今日はマクドナルド時代の同期の男友達と半年ぶりくらいに会ったのですが、大抵そのくらいのペースで会っていて、歳とともに変化していく物の見方、感じ方について、お互いに確認するかのように、よく話題にしています。友人は、入社2年目でマックを辞めて、今は、3社目の通信系の会社で働いています。
2010年に私のHPのLABのコーナーに協力してくれた友人です。
★「マクドナルドの目線」
友人が、「アウトプットしてもらい、気づいてもらうことが大事なんだよ」と言いました。私の昨日の記事を読んでいたわけではありませんでしたが、同じことを考えていたので、タイミングよく一致したことに驚きました。
続けて、「でも、アウトプットが大事だと知っても、本当にアウトプットする人はそうそうはいないと思う」と言いました。
それを聞いて、昨日書いた記事の続きを書いてみたいと思いました。
「アウトプットをどれくらいしているでしょうか?」
今日、ボイトレへ行ったのですが、ワンフレーズ歌った後、先生に「今、何を感じた?」と聞かれました。感覚を聞かれると言うのは、即答できる質問ではないので、歌った感じを振り返ってみて、自分が何か意識していたのかな? と思い返してから、「呼吸を意識して歌ったので、先ほどよりは、音のブレが減ったと思います」と答えました。次に先生は、「次は、音色を気にしてみましょう」と。そうすると、また声に変化がありました。
そして、先生が続けて言いました。「私って、どんな感じとか、こういう感じとか、感覚的に言うことが多いじゃないですか。こう言うのって、会社とかって、訊いてもらえないでしょ。気分はどう?とか、何思ってる? とか、でも、そう言うのってとっても大事よね。なんか、ちょっと気になったなというところを気にして欲しい。そう言うところをすくうようにすると、面白い発見があったりするんですよね」と。
ボイトレを習う前は、音が合っているかどうか? リズムが合っているかどうか? くらいしか、歌に関して気にしていませんでしたが、先生の問いかけで、意識するところに目を向けることができ、変化していくことを体感しています。レッスンの音声を聞いたとき、自分を客観視する状態になるので、自分で修正することも可能になるのです。上手く歌えたところは、どう歌ったのか? 感覚を思い出して、再現しながら、体に染み込ませて行くようにしています。アウトプットし、自己を客観視するのです。
私は、このブログを書くのに2時間くらいかかります。書くことが決まっていても、それを文字にして、伝わりやすい日本語にして、誤字脱字がないか修正していくので、時間を使うのです。
それを聞いた友人が、「毎日、1日を振り返るために、2時間を費やせることは、とても贅沢だよね。普通、2時間かけて振り返る時間は、なかなか持てないと思うよ」と。
確かに、アウトプットするには、アウトプットする時間を持たないと出来ないことなのかもしれません。
例えば、プレゼンなど、人前で話す機会がなければ、自分の考え方をシェアする場もなかなか持てないでしょう。自分がエッセイや小説を書いてみる機会も、それを仕事にしている人以外は、なかなかしないかもしれません。映画を観ても、感想を言う機会がなければ、インプットだけになります。
おそらく、情報過多の時代で、インプットすることはとてつもなく多いのでしょうが、それをアウトプットしているかというと、割合はどうでしょう。
「どう感じた?」といちいち聞いてくれる人が身近にいれば、アウトプットする機会を持てるかもしれませんが、あまり聞かれる機会も少ないですし、否定されたり、アドバイスを受けたり、それでは最後まで話せなくて、不完全燃焼なアウトプットで終わっていることもあるでしょう。
ですから、自分でアウトプットする機会も、意図的に設けることは大切なのかもしれません。
アウトプットし始めたら、人生は何か変わるのでしょうか?
私は、9年前にブログを始めたところから、自分の夢に近づきはじめました。
つまり、アウトプットとは、自分の内側を客観視することなのでしょう。自分をみることができるのです。
アウトプットする機会を持つことで、きっと何かが動きだすと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
インプットとアウトプットの割合はどうですか?
