90日コーチング1回目の方のセッションがありました。
クライアントさんの事前のメールを拝見したとき、社外文書のように、きちんと書かれる方だなぁと思いました。また、質問集には、「こういう風に書いた方がいいというのがあれば、教えてください」と最後に書いてあったので、慎重で、正しさを重んじる方のようにも見受けられました。
そうしたら、やはりストレングスファインダーで、「慎重さ」が出ていました。
1回目のセッションは、その「慎重さ」についてから、話が始まりました。
仕事で、間違えることが嫌で、ミスはほとんどないようです。しかし、緊張が途切れて、間違えることがあった場合、何できっちりできないのだろうと、自分のミスを責めてしまうようでした。他の人は、ミスがあっても訂正して、また普通どおりになれているのに、自分の中では1つが大きく感じてしまうとのことでした。
話しながら、ミスに気を配るようになった理由が出てきました。
何度も確認しないと伝わらない相手がいたので、再三確認してからにするようになったそうです。
また、上司が細かくて、ちゃんとしなくちゃと思うようになったようでした。
しかしながら、私は、上司と言うわけではありませんし、社外文書ほどの丁寧なメールでなくても、大丈夫なわけです。
「全員に、適応していたら、疲れませんか?」と聞いてみたら、「そうですよね。考えてみたら、何度も確認しないと伝わらない相手も、その人だけでした」と笑っていらっしゃいました。
「TPOによって、相手によって、こちらが柔軟に対応するモードを持つと、楽になりそうですね」と言ったら、「柔らかい、ちゃんとしている の中間が分からない」と返ってきました。
クライアントさんは、ぱっと見、穏やかなイメージに見られることが多く、見た目から、馬鹿にされたくないと思っているかもしれないと、おっしゃいました。
ある人は、自分にはきついのに、上司には低姿勢だったようです。こちらが、愚痴を言われたり、知らなくていいことを相手が話してきたりすることが、よくあるのだそうです。
私は、それを聞いて、「相手に何もしなくても、自然と相手に話をさせることができるのは、長所では?」と言いました。
ストレングスファインダーで、「共感性」が1位になっていました。しかし、強みだけれども、自分を消耗させてしまっているご様子です。
また、他の話を思いついたようです。
以前の職場で、皆と仲良くしていたのに、ある日、2つのグループに分かれていることを知り、同時にそうカミングアウトされて、それから、双方に気を使うようになって、体を壊し、ドクターストップ。そして、仕事を辞めたことがあるそうです。言葉以外でも、どう感じているかが伝わってきて、自分も苦しくなるところがあるとか。
自分が聴くだけで、苦しくなったのをどこかにアウトプットしているのかな疑問に思ったので、「話を聞いて感じたことを、鏡のように返すことはあるのか?」とお聞きしたら、鏡のように返すことは、つき放している感じがするので、しないようでした。
実際のところ、鏡のように返さなくても、相手は、表面的なところが、やがて認識になり、受け容れて、解決しているようなことも多いとのこと。
何もしなくても、相手が話しただけで解決しているというのは、ネイティブカウンセラーみたいなものです。羨ましい限りですね。
つまり、「聴いているだけでいいんだ、と思えればいいですね」という話しになりました。
クライアントさんは、以前にも、同じことを恩師から言われたことがあったそうでした。
でも、そう腑に落ちない理由として、相手は、スッキリはしているけれど、アドバイスする人をみると、「あなたのおかげで」と言われているし、そういう人に憧れるところがあるとのことでした。
ここから、相手からの評価なしで、「自分の価値をどう見るか?」という話しになりました。
セッションの準備用紙に「自己肯定感を高める」と書いてあったので、意図していなくても、自然と話しがそこへ流れていきました。
相手からの評価や反応が返ってこないけれど、自分で評価するには、どうしたらいいのでしょうか?
