宇多田ヒカルさんの「自分を愛する」について。

 昨日は、メンターの金井さんに「VOGUE7月号の表紙の髪型」をお願いしました。最新の宇多田ヒカルさんのヘアスタイルです。これまでもショートなので、似ているヘアスタイルになったことがありましたが、今回は前下がりボブからのスタイルチェンジということで、型ごと変わるほどの大施術でした。

 そのVOGUEに宇多田ヒカルさんのインタビュー記事があって、「自分を愛すること」についても語られています。インタビュアーの方も素晴らしい引き出し方で、これまでに聴いたことのないような対話的なインタビューでした。

 そのインタビューは初耳のことばかりで、宇多田さんは精神分析医との対話を長年続けられており、しかも週5、週3でだそうです。趣旨は以下のように語られていました。


「無意識にある自分の言動や洗濯に多大な影響を及ぼしていて、なんでこんなことを繰り返しちゃうんだろう、なんでこうしちゃうんだろうっていうのを紐解いていくのが趣旨です。・・・・・無意識や過去をいろいろ探検しに行かないといけなくて、自分の中のジャングルに行くみたいな感じで、そのガイドさんがいる感覚ですね」


 私は精神分析医とは違いますが、コーチングの対話もそういうことに近いと思いながらインタビューを興味深く読みました。長年セッションを続けているクライアントさんとの対話は、そんな感じです。セッションが長いと、「ゴール設定をして、そこに向けてどうしていくか?」という対話がそんなに必要なくなっていくというか、そうすると自然と今感じていることの違和感を話してみて、それを紐解いていくようなセッションになっていきます。


 それにしても宇多田さんが、そんなに自分の無意識や過去に行く対話の時間を持っていたとは、驚きました。

 そして、「自分を愛する」ことについては、「子供に『愛されてる』と感じてほしいからしていることを、自分にもしてあげればいい」とまとめられていました。

 私が20代のころ、「自分がしてほしいことを相手にしてあげる」というのを、サービス業の考え方で学んだことがあったのですが、それだと、自分がしてほしいことと、相手がしてほしいことに違いがあって、なんだか成立しないと思ったことがあったんです。それを考えてみると、宇多田さんのベクトルである「相手にしていることを自分にする」というほうが、なんだかしっくりきました。


 でもこのパンデミックで、お客様を家に呼ばなくなったことで、一人暮らしの私は、すべてが「自分へのおもてなし」状態になっていきました。そうすると、「自分を大切に扱うように、人のことも大切に扱う」というベクトルになってきたように思います。

 パンデミックではお客様用の食器を用意する必要がなくなって、お客様用の食器が自分の食器になっていくみたいな感じです。そう考えてみると、相手と自分の境目があまりなくなってきているのかもしれません。

 そう考えてみると「自分がしてほしいことを相手にしてあげる」の本当の意味は、エゴがない前提での言葉だったのかもしれません。

 なんだか、いろいろと考えさせるインタビューです。自分のことを客観的に分析して話している宇多田ヒカルさんがカッコイイです。同じ髪型になりましたし、あやかろうと思います。(笑)