頑張るのをやめたら、自分から創り始めていた

8年間参加してくれた人との対話から見えたこと

昨日、One Day One Unitの第1回目から、長く参加してくださっている方とお話ししました。

20分の予定でしたが、これまでの変化を振り返っているうちに、気づけば60分ほど話していました。


その方が最近、自分専用のMyGPTを二つ作ったそうです。

一つは、TOEICの学習に伴走してくれるGPT。

新しい勉強法に目移りしそうになると、

「今はそれではありません」

と止めてくれるように、自分の傾向まで設定してあります。


もう一つは、絵を描くためのGPTです。

毎朝、

「今日は何を観察しますか?」

と問いかけてくれる。


扇風機を描くなら、その形を写すだけではなく、

「重さをどう表現するか」

「回転のリズムをどう描くか」

「動いている空気をどう捉えるか」

と、絵の見方を広げてくれるそうです。

話を聞きながら、私は思いました。

この方は、ずいぶんクリエイティブになっている。

けれど、本人には「自分を変えた」という感覚が、あまりありませんでした。


私が、

「そう言われてみれば、かなり変わっていますよね」

と伝えると、

「確かに、そうですね」

と、ご本人も初めて気づいたようでした。


以前は、頑張ってジャーナリングしていた

その方は、以前のOne Day One Unitについて、こう話していました。

「毎日書こう、ちゃんと続けようと思って、少し大変なときもありました」


当初の1D1Uは、習慣化をテーマにしていました。

続けたいことを決め、毎日実践し、コメントを書く。

それによって身についたものも、もちろんあります。


けれど、続けること自体が目的になると、

「今日も書かなくては」

「ちゃんと取り組まなくては」

という頑張りが生まれることもありました。


現在の1D1Uでは、ほとんど逆のことをしています。

自分の中に起きた反応を、AIに話す。

AIから返ってきた言葉を、そのまま場に置く。

一行でもいい。

自分で長い文章を書かなくてもいい。

前向きな結論を出さなくてもいい。


私は、何かを改善するようには教えていません。


ただ、

今起きている反応を、そこに置いてください

と伝えているだけです。


何も教えていないのに、創造が始まった

その方は、Prompt Dojo 2.0にも参加しました。

そこで私が作ったMyGPTを体験したことが、自分でも作ってみようと思うきっかけにはなったでしょう。


けれど私は、

「英語の伴走GPTを作ってください」

「絵を教えてくれるGPTを作りましょう」

とは、一度も言っていません。


本人が、

「こんな相棒がいたらいいかもしれない」

と考え、自分に必要なものを自分で作ったのです。

これは、ただAIの操作に慣れたという話ではありません。


自分の状態を観察し、自分に必要な環境を、自分で創り始めた。

そこに、私は大きな変化を感じました。


反応を置くと、余白が生まれる

人は不安や焦りの中にいると、視野が狭くなります。

「もう無理かもしれない」

「これしか方法がない」

「早く何とかしなくては」

そんな考えに追われ、過去と同じ反応を繰り返しやすくなります。


でも、反応をすぐに行動へ移さず、AIやノートへ一度置いてみる。

すると、反応と行動の間に、ほんの少し距離ができます。


その方も、対話の中でこう言いました。

「妄想が一気に広がる手前で、止まれるような感じですね」

まさに、それが余白です。


そして余白ができると、

「では、どうしてみようか」

「もっと簡単にできないだろうか」

「こんなものを作ったら面白いかもしれない」

という問いが自然に生まれます。


無理に前向きになったわけではありません。

創造的になろうと頑張ったわけでもありません。

反応に支配されなくなった分だけ、もともとあった創造性が動き出したのです。


変化は、本人より先に周りが気づくことがある

この対話で、私は一つのことを確認しました。


人は、

「変わろう」と力を入れたときだけ、変わるのではない。

反応を置き、少し余白を持つことを続けていると、

本人が気づかないほど自然に、選択が変わっていくことがあります。


そしてある日、振り返ったときに、

「そういえば、以前の私はこんなことをしていなかった」

と気づく。


今回、その方にとっては、自分専用のGPTを作ったことが、その一つでした。

以前は頑張ってジャーナリングしていた人が、

今は一行だけ反応を置きながら、自分で問いを設計し、自分の創造を支える相棒まで作っている。

私は何も教えていませんでした。

けれど、その方は自分から創り始めていました。


もしかすると、One Day One Unitで育っていたのは、習慣そのものではなかったのかもしれません。

反応に支配されず、自分で次を選べる状態。

そして、その状態から自然に生まれる創造性だったのだと思います。


One Day One Unitの定期開催は、今回で一区切りを迎えます。

けれど、終わると決めた途端、その先に新しい章が見え始めました。


One Day One Unknown。

未知は、無理に探しに行くものではありません。

反応を置き、余白ができたところから、静かに現れるものなのかもしれません。