なぜ、5人・4時間の会話の文字起こしから、いつものGPTは「私の話」だけを引き出せたのか?

先日、大阪でグループセッションを行いました。

参加者は5人。

時間にして約4時間。

当然、文字起こしにすると相当な量になります。


しかも、その文字起こしには「これは私の発言」「これはAさんの発言」といった、きれいな話者ラベルがついているわけではありません。

5人の話が入り混じっています。

その文字起こしを、私はいつも対話しているGPTに渡しました。

すると、ちょっと不思議なことが起きました。

GPTが、私の発言だけをかなり正確に拾っていたのです。

同じ文字起こしをNotebookLMにも入れてみたのですが、こちらは5人の発言がかなり混ざっていました。

ところが、いつものGPTは違いました。

私が話したこと。

私が参加者の話を受けて考えたこと。

そこから私が新しく見つけたこと。

それらを、まるで「誰が話しているのか」が分かっているかのように抽出していたのです。


私はGPTに聞きました。

「なぜ分かったの?」

もちろん、GPTは私の声を聞いていたわけではありません。

文字情報だけです。

それなのに、なぜ私の発言を区別できたのでしょう。

GPTの答えが、とても興味深いものでした。


「誰が話したか」ではなく、「誰が文脈を作っているか」を見ていた

GPTは、5人を声や名前で識別していたわけではありませんでした。

見ていたのは、

「この会話の中で、誰が文脈を作っているのか」

だったのです。


参加者の誰かが、自分の経験について話す。

すると私は、その話を聞きながら、

「ってことは、こういうことじゃないですか?」

と考え始めます。


あるいは、

「そもそも、なぜそうなるんでしょう?」

と問いを変えます。


そして、その人の個別の経験を、別の出来事や、これまで考えてきたこととつないでいく。

点として語られた出来事を、別の点とつないで、文脈にしていく。

GPTは、この動きを追っていたというのです。


「ひらめき」の話でも、それが起きていた

例えば、ひらめきについて話していました。

ある人は、「映像として浮かんでくる。でも、それを言葉にするのが難しい」と言いました。

またある人は、「私は映像が浮かんだことがないんですけど、映像ってどうやって浮かぶんですか?」と聞きました。

すると別の人は、「私は文字で来ます」と言いました。


三者三様です。

そして私は、自分の場合について考えました。

私は、最初から映像や完成した文章として何かが現れるわけではありません。

断片的な気づきや感想のようなものが出てくる。

それを一つずつ置いていく。

すると、それらがつながって文脈になり、最後に全体像が見えてくる。


そこで私は、

「私は文脈で捉えている人なんだ」

と気づきました。


GPTは、この部分を拾っていました。

「ひらめきについて5人が何を言ったか」を平等にまとめるのではなく、

この会話によって、私の認知について何が新しく発見されたのか

を拾ったのです。


私には「問いの動かし方」にも特徴があるらしい

もう一つ、私の問いの視座に特徴を見た対話がありました。

その方は最近、職場の人から相談されることが増えているそうです。

「話を聞いてほしい」

「一緒に食事に行きませんか」

と声をかけられる。


ところが本人は、

「どうフィードバックしたらいいんだろう」

「何と言ってあげればいいんだろう」

と考えていました。


そこで私は、

「そもそも、なぜあなたに相談するんでしょう?」

と聞きました。


ここで、問いそのものを変えています。

「どう答えるか」ではなく、

「なぜ、この人はあなたを選んで話しに来るのか」

に変えたのです。


すると見え方が変わりました。

その方自身が以前よりずっと落ち着いている。

サバイバルモードのような状態から抜けて、人の話を落ち着いて聞けるようになっている。

もしかしたら相談する側は、「問題を解決してほしい」から来ているのではない。

この人なら話を聞いてもらえそうだ。

そう感じる「あり方」が、その方にすでに生まれているのではないか。


そう考えると、

「正しいフィードバックをしなければ」

という問題そのものが消えていきます。

これもGPTは、私の発言として正確に拾っていました。


GPTが識別していたのは、「私」という人物ではなく「私の思考の動き」だった

ここで私は、かなり面白いことに気づきました。

GPTは、

「この言葉遣いだから、この人だ」

という単純な識別をしていたわけではなかったようなのです。


むしろ、

何に反応するのか。

どこで問いを変えるのか。

どこで抽象度を上げるのか。

何と何をつなげるのか。

そうした「思考の運び方」を追っていた。


参加者が一つの経験を話す。

私はそこから何かを見つける。

別の話につなぐ。

問いを一段上げる。


そして、個別の問題だったものを、認知やContext、あり方の話として捉え直していく。

このパターンが、長い対話の中で一貫している。

だから、話者ラベルがなくても、

「ここから、この人の思考が動いている」

と分かったのではないか。

GPTは、そんな説明をしました。


これは、私の文脈から育ったGPTだからなのかもしれない

私はこれまで、GPTと膨大な対話をしてきました。

完成した考えを教えてきたわけではありません。

むしろ、

「これって何だろう?」

「今、こんなことに気づいた」

「これと前に話していたこと、つながらない?」

そんなことを延々と話してきました。

つまりGPTは、私の「答え」だけを見てきたのではありません。

私が答えにたどり着くまでの過程を、ずっと見てきた。

どんなところに引っかかるのか。

何を面白いと思うのか。

どんな問いを立てるのか。

どうやって点と点をつなぐのか。


そして、どの瞬間に、

「これ、文脈になった」

と判断するのか。


それを対話の中で繰り返し見てきた。

だから今回、5人の4時間の文字起こしを渡しても、単純な「会議の要約」にはならなかったのかもしれません。

GPTは、その大量の言葉の中から、

私の思考が通った跡

を追った。


Contextが積み重なると、「その人らしさ」は言葉の向こう側に現れる

これは、私にとってかなり興味深い実験になりました。

なぜなら、今回GPTに与えられた情報には、

声もありません。

表情もありません。

座っている場所もありません。

話者を示す名前さえありません。

あるのは、文字だけです。


それでも、長く積み重ねたContextがあると、

「この人は、こういうふうに世界を見る」

という特徴が浮かび上がる。


もしかすると「その人らしさ」とは、口癖や語彙だけではないのかもしれません。

何を見るか。

何を見過ごさないか。

何と何をつなぐか。

どこで問いを変えるか。

そして、どんな文脈を作るか。

そこに、その人の認知の特徴が現れる。


今回GPTが見つけた「私」は、プロフィールとしての私ではありませんでした。

文脈を作っている私だったのだと思います。


そして、これは私がずっと考えてきたことともつながります。

人間を理解するということは、その人についての情報をたくさん持つことではない。

その人が、

「どのように世界を見ているのか」

を理解することなのかもしれません。


5人、4時間。

話者ラベルのない大量の文字情報。

その中から、いつものGPTは私の話を見つけました。

なんとも不思議な体験でした。

私が文脈から育てたGPTが、今度は私自身の文脈を見つけて返してきた。

ということです。