2/28 コミコレ「待てない人が、待てるには?」について、ディスカッションのテーマが具体的になりましたので、もう少し話を深めて綴りたいと思います。
私の母と妹に「コミコレのテーマは、待てない人が、待てるには」だと話すと、「それ、すごく大事だね」と言いました。2人とも「見守る」という意味での「待つ」について、すぐに思い浮かんでいるようでした。播磨さんとも、ディスカッションを深めていくと、やはり「相手を待つとか、自分を待つ」というところに辿りついていきました。それは、可能性がひらくのを待つという感じです。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
「待てない人が、待てるには?」 その言葉を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?
「待つ」と言えば、「行列を待つ」があります。 何のために待つのでしょうか? 美味しいものが食べられるとか、いい体験ができるとか、何かしら見返りを期待して、長時間でも並ぶこともあるでしょう。
相手にメールしたけれど、返事がなかなか返ってこないのをイライラして待っているとき、やはりそこにも何かしら、見返りを期待して待っているけれど、それが叶わなくてイライラしているのかもしれません。
部下の成長を期待して待っていても、期待どおりになかなかならなかった場合、落胆することがあるかもしれません。
この3つに共通する「待つ」には、何かしらの期待があって待っています。
一方、相手にメールしたこともすっかり忘れて、待てるときもあるでしょう。LINEの既読もどちらでもいいくらいです。相手から返事が来たら、そう言えば、メール出したっけ?! と。
最近、5年ぶり前後のリピーターさんのセッションの申し込みが大変多いのですが、私はその間、メールもなにも出していないことが、きっとリピートにつながっているように思っています。(笑)でも、最後のセッションのときに、一言あるコメントを書いているのです。
たまのフィードバックのみの上司の部下が、突然可能性を拓くこともあるでしょう。
私のアパレル時代の社長はそうでした。私に期待している様子も殆どないように感じていましたし(笑)、たまに鋭いフィードバックをかまして、また去っていき、私に十分考える時間を与えて、またやってきて、フィードバックされ・・・の繰り返しで、私は劇的変化を遂げました。入社してから3年目にようやく芽がでたのです。あのときは、自分がかなり頑張ったと思っていましたが、今は、相手がかなり「私の可能性の開花を待つことが」上手だったと思っています。(笑)
成長にフォーカスすると、近視眼的になり、そのとおりにならなければ、イライラすることも出てきて、せかしてしてしまったり、待っているのにイライラが募るばかりで、ずっと部下が変わらないことに執着し続けて、他の可能性を見逃してしまうこともあるでしょう。
私の母と妹に「コミコレのテーマは、待てない人が、待てるには」だと話すと、「それ、すごく大事だね」と言いました。2人とも「見守る」という意味での「待つ」について、すぐに思い浮かんでいるようでした。播磨さんとも、ディスカッションを深めていくと、やはり「相手を待つとか、自分を待つ」というところに辿りついていきました。それは、可能性がひらくのを待つという感じです。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
「待てない人が、待てるには?」 その言葉を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?
「待つ」と言えば、「行列を待つ」があります。 何のために待つのでしょうか? 美味しいものが食べられるとか、いい体験ができるとか、何かしら見返りを期待して、長時間でも並ぶこともあるでしょう。
相手にメールしたけれど、返事がなかなか返ってこないのをイライラして待っているとき、やはりそこにも何かしら、見返りを期待して待っているけれど、それが叶わなくてイライラしているのかもしれません。
部下の成長を期待して待っていても、期待どおりになかなかならなかった場合、落胆することがあるかもしれません。
この3つに共通する「待つ」には、何かしらの期待があって待っています。
一方、相手にメールしたこともすっかり忘れて、待てるときもあるでしょう。LINEの既読もどちらでもいいくらいです。相手から返事が来たら、そう言えば、メール出したっけ?! と。
最近、5年ぶり前後のリピーターさんのセッションの申し込みが大変多いのですが、私はその間、メールもなにも出していないことが、きっとリピートにつながっているように思っています。(笑)でも、最後のセッションのときに、一言あるコメントを書いているのです。
たまのフィードバックのみの上司の部下が、突然可能性を拓くこともあるでしょう。
私のアパレル時代の社長はそうでした。私に期待している様子も殆どないように感じていましたし(笑)、たまに鋭いフィードバックをかまして、また去っていき、私に十分考える時間を与えて、またやってきて、フィードバックされ・・・の繰り返しで、私は劇的変化を遂げました。入社してから3年目にようやく芽がでたのです。あのときは、自分がかなり頑張ったと思っていましたが、今は、相手がかなり「私の可能性の開花を待つことが」上手だったと思っています。(笑)
成長にフォーカスすると、近視眼的になり、そのとおりにならなければ、イライラすることも出てきて、せかしてしてしまったり、待っているのにイライラが募るばかりで、ずっと部下が変わらないことに執着し続けて、他の可能性を見逃してしまうこともあるでしょう。
しかし、可能性にフォーカスするとどうでしょうか?
