今日、YouTubeでチームラボ代表の猪子寿之さんの話を見ていた。
その中で、大学生の頃に初めてルーブル美術館へ行き、モナリザを見たときの話をしていた。
モナリザの前には、たくさんの人がいた。
人が多すぎて、ジャンプしながら見たそうだ。
そこで猪子さんは、前にいる人たちを見て「嫌だな」と思った。
でもその直後に、
「前の人たちを嫌だと思っている自分も嫌だ」
と思ったという。
そして、なぜそんなことが起きるのかを考えた。
モナリザという作品と、その前にいる人たちが、関係していないからではないか、と。
人が一人増えても、減っても、モナリザそのものは変わらない。
観る人は、作品の外側にいる。
でも、本来この世界はそうではない。
人も、他者も、環境も、互いに関係しながら存在している。
そんな話を聞いていたら、
「ああ、これ、私が最近考えていたことにもつながるな」
と思った。
チームラボの作品は、人が中に入る。
歩く。
触れる。
動く。
そこに別の人もいる。
すると、その瞬間、その人たちがいることによって作品の状態が変わっていく。
作品が先に完成していて、それを外から鑑賞するのではなく、
人がそこに入ることで、その瞬間の作品が立ち上がる。
同じ場所でも、そこにいる人が違えば、同じものにはならない。
これって、なんだか面白いなと思ったのである。
そして、ふと自分の仕事のことを考えた。
私も、講座やコミュニティや対話の場を長くつくってきた。
もちろん、テーマを決めたり、問いを考えたり、コンテンツを用意したりはする。
でも、実際にそこで何が起きるのかは、始まってみないとわからない。
誰かが一言話したことで、違う方向へ話が進むこともある。
誰かの経験を聞いて、別の人に新しい問いが生まれることもある。
私自身も、参加している人たちの反応によって、予定していなかった言葉を返すことがある。
そう考えると、
私がつくっているのは、完成された「中身」だけではなく、
人が入ることで何かが生まれる環境なのかもしれない。
そんなふうにも思えてきた。
猪子さんは別の話の中で、渦を例にしていた。
渦は水でできている。
渦ではない場所も、同じ水でできている。
物質そのものは同じなのに、そこに流れが生まれ、秩序が生まれると、「渦」という存在が立ち上がる。
その話も、とても印象に残った。
何かをつくるというと、
私たちはつい「物」をつくることを考える。
商品をつくる。
サービスをつくる。
コンテンツをつくる。
でも、もしかすると、
流れをつくることも、ひとつの創造なのかもしれない。
人が加わる。
言葉が動く。
反応が起きる。
情報が動く。
感情が動く。
選択が動く。
そして時には、お金も動く。
その流れの中から、それまで存在していなかった関係が生まれていく。
そんなことを考えていたら、
今週、自分がやっていたことも少し違って見えてきた。
私はこのところ、いくつかの新しい場所に参加した。
自分のプロフィールを書き、
これまでの経験を棚卸しし、
サービスをつくり、
商品として置いてみたり、
仕事に応募してみたりした。
まだ、それがどんな結果につながるかはわからない。
売れるかもしれないし、売れないかもしれない。
仕事につながるかもしれないし、つながらないかもしれない。
でも、今まで外から眺めていただけの場所に、
自分が入っていった。
そして、そこに自分の商品や言葉や経験を置いた。
その時点で、少なくとも昨日までとは違う。
誰かが見るかもしれない。
何かを感じるかもしれない。
比較するかもしれない。
連絡するかもしれない。
そこから仕事が生まれるかもしれない。
そして、その反応を受け取った私は、また次の動きを変えていくだろう。
つまり、
場に参加すると、場も少し変わる。
そして、自分もまた、その場によって変わっていく。
結果が出る前にも、すでに何かは始まっている。
そんなことを今日は考えていた。
私たちは、成果が見えないと、
「まだ何も起きていない」
と思いがちである。
でも本当は、
新しい場所に入った時点で、
新しい人と関係した時点で、
これまでとは違う流れの中に足を入れている。
その小さな参加が、
やがて何かの渦になることもあるのかもしれない。
今週の私は、いろんな場所に入った。
まだ渦と呼べるほどのものは何も見えていない。
でも、
水はもう、動き始めている。
今は、そんな感じがしている。
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