┏━┓
┃☆┃SEMINAR
┗━╋...──────────────────────────────
■2013年3月23日(土)春コミコレクション
テーマ「思考を芽吹かせる」講師:堀口ひとみ/播磨弘晃
仮説、着想、ひらめきなど、自分自身の見つける力を磨いていきます。
★詳細はコチラです★
http://pearl-plus.me/seminar/komikore.php
2010年に私のHPのLABのコーナーに協力してくれた友人です。
★「マクドナルドの目線」
友人が、「アウトプットしてもらい、気づいてもらうことが大事なんだよ」と言いました。私の昨日の記事を読んでいたわけではありませんでしたが、同じことを考えていたので、タイミングよく一致したことに驚きました。
続けて、「でも、アウトプットが大事だと知っても、本当にアウトプットする人はそうそうはいないと思う」と言いました。
それを聞いて、昨日書いた記事の続きを書いてみたいと思いました。
「アウトプットをどれくらいしているでしょうか?」
今日、ボイトレへ行ったのですが、ワンフレーズ歌った後、先生に「今、何を感じた?」と聞かれました。感覚を聞かれると言うのは、即答できる質問ではないので、歌った感じを振り返ってみて、自分が何か意識していたのかな? と思い返してから、「呼吸を意識して歌ったので、先ほどよりは、音のブレが減ったと思います」と答えました。次に先生は、「次は、音色を気にしてみましょう」と。そうすると、また声に変化がありました。
そして、先生が続けて言いました。「私って、どんな感じとか、こういう感じとか、感覚的に言うことが多いじゃないですか。こう言うのって、会社とかって、訊いてもらえないでしょ。気分はどう?とか、何思ってる? とか、でも、そう言うのってとっても大事よね。なんか、ちょっと気になったなというところを気にして欲しい。そう言うところをすくうようにすると、面白い発見があったりするんですよね」と。
ボイトレを習う前は、音が合っているかどうか? リズムが合っているかどうか? くらいしか、歌に関して気にしていませんでしたが、先生の問いかけで、意識するところに目を向けることができ、変化していくことを体感しています。レッスンの音声を聞いたとき、自分を客観視する状態になるので、自分で修正することも可能になるのです。上手く歌えたところは、どう歌ったのか? 感覚を思い出して、再現しながら、体に染み込ませて行くようにしています。アウトプットし、自己を客観視するのです。
私は、このブログを書くのに2時間くらいかかります。書くことが決まっていても、それを文字にして、伝わりやすい日本語にして、誤字脱字がないか修正していくので、時間を使うのです。
それを聞いた友人が、「毎日、1日を振り返るために、2時間を費やせることは、とても贅沢だよね。普通、2時間かけて振り返る時間は、なかなか持てないと思うよ」と。
確かに、アウトプットするには、アウトプットする時間を持たないと出来ないことなのかもしれません。
例えば、プレゼンなど、人前で話す機会がなければ、自分の考え方をシェアする場もなかなか持てないでしょう。自分がエッセイや小説を書いてみる機会も、それを仕事にしている人以外は、なかなかしないかもしれません。映画を観ても、感想を言う機会がなければ、インプットだけになります。
おそらく、情報過多の時代で、インプットすることはとてつもなく多いのでしょうが、それをアウトプットしているかというと、割合はどうでしょう。
「どう感じた?」といちいち聞いてくれる人が身近にいれば、アウトプットする機会を持てるかもしれませんが、あまり聞かれる機会も少ないですし、否定されたり、アドバイスを受けたり、それでは最後まで話せなくて、不完全燃焼なアウトプットで終わっていることもあるでしょう。
ですから、自分でアウトプットする機会も、意図的に設けることは大切なのかもしれません。
アウトプットし始めたら、人生は何か変わるのでしょうか?
私は、9年前にブログを始めたところから、自分の夢に近づきはじめました。
つまり、アウトプットとは、自分の内側を客観視することなのでしょう。自分をみることができるのです。
アウトプットする機会を持つことで、きっと何かが動きだすと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
インプットとアウトプットの割合はどうですか?
┏━┓
┃☆┃SEMINAR
┗━╋...──────────────────────────────
■2013年3月23日(土)春コミコレクション
テーマ「思考を芽吹かせる」講師:堀口ひとみ/播磨弘晃
仮説、着想、ひらめきなど、自分自身の見つける力を磨いていきます。
★詳細はコチラです★
http://pearl-plus.me/seminar/komikore.php
0コメント