2年以上継続しているクライアントさんとのセッションです。定期的にセッションを利用されている方は、最近のなんとなく気になったことをトピックにあげて、言語化していくようなセッションが多いです。
なぜ、「違和感」とか「気になったこと」を大切にしているかと言うと、そこに、受け取るべくメッセージが隠れているからです。ユーミンの「やさしさに包まれたなら」の歌詞は、「目に映るすべてこのことがメッセージ」と、うまいことおっしゃっています。そこに、次の自分の成長のヒントを見つけられると私は考えています。
ここ最近、母親の話し方が気になったようでした。要件を先に言わず、まわりくどい聞き方をされるようなのです。
例えば、何かおすそ分けしたいものを持っている時も、わざわざ「○○持っているかしら?」と、最初にYES,NOを聞いてから、話を始めるとか。
場合によっては、娘だし、「最近、とっても美味しい○○を買ったのよ、持っていってね!」と直接言うのもありでしょう。
相手側(母親)の気持ちを考えるならば、自分自身も色々とこだわりがあるから、本当に相手が欲しいものじゃないと、悪いかなと思ったりするのかもしれません。
また、いつものやり取りで、こちら側が即答で「いらないよ」と、相手の好意を返してしまうやりとりが、パターンとなってしまったことも考えられるのかもしれません。
人の話し方には、後から本当に言いたいことを言う人と、先に言いたいことを言ってなぜならば…と言う人と、時間が経ってから、言う人と、3パターンくらいありそうです。
クライアントさんは、子供に教える仕事をしているので、子供のタイプによってかかわりを変えるそうです。例えば、言葉が出てこない場合は、ゆっくり聞いたり、「面白かった?」 と促してみたり、自分から話すタイプは、言葉を繰り返したり、オウム返ししたりするそうです。
そんなことを話しながら、もう少し話させることができる自分になりたいと思っていることに気付かれました。
悩むところは、「今日ね、学校でね、○○があって、○○だったよ」のように出来事だけを話す相手の場合、どう対応すればいいのかということです。
その話を聴いて私が感じたのは、今のやり方にプラスアルファするとしたら、「気持ちを聴く」という視点を意識されるといいのかもしれません。
例えば、最近、私の姪っ子4歳が、幼稚園の新しい制服を買ったようで、私との電話の時に、「制服着てみたんだ~」と言ったので、「どんな気持ちがしたの?」と聞いてみたことがありました。すると、「嬉しい気持ちがした」と返ってきました。4歳でも「出来事」と「気持ち」を別々にしていることが分かりました。
または、thinking とfeelingでしょうか。
ピアノでしたら、「クレッシェンドは、考え」であり、「明るく弾んだ感じ」は、気持ち、感情です。
文章でしたら、「なんとなくこれがいい」というような感覚的なところや、その方法論を言葉にしてみれば、「起承転結」などと、言えるでしょう。
そんな話をしていったら、感情を出せていない子、言葉を言わない子の存在が気になってきたようです。でも、クライアントさんによると、その子たちも、表情には出ているそうです。それならば、その表情をこちらが言葉として返してあげるといいのかもしれません。「嬉しそうだね」とか、「元気そうだね」とか。
大人でも、「なんか嬉しそうな顔をしているね」と、一声かけてもらえたら、この人なら、話しても良さそうだと、オープンになりやすいのではないでしょうか。
気持ちを話すことと、出来事を話すことは別々と考えてみます。
気持ちを置いといて、問題点だけ話すとか、気持ちと出ている言葉が違う人は多いのです。だから、最後まで聞かないと出てこないものだと思います。
言葉には、考えと気持ちがあることを意識して、聴いてみることができるのです。
2年前の映画、『マーガレットサッチャー』の中で、認知症になったサッチャーに医者が、「気分はどうですか?」と尋ねたとき、サッチャーは、「最近、みんなfeelingを聴いてくるけれど、thinkingが大事なのよ」と、自分の主義を主張するシーンが印象的でした。
認知症についてネットでちらっと見ただけですが、「真面目に働いてきた人が、ある日突然なりやすい」という一文を読んだことがあります。この台詞と照らし合わせてみると、feelingを押し殺し、thinkingで生きてきた結果、辛いことを忘れたいと願うことが認知症を引き起こすとも考えうると思いました。
長い目でみても、「気持ちをアウトプットする」ことは、とても大切なことなのかもしれませんね。
今回も、なんとなく気になった母親との会話シーンが、自分の成長の方向へつながっていました。Feelingの察知能力はすごいですね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分の違和感大事にしていますか?
