本人が一番自分のことをわかっていない事件。

 昨日は、中田敦彦さんの顔出し引退撤回宣言の動画がありましたね。

 本人が一番本人のことをわかっていなかったことが明かになり、その分かっていなかったことを知った本人は、自己肯定感が爆上がりし、最強になった! ようにお見受けしました。

 そう、自分が一番自分のことをわかっていないのです。あんなにアウトプットしている人でさえも。でも、気づいてしまったら、どうなっていくのでしょうか? これからの中田さんがますます楽しみになってきました!

 それで私自身のことを振り返ってみても、自分で「堀口ひとみ」のことを完全に理解しているわけではありません。こうして毎日ブログを書いていても、これは人が読むものですし、セッションのことをベースに書いているということは、私のことを書いているのではないのです。守秘義務的に書いてはいけないクライアントさんのことを書こうとしているので、脚色しなくてはいけないですし、ぼやかさなければいけません。そこに違和感を抱えつつも、16年間も毎日執筆をしています。今でこそ、さっと書けるわけですが、やはり人のことをベースに書いているのは変わりありません。

 そこで、コーチの播磨さんとのセッションで、別の提案が出てきました。「世の中に出さないものを書いてみたら?」と。私もうすうす感じていたことです。

 最近古典のレビューをYouTubeで視聴していて気づいたことがあります。方丈記、徒然草、学問ノススメなど、著者たちは自分の主張を書いているということです。

 一方私は自分の主張は、書かないようにしてきました。自分の体験を語っておきながら、「あなたはどうですか?」と、最後は相手に振るのです。コーチとしてはそれはとても大事なことですし、私もすべて主張を書く必要がなく、相手に振ってしまえるのは、とても楽なやり方だなと感じています。また主張していないので、批判を浴びることもないでしょう。

 しかしそれで本当に自分のことがわかるのか? いや分かりませんよね。

 今、『かないずむ』をリメイクしていますが、あれはビフォーコーチの私であり、「あなたはどうですか?」と、全く振っていないバージョンの私です。それを読んでいるのもあり、今の発信とのギャップをとても感じています。

 このブログでクライアントさんのことを題材にしているので、「その記事消してください」と言われ、謝ることも出てきてしまうわけです。そこを危惧して、ずっとこのブログを書き続けています。

 ということで、私も本人が一番自分のことをわかっていない気がしてきたので、世の中に出さないエッセイを、これから書いていくことにしました。鴨長明さんのように、小さな小屋が欲しくなってきました。(笑)