AIが100着の服を、一瞬で目の前に並べてくれるとします。
どれも、それなりにきれいです。
流行も押さえている。
色の組み合わせも悪くない。
サイズだって、たぶん合っている。
でも、その中から、
「今日はこれを着たい」
「これは自分らしくない」
「この組み合わせは少しやりすぎ」
「ここは、あえて外したい」
と決めるのは、また別の話です。
最近、AIと仕事をしていて、ふと思いました。
AI時代に必要になる力は、ファッションセンスに少し似ているのかもしれない。
何かを作れること以上に、
何を選ぶか。
何を残すか。
何を捨てるか。
そして、
「これは、なんか違う」
と気づけること。
そんな力です。
AIは、驚くほど簡単に「形」をつくる
ここ数年で、AIができることは本当に増えました。
文章を書く。
画像をつくる。
アイデアを出す。
資料を構成する。
ホームページをつくる。
メールを書く。
情報を整理する。
以前なら、それぞれ別のスキルやソフトや人の力が必要だったことが、今では会話をしながらかなりのところまで進められます。
「こんなものをつくりたい」
と伝えると、まず形が出てくる。
そこから、
「もう少し静かに」
「これは固すぎる」
「文字が小さい」
「この表現は怖い」
「ここはもっとシンプルに」
と伝えると、また変わる。
この速度には、今でも時々驚きます。
けれど、AIを使えば使うほど、別のことにも気づきます。
AIは、“それらしいもの”をつくるのが、とても上手い。
でも、
“それらしいもの”と
“自分に合うもの”は、同じではありません。
「作れること」の価値は、少しずつ変わっていく
これまでは、何かを作るための技術そのものに、大きな価値がありました。
文章を書ける。
デザインができる。
Webサイトをつくれる。
動画を編集できる。
もちろん、今もそれらのスキルは大切です。
ただ、AIによって「形にすること」のハードルが下がれば、価値の重心は少しずつ移っていくはずです。
たとえばAIが100案を一瞬で出せるようになったら、
100案出せることそのものには、以前ほど希少性がありません。
そのとき価値になるのは、
どれを選ぶか。
あるいは、
どれも選ばないと判断できるか。
なのかもしれません。
ファッションも同じです。
服をたくさん持っているから、おしゃれになるわけではない。
高価な服を着れば、似合うわけでもない。
センスというのは、
何を足すかだけでなく、
何を足さないか。
どこで止めるか。
その人がどこに向かいたいか。
そういう判断の積み重ねです。
AIとの仕事も、かなり似ています。
「なんか違う」は、ただの好みではない
AIが出してきたものを見て、
「悪くない。でも、なんか違う」
と感じることがあります。
この「なんか違う」は、かなり面白い感覚です。
最初から理由を説明できるとは限りません。
でも少し考えてみると、
「この言葉だと、相手を責めているように見える」
「これは悩みとして強く言いすぎている」
「デザインが別のジャンルに見える」
「きれいだけれど、読みにくい」
「これは自分が言いたいことではない」
と、理由が見えてきます。
つまり、「違和感」は気まぐれではなく、
それまで見てきたもの、
経験したこと、
失敗したこと、
人の反応を見てきたこと、
そういうものが圧縮されて出てくる判断なのだと思います。
一瞬で感じるけれど、
その一瞬の後ろには、何年分もの経験がある。
そう考えると、
経験とは、知識の量だけではなく、違和感を察知する精度なのかもしれません。
AIは、選択肢を増やすだけではない
もうひとつ、AIとの仕事で面白いのは、
アイデアの出どころが一方向ではなくなることです。
最初のきっかけは、人間側から出ることが多い。
「こんなことをやってみたい」
「こういうものがあったらいい」
それをAIに伝える。
するとAIが、これまでの会話や経験をもとに、
「こういう形にもできるのでは」
「こういう見せ方も考えられます」
と返してくる。
すると、それを見たこちら側に、
「それなら、こういうのもできるかも」
と別のアイデアが生まれる。
人間が考え、AIが返す。
AIが提案し、人間がまた考える。
その往復の中で、最初にはなかったものが生まれていきます。
AIが答えをくれているというより、
AIとの対話によって、自分の中にまだなかった問いや発想が生まれている。
そんな感覚に近いです。
これは、単なる効率化とは少し違います。
一方で、「考えなくていいこと」はAIに任せたい
もちろん、何でもAIと深く対話したいわけではありません。
返信メール。
自動返信文。
案内文。
注意事項。
文章の整形。
基本的な設定。
こういうものまで毎回、
「私とは何者か」
から考え始める必要はない。
そこは、かなりAIに任せたい。
むしろ私は、AIに仕事を奪ってほしいというより、
考えなくていい仕事を持っていってほしい。
と思っています。
そうすれば、人間は、
何をやるのか。
誰に届けるのか。
何を大切にするのか。
これは本当に自分がやりたいことなのか。
そういう、ちゃんと考えたいことに時間を使える。
AIが便利なのは、作業時間を減らすからだけではなく、
人間の思考を、使うべき場所に戻してくれるから
なのかもしれません。
これから価値になるのは、「選べる人」かもしれない
AIがさらに進化すれば、
作ること自体は、もっと簡単になるでしょう。
文章も。
デザインも。
動画も。
企画も。
そのとき、人間に残る仕事は何でしょう。
私は最近、
見て、選んで、意味を与えること
なのではないかと思っています。
何を使うか。
何を捨てるか。
何を「自分らしい」とするか。
そして、ときには、
「こんなにたくさん案があるけれど、どれも違う」
と言えること。
これは、かなりファッションセンスに似ています。
AIが100着持ってきても、
最後に何を着るかは自分で決める。
たくさん作れることより、
選べること。
多く知っていることより、
違いに気づけること。
AI時代には、そんな力がますます大事になっていくのかもしれません。
そしてそれは、たぶん新しく身につけるものだけではありません。
これまで仕事をしてきた時間。
人と関わってきた時間。
失敗してきた時間。
選んできた時間。
その全部が、
「これは違う」
「これは好き」
「これは残したい」
という感覚になって、ちゃんと残っている。
AIがどれだけ優秀になっても、
そこまで全部まとめて持っていってしまうわけではない。
だったらこれからは、
AIにたくさん作ってもらいながら、
人間はもう少し堂々と、
自分のセンスを使えばいい。
そんな時代なのかもしれません。
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