能動的に相手の可能性がひらくのを待ちます。放任しているようで、たまにフィードバックを入れて、軌道修正を加えながら、相手の自発性を待っている感じで、待っている感覚さえもないのかもしれません。
私がアパレル店長の頃、まさに「可能性」にフォーカスされていたのだと思います。私の可能性が開花するのに3年くらいかかりましたが、自分で頑張れたという、自分の自信まで育っていました。上司の「軌道修正のフィードバック」が時折入りながら、能動的な待ちの姿勢がそこにあったのだと思います。能動的なので、わざと忘れたふりをされていたのかもしれません。今の私は、わざと忘れたふりをすることもあるので、その技について、良くわかってきました。(笑)
コーチングはそういう対話の時間です。こうしたら上手く行く、という限定されたところではなく、想定外な可能性もあるだろうと、積極的に相手の答えを待ちます。その場合、なんだか待っていることでさえ、忘れているのです。だから、イライラすることも全くありません。相手はのびのびやっているようです。場当たり的な成長というよりも、どこへ行っても可能性の開花は、標準装備として備わり続けるでしょう。「待つ」って深いです。
受け身的な「待つ」か、能動的な「待つ」か?
能動的な待つは、きっと思わぬ宝物もGETしてしまうのではないかというのは、私と播磨さんの仮説です。そう言えば、私の以前のイケメン税理士さんが、「彼女が待てるタイプだったので、結婚することになった」と言っていました。(笑)
幸せな人生を生きるために「能動的」は、キーワードです。いつでも相手の出方を伺って、自分の在り方を決めるというのでは、ブレてしまいます。「待てない人が、待てるには?」について考えることで、「自分の在り方」についても、見えてくるでしょう。いつものごとく、深いコミコレとなりそうです。
★HP詳細はこちらです。
能動的に相手の可能性がひらくのを待ちます。放任しているようで、たまにフィードバックを入れて、軌道修正を加えながら、相手の自発性を待っている感じで、待っている感覚さえもないのかもしれません。
私がアパレル店長の頃、まさに「可能性」にフォーカスされていたのだと思います。私の可能性が開花するのに3年くらいかかりましたが、自分で頑張れたという、自分の自信まで育っていました。上司の「軌道修正のフィードバック」が時折入りながら、能動的な待ちの姿勢がそこにあったのだと思います。能動的なので、わざと忘れたふりをされていたのかもしれません。今の私は、わざと忘れたふりをすることもあるので、その技について、良くわかってきました。(笑)
コーチングはそういう対話の時間です。こうしたら上手く行く、という限定されたところではなく、想定外な可能性もあるだろうと、積極的に相手の答えを待ちます。その場合、なんだか待っていることでさえ、忘れているのです。だから、イライラすることも全くありません。相手はのびのびやっているようです。場当たり的な成長というよりも、どこへ行っても可能性の開花は、標準装備として備わり続けるでしょう。「待つ」って深いです。
受け身的な「待つ」か、能動的な「待つ」か?
能動的な待つは、きっと思わぬ宝物もGETしてしまうのではないかというのは、私と播磨さんの仮説です。そう言えば、私の以前のイケメン税理士さんが、「彼女が待てるタイプだったので、結婚することになった」と言っていました。(笑)
幸せな人生を生きるために「能動的」は、キーワードです。いつでも相手の出方を伺って、自分の在り方を決めるというのでは、ブレてしまいます。「待てない人が、待てるには?」について考えることで、「自分の在り方」についても、見えてくるでしょう。いつものごとく、深いコミコレとなりそうです。
★HP詳細はこちらです。
0コメント