでもありません。

相手が、自分で自分のことを少し違う角度から見られるようになる。


そのために、言葉を返す。

つまり、フィードバックとは、相手の中に新しい問いが生まれるように返すことでもあるのです。


ここで大事なのは、問いは一方通行ではないということです。

相手に向けた問いは、必ず自分にも返ってきます。


「あなたは本当は何を望んでいるのでしょう?」

そう問いかけたとき、

その問いは自分にも返ってきます。


「私は本当は何を望んでいるのだろう?」

「何を守ろうとしているのでしょう?」

そう問いかけたとき、

その問いもまた、自分に返ってきます。


「私は今、何を守ろうとしているのだろう?」

だから、傾聴は相手のためだけのものではありません。


相手の言葉を通して、自分の問いも育っていく。

相手の違和感を聴こうとすることで、自分の違和感の感度も育っていく。

相手の文脈を見ようとすることで、自分がどんな文脈の中で生きているのかにも気づいていく。


傾聴とは、相手を理解するための技術であると同時に、

自分がどんな問いで世界を見ているのかを知る入口なのです。


これまでALL EARSでは、傾聴編、対話編を通して、

聴くこと。

受け取ること。

質問すること。

背景を想像すること。

フィードバックすること。

を扱ってきました。


そして今、次の段階として見えてきているのは、

問いを育てる傾聴

です。


相手を聴くことで、自分の問いが育つ。

自分の問いが育つことで、相手への聴き方が変わる。

聴き方が変わることで、対話の質が変わる。

対話の質が変わることで、その人の見え方が変わる。


傾聴は、ただ相手の話を受け止めるだけではありません。

相手の中にある言葉にならないものに耳を澄ませながら、

同時に、自分の中にある問いの輪郭にも気づいていくこと。


人を聴くことは、

自分の問いの輪郭を知ること。


そして、問いが深まるほど、

私たちは相手の言葉の奥にある文脈や真実に、より静かに、より丁寧に触れられるようになります。


ALL EARSは、これからその次の段階へ進んでいきます。

傾聴は、自分に返ってくる。


この視点から、

聴くこと、問うこと、返すことを、もう一度深めていきたいと思っています。