以前、あるトークショーで、精神科医の先生が、「ありがとう」と言われないことが自分の仕事だと言っていました。相手が、自分で自立するのを助けることだから、相手が自分で変化したと感じることが大事とおっしゃったのです。
そう、考えるようになったきっかけは、クライアントをどうにか助けようと、「いつなんどきでも、何かあったら電話をしてください」と、言ったことがあり、そうしたら、寝る暇のない日もあったり、何かの決断の度に、「先生どうしたらいいですか?」と聞かれるようになったりという、苦い経験をしたからのようでした。
そのとき、自分が自立をさせてあげるのではなく、クライアントが、自分で変化出来ましたと、感じて下さるところがゴールだと気づいたようです。
その話をしたら、誰かのブログで、同じようなことを書いてあったとのことでした。クライアントさんは、自分に必要な言葉を、事前に察知するところがありそうですね。
感謝の言葉がなくても、言葉じゃないところで、見つけることができればいいですよね。
「全部話したようだ」、「よく話すなぁ」、「リラックスしてくれている」「すっきりしている」、「使う言葉が変化している」など、相手がそういう状態になっていたら、自分の役割を果たしているということだから、OKと、自分で決めるのもありですね。
自分というものは、つくづく、人とのかかわりの中で、見えてくるものだなと感じます。人とのかかわりを避けるようにしたり、自分と違う自分を演出していたら、見えにくくなるのだと思います。
また、相手に何かしてあげようとするよりも、何もしていないと感じるほど自然に、相手に何か役割を果たしているところに、見つかる気もします。そんな風に、自分のことを見つめてみます。
「自分で決めていいんだ」というところが、これまでには、ない視点だったようです。
これで、様々な場面で、自分のことを肯定できることも、増えるのではないかと思います。
「最初のセッションで、流れが不安だったけど、するするしゃべれてよかったです」とおっしゃっていました。
慎重な方も、ざっくばらんに自由にしゃべる場を体験することで、こんな感じもありなんだと思える機会になる場合も多いみたいです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分のまわりにはどんな人が集まりますか?
クライアントさんの事前のメールを拝見したとき、社外文書のように、きちんと書かれる方だなぁと思いました。また、質問集には、「こういう風に書いた方がいいというのがあれば、教えてください」と最後に書いてあったので、慎重で、正しさを重んじる方のようにも見受けられました。
そうしたら、やはりストレングスファインダーで、「慎重さ」が出ていました。
1回目のセッションは、その「慎重さ」についてから、話が始まりました。
仕事で、間違えることが嫌で、ミスはほとんどないようです。しかし、緊張が途切れて、間違えることがあった場合、何できっちりできないのだろうと、自分のミスを責めてしまうようでした。他の人は、ミスがあっても訂正して、また普通どおりになれているのに、自分の中では1つが大きく感じてしまうとのことでした。
話しながら、ミスに気を配るようになった理由が出てきました。
何度も確認しないと伝わらない相手がいたので、再三確認してからにするようになったそうです。
また、上司が細かくて、ちゃんとしなくちゃと思うようになったようでした。
しかしながら、私は、上司と言うわけではありませんし、社外文書ほどの丁寧なメールでなくても、大丈夫なわけです。
「全員に、適応していたら、疲れませんか?」と聞いてみたら、「そうですよね。考えてみたら、何度も確認しないと伝わらない相手も、その人だけでした」と笑っていらっしゃいました。
「TPOによって、相手によって、こちらが柔軟に対応するモードを持つと、楽になりそうですね」と言ったら、「柔らかい、ちゃんとしている の中間が分からない」と返ってきました。
クライアントさんは、ぱっと見、穏やかなイメージに見られることが多く、見た目から、馬鹿にされたくないと思っているかもしれないと、おっしゃいました。
ある人は、自分にはきついのに、上司には低姿勢だったようです。こちらが、愚痴を言われたり、知らなくていいことを相手が話してきたりすることが、よくあるのだそうです。
私は、それを聞いて、「相手に何もしなくても、自然と相手に話をさせることができるのは、長所では?」と言いました。
