「褒めるというのは、ほめ殺しみたいな感じになって、胡散臭いと感じてしまうんですよね」
「無理やり褒めるところを探して言うという感じでしょうか?」
「そうですね」
「たとえば、字がうまくなったねとか、前との変化の違いを伝えるというのは、事実だから、胡散臭くはならないですよね。変化の違いを見つけて、フィードバックするようにするといいですよね」
「確かに、ノートを書くのがうまくなったというのはありましたね」
「ヨガのレッスンの最後に先生が、『レッスンがはじまる前と今の変化の違いを感じてください』と問いかけるんですけど、確かに頭がすっきりしていたり、可動域に変化があるなと、変化を感じられるようになりました。自分の中の小さな変化を感じ取れるようになると、周りの変化も感じ取れるようになりますよ。『髪切った?』って、タモリさん言いますよね。(笑)」
「髪切ったことにも気づかないですね。(笑)」
「髪切った?って、別に褒めているわけじゃないんですけど、相手の存在価値を認めているんですよ」
「そういうことか!観察しないと見えてこないということですね」
髪を切ったことに気づくということは、その人の存在を認めていることになるのです。誰でも自分の存在を認めてもらうと嬉しいでしょう。名前で呼ぶことも、相手の存在を認めていることになります。
一方、結果主義は、プロセスの中の変化を見つける目が肥えてかもしれません。日常生活の中では、結果が求められないこともいろいろとあるし、結果を出すまで長い時間を要する場合もあるでしょう。そんなとき、続けるモチベーションとなるのは、プロセスの中に変化を見つけることなのです。
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