願望が叶うと信じられる気持ちは、どうしたら生まれるのか?

 「起こりもしないこと考えてもしょうがないじゃん」20代のころ、私は周りの人によくそう突っ込んでいました。その人たちとは結局ご縁がなくなってしまいました。でも、今考えてみたら、私は雑念が少ないから願ったことが実現しやすいのかと、ライフコーチになってみてわかりました。

 単発セッションのリピーターさんのセッションです。今年は恋愛のことで、ずいぶん悩んでいらっしゃいましたが、セッションの度に辛いと感じる気持ちもだいぶ昇華されてきました。

 今回のセッションは、「アファメーションを唱えているけれど、それが叶うのかどうか自信が持てない感じ…」がテーマでした。思考は現実化する系の本でも実験してみたそうなのですが、そういうことは叶うのだそうです。一体、本当の自分の願いを信じられる気持ちはどうしたら生まれるのでしょうか?

 人事異動があり、今まで専門としてきたところから、突然、「英語が使えるから」という理由で異動。もちろん、専門としていた仕事のほうがやりたいことですから、その配置換えに戸惑いながらも、でも何か意味があるはずと思い、ポジティブな意味を見出そうと、日々考えながら仕事にあたっているそうでした。
 クライアントさんが配属されてから、お客様満足度のスコアもアップしたそうです。それを上司から伝えられるとクライアントさんは、「そうですかね。何ででしょうかね…」と返答したそうです。「英語力を評価されているよ」と周りの人に言われても、「そんなに難しい英語を使っているわけでもないと思いますよ」とつい返答してしまうそうです。
 本当に英語力がついているのかな? と疑問に思ったので、英語の先生もつけてみたことがあったそうです。その先生のフィードバックも、よかったようです。それでも、自分の父親よりも英語は話せないし、そうなのかな? と不思議に思ったようでした。

 私はここでフィードバックしました。「雑念が多すぎますね~。スコアがいい理由を探し出そうとしているし、自分がそこに配属された意味を見いだそうと、日々考えているということもそうですし。自分に自信がないから、相手の言葉の裏を考えてみようとしたりする。英語の先生までつけて、他人から評価を貰おうとしています。でも、他人から自分のいい評価をされても、全てそうじゃないと返答していますね。それは自己否定ですよね。自己否定があるから、自分に自信がなくなり、人からどう見えるかに頼ろうとする。でも納得できていない。自分で自分のこと見てあげてますか?」

 クライアントさんは、自分の言動のパターンに全く気付いていませんでした。自己否定が、自分の本当の願いを信じる力をロスしているのだと思います。心の奥底で「自分は願いを叶えるのにふさわしくない」と思って いると、潜在意識は叶えなくてよい ... 何を望んでいるのか分っていないと認識するでしょう。「自分がふさわしい人間だ」と自分が感じるためには、どうしたらいいか? ということです。


 自分がどう見られるか? ばかり気にしていれば、相手へ配慮をする機会も減ってしまうのです。余裕があれば、自分の考えはどうであれ、まずは相手の言ってくれたことを受け取れるでしょう。コミュニケーションの苦手意識までつながっていました。

 人からの評価は、当てになりません。自分一人でコツコツがんばっている姿があるとしても、相手は見えないでしょう。日々、達成感を自分で味わうことです。それには自分に少し高めのハードルを設けることです。怠けていては、達成感は感じられないと思います。自分の中でガッツポーズを出せばいいのです。
 クライアントさんが異動してからスコアが上がったのも、実はクライアントさんの日々の小さな改善が実を結んだのではないかと、話しながら見えてきました。

 習慣を変えれば変わっていきます。潜在意識は、自他の区別がつきませんから、自分にも他人にも言動を変えてみるのです。だんだんと自分を信じられる気持ちが、潜在意識にも浸透していくでしょう。

 雑念をスッキリさせたいためなのか、最近のクライアントさんの趣味はクラシックコンサートへ行くことや読書になっていました。集中したあとはリフレッシュされ、行動も軽くなるのだそうです。心は最初に気づいていたのでしょう。このセッションの中で、顕在意識のほうで根詰まりが認識されたので、昇華されていくでしょう。心の中のことを言葉にすることは、人生に必要なことだと思います。