ストレングスファインダーで、「共感性」が1位になっていました。しかし、強みだけれども、自分を消耗させてしまっているご様子です。
また、他の話を思いついたようです。
以前の職場で、皆と仲良くしていたのに、ある日、2つのグループに分かれていることを知り、同時にそうカミングアウトされて、それから、双方に気を使うようになって、体を壊し、ドクターストップ。そして、仕事を辞めたことがあるそうです。言葉以外でも、どう感じているかが伝わってきて、自分も苦しくなるところがあるとか。
自分が聴くだけで、苦しくなったのをどこかにアウトプットしているのかな疑問に思ったので、「話を聞いて感じたことを、鏡のように返すことはあるのか?」とお聞きしたら、鏡のように返すことは、つき放している感じがするので、しないようでした。
実際のところ、鏡のように返さなくても、相手は、表面的なところが、やがて認識になり、受け容れて、解決しているようなことも多いとのこと。
何もしなくても、相手が話しただけで解決しているというのは、ネイティブカウンセラーみたいなものです。羨ましい限りですね。
つまり、「聴いているだけでいいんだ、と思えればいいですね」という話しになりました。
クライアントさんは、以前にも、同じことを恩師から言われたことがあったそうでした。
でも、そう腑に落ちない理由として、相手は、スッキリはしているけれど、アドバイスする人をみると、「あなたのおかげで」と言われているし、そういう人に憧れるところがあるとのことでした。
ここから、相手からの評価なしで、「自分の価値をどう見るか?」という話しになりました。
セッションの準備用紙に「自己肯定感を高める」と書いてあったので、意図していなくても、自然と話しがそこへ流れていきました。
相手からの評価や反応が返ってこないけれど、自分で評価するには、どうしたらいいのでしょうか?
以前、あるトークショーで、精神科医の先生が、「ありがとう」と言われないことが自分の仕事だと言っていました。相手が、自分で自立するのを助けることだから、相手が自分で変化したと感じることが大事とおっしゃったのです。
そう、考えるようになったきっかけは、クライアントをどうにか助けようと、「いつなんどきでも、何かあったら電話をしてください」と、言ったことがあり、そうしたら、寝る暇のない日もあったり、何かの決断の度に、「先生どうしたらいいですか?」と聞かれるようになったりという、苦い経験をしたからのようでした。
そのとき、自分が自立をさせてあげるのではなく、クライアントが、自分で変化出来ましたと、感じて下さるところがゴールだと気づいたようです。
その話をしたら、誰かのブログで、同じようなことを書いてあったとのことでした。クライアントさんは、自分に必要な言葉を、事前に察知するところがありそうですね。
感謝の言葉がなくても、言葉じゃないところで、見つけることができればいいですよね。
「全部話したようだ」、「よく話すなぁ」、「リラックスしてくれている」「すっきりしている」、「使う言葉が変化している」など、相手がそういう状態になっていたら、自分の役割を果たしているということだから、OKと、自分で決めるのもありですね。
自分というものは、つくづく、人とのかかわりの中で、見えてくるものだなと感じます。人とのかかわりを避けるようにしたり、自分と違う自分を演出していたら、見えにくくなるのだと思います。
また、相手に何かしてあげようとするよりも、何もしていないと感じるほど自然に、相手に何か役割を果たしているところに、見つかる気もします。そんな風に、自分のことを見つめてみます。
「自分で決めていいんだ」というところが、これまでには、ない視点だったようです。
これで、様々な場面で、自分のことを肯定できることも、増えるのではないかと思います。
「最初のセッションで、流れが不安だったけど、するするしゃべれてよかったです」とおっしゃっていました。
慎重な方も、ざっくばらんに自由にしゃべる場を体験することで、こんな感じもありなんだと思える機会になる場合も多いみたいです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分のまわりにはどんな人が集まりますか?
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