答えを教えてくれなかった人たち|ALL EARS 2.0で教えること

20年以上前、アパレル店長をしていた頃、私はよく周囲に相談をしていた。

店長として迷うことも、どうしたらいいのかわからないことも、たくさんあったからだ。

不思議だったのは、私が相談していた相手の多くが、アパレル店長を経験したことのない人たちだったことだ。

だから当然、「こうしたらいいよ」という具体的な答えが返ってくるわけではない。

代わりに渡されたのは、「物の見方」だった。

私とは違う角度から、その出来事を見る。

すると、それまで「問題」にしか思えなかったものが、少しずつ違って見えてくるのだ。

アパレル時代の社長に相談したときも、そうだった。

私は喉から手が出るほど答えが欲しいのに、欲しい答えは返ってこない。

当時は、「なんでみんな、答えを教えてくれないんだろう」と少しもどかしく思っていた。

けれど今になって振り返ると、答えをもらえなかったことこそが、自分にとっての大きな救いだったのだと思う。


手渡された「物の見方」は、私の中にそっと残る。

それが自分への問いとなり、しばらく心の中に留まり続ける。

そしてあるとき突然、自分自身で答えにたどり着く。

そんな体験を、私は何度も重ねてきた。


 「私は、なぜ褒められたいんだろう?」

店長時代、ずっと心に引っかかっていたことがあった。

私は私なりにかなり頑張っているはずなのに、上司からあまり褒められない。

「こんなにやっているのに、なんで認めてもらえないんだろう」

そんなモヤモヤを抱えていたある日、突然、自分の中からひとつの問いが湧き上がってきた。

「私は、なんでそんなに上司に褒められたいんだろう?」


そこで、ハッとした。

私は店長だ。

だとしたら私は「褒めてもらう側」ではなく、「部下を認める側」に立つ存在なのではないか。

その瞬間、立っている場所と視界がガラリと変わった。

「どうしたら上司に認めてもらえるか」ではなく、

「部下をしっかり認められる店長であるために、私はどう在ればいいのか」へ。

すると、それまで抱えていた悩みが、すっと消えていった。

問題の答えを見つけたというより、問題を見ていた自分自身の「位置」が変わったのだ。

あの頃、色々な人から手渡されてきた「物の見方」が自分の中に少しずつ積み重なり、いつしか自分自身へ問いを返せるようになっていたのだと思う。


教えてくれない先生

……それなのに、である。

40代半ばになった頃、私は華道を習い始めた。

ジムのヨガクラスでご一緒していた、80歳近い女性の華道の先生のところに、突然入門したくなった。その美しい佇まいを見ているだけで、「この方から何かを教わりたい」と強く惹かれ、お願いして稽古に通い始めた。

ところが——まったく、教えてくれない。

習い事とは、先生が具体的なやり方を手取り足取り教えてくれるものだと思っていた私は、内心かなり憤慨していた(笑)。

「ここはこうします」「これはこう生けます」と指示してもらえるものだと思い込んでいたのだ。

結局、コロナ禍やスケジュールの都合も重なり、華道はやめてしまった。たった6年ほど前のことだ。だから、それほど昔の話でもない。


けれど今になって、ふと思う。

あの先生もまた、「やり方(答え)を教える人」ではなかったのかもしれない。

もちろん、先生が実際に何を考えておられたのかはわからない。問いを投げかけられていたのかどうかも、正直よく覚えていない。

けれど、あの人の前で花を生けること。

あの佇まいを間近で感じること。

同じ空間の空気を吸うこと。

そうした体験そのものの中に、受け取るべき大切な何かがあったのかもしれない。

当時は「なぜ教えてくれないのか」と不満に思っていたけれど、理解というものは、6年遅れでやってくることもあるらしい。


「何を言ったらいいんでしょう?」

先日、私が主催する対話プログラム「All Ears」の3期目を受講される方と、食事をしながら話していた。

その方は最近、職場で周囲から相談されることが増えたという。

「相談に乗ってほしい」「一緒に食事に行きませんか」と声をかけられることが多くなり、以前よりずっと落ち着いて人と向き合えるようになった、と話してくれた。


そこで、私は尋ねてみた。

「なぜ、みんなあなたに相談するんでしょうね?」

もしかすると相談してくる人たちは、「この人が正しい答えを教えてくれる」と期待しているわけではないのかもしれない。

その人のまとっている落ち着いた空気。

話を丁寧に聞いてくれそうな安心感。

「この人に話したら、何か違う見方ができるかもしれない」という直感。

相談者たちは、その佇まいから何かを感じ取っているのではないだろうか。


けれど本人は、「何を言ってあげたらいいんだろう」と誠実に悩んでいた。

それもまた、かつての私と同じ姿だった。

「相談されたら、何か答えを返さなければいけない」

「役立つアドバイスをしなくては」

そう思ってしまうけれど、相手が本当に必要としているのは、手っ取り早い答えではなく「新しい物の見方」なのかもしれない。


答えではなく、見方を渡す

「物の見方」を、ひとつそっと渡す。

するとそれが、相手の心の中で小さな「問い」として芽生える。

その場では何も起きないかもしれない。けれど、その問いを持ち帰って自分自身で深めていくうちに、ある日「あれ?」と、これまでとは違う高い場所から自分の姿を見つめる瞬間がやってくる。

そのとき、自分自身の手で答えを掴み取るのだ。

私自身が、そうやって育てられてきた。

だからこそ、「All Ears」3期目の学びである「Silky Feedback」で伝えたいことも、今回の対話を通してより鮮明になった。

「こういう相談には、こう返しましょう」というノウハウやメソッドを教えたいわけではない。

  • 自分自身の感性をしなやかに磨くこと。
  • 多様なものを見、聞き、体験すること。
  • 一つの出来事を、一つの角度からだけで判断しないこと。
  • 表面的な言葉の裏にある、その人の「文脈」を味わうこと。

そして必要なときに、相手がまだ気づいていない新しい景色を、そっと差し出せること。

それは、一言の問いかもしれない。


自分の実体験から生まれた言葉かもしれない。

あるいは、まったく別の世界で触れた知恵かもしれない。

それによって相手の認識がふっと動き、自分の力で答えを見つけていく。

それこそが、私が目指す「Silky Feedback」の本質みなのだと思う。


何を言うか、ではなく

相談される人になったとき、私たちはつい「何を言えばいいのだろう」と考えてしまう。

けれど、その前段階にあるものの方が、ずっと大切なはずだ。

  • 私は、何を見つめているのか。
  • 私は、この出来事をどんな解釈で捉えているのか。
  • そして、相手にはまだどんな景色が見えていないのか。

答えをたくさん抱え込んだ「正しい人」になる必要はない。


物の見方を豊かに育て、自分の中の問いを深め、感性を磨き続けていくこと。

そうやって自分自身の生き方を整えている人のもとへ、いつしか「ちょっと話を聞いてもらえませんか」と人が集まってくるのだろう。


考えてみれば、昔の私に答えを教えてくれなかった人たちも、まさにそんな存在だった。

彼らは答えをくれなかった。だからこそ、私は自分で考える力を手に入れた。

そしていつの間にか、自分自身に問いを投げかけられるようになっていたのだ。

教えてくれなかった人たちから、多くのことを教わっていたのだ。