なぜ、「違和感」とか「気になったこと」を大切にしているかと言うと、そこに、受け取るべくメッセージが隠れているからです。ユーミンの「やさしさに包まれたなら」の歌詞は、「目に映るすべてこのことがメッセージ」と、うまいことおっしゃっています。そこに、次の自分の成長のヒントを見つけられると私は考えています。
ここ最近、母親の話し方が気になったようでした。要件を先に言わず、まわりくどい聞き方をされるようなのです。
例えば、何かおすそ分けしたいものを持っている時も、わざわざ「○○持っているかしら?」と、最初にYES,NOを聞いてから、話を始めるとか。
場合によっては、娘だし、「最近、とっても美味しい○○を買ったのよ、持っていってね!」と直接言うのもありでしょう。
相手側(母親)の気持ちを考えるならば、自分自身も色々とこだわりがあるから、本当に相手が欲しいものじゃないと、悪いかなと思ったりするのかもしれません。
また、いつものやり取りで、こちら側が即答で「いらないよ」と、相手の好意を返してしまうやりとりが、パターンとなってしまったことも考えられるのかもしれません。
人の話し方には、後から本当に言いたいことを言う人と、先に言いたいことを言ってなぜならば…と言う人と、時間が経ってから、言う人と、3パターンくらいありそうです。
クライアントさんは、子供に教える仕事をしているので、子供のタイプによってかかわりを変えるそうです。例えば、言葉が出てこない場合は、ゆっくり聞いたり、「面白かった?」 と促してみたり、自分から話すタイプは、言葉を繰り返したり、オウム返ししたりするそうです。
そんなことを話しながら、もう少し話させることができる自分になりたいと思っていることに気付かれました。
悩むところは、「今日ね、学校でね、○○があって、○○だったよ」のように出来事だけを話す相手の場合、どう対応すればいいのかということです。
その話を聴いて私が感じたのは、今のやり方にプラスアルファするとしたら、「気持ちを聴く」という視点を意識されるといいのかもしれません。
例えば、最近、私の姪っ子4歳が、幼稚園の新しい制服を買ったようで、私との電話の時に、「制服着てみたんだ~」と言ったので、「どんな気持ちがしたの?」と聞いてみたことがありました。すると、「嬉しい気持ちがした」と返ってきました。4歳でも「出来事」と「気持ち」を別々にしていることが分かりました。
または、thinking とfeelingでしょうか。
ピアノでしたら、「クレッシェンドは、考え」であり、「明るく弾んだ感じ」は、気持ち、感情です。
文章でしたら、「なんとなくこれがいい」というような感覚的なところや、その方法論を言葉にしてみれば、「起承転結」などと、言えるでしょう。
そんな話をしていったら、感情を出せていない子、言葉を言わない子の存在が気になってきたようです。でも、クライアントさんによると、その子たちも、表情には出ているそうです。それならば、その表情をこちらが言葉として返してあげるといいのかもしれません。「嬉しそうだね」とか、「元気そうだね」とか。
大人でも、「なんか嬉しそうな顔をしているね」と、一声かけてもらえたら、この人なら、話しても良さそうだと、オープンになりやすいのではないでしょうか。
気持ちを話すことと、出来事を話すことは別々と考えてみます。
気持ちを置いといて、問題点だけ話すとか、気持ちと出ている言葉が違う人は多いのです。だから、最後まで聞かないと出てこないものだと思います。
言葉には、考えと気持ちがあることを意識して、聴いてみることができるのです。
2年前の映画、『マーガレットサッチャー』の中で、認知症になったサッチャーに医者が、「気分はどうですか?」と尋ねたとき、サッチャーは、「最近、みんなfeelingを聴いてくるけれど、thinkingが大事なのよ」と、自分の主義を主張するシーンが印象的でした。
認知症についてネットでちらっと見ただけですが、「真面目に働いてきた人が、ある日突然なりやすい」という一文を読んだことがあります。この台詞と照らし合わせてみると、feelingを押し殺し、thinkingで生きてきた結果、辛いことを忘れたいと願うことが認知症を引き起こすとも考えうると思いました。
長い目でみても、「気持ちをアウトプットする」ことは、とても大切なことなのかもしれませんね。
今回も、なんとなく気になった母親との会話シーンが、自分の成長の方向へつながっていました。Feelingの察知能力はすごいですね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分の違和感大事にしていますか?
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