クライアントさんは、セッションが始まるや否や「パット晴れない感じ」とおっしゃいました。
そこで、最近の様子でも話そうと、私の方から、なんとなく話をしました。すると、「私もそうだ」となっていったのです。
私が、数日前に知ったり、体験したばかりのことが、クライアントさんとリンクすることは、よくあるので、いつも集合体無意識みたいなものを感じずにはいられません。
クライアントさんは、コミュニケーションで、「自分で勝手に悲しくなる思考」をするときがあるということが、見えてきました。
これまでのセッションでは、「言ってみればいいんですよ。言った方が、相手もいいですよね」と、自分が以前のコミュニケーションスタイルを変えたことで、相手も出方が変わり、クライアントさんの思っている方向へと、段々と進んできてはいらっしゃるのです。
これまでのクライアントさんでもそうでしたが、最初は、自分のいつものパターンの行動が変わるので、すいすいと進んでいく感じなのですが、あるときパタっと止まってしまうのです。
「そうすればいいんだ」と、大人の自分がわかっても、内なる子供(インナーチャイルド)が、引きとめるとでも言うのでしょうか。自分の中の癒されていない感情が、「ちょっと待って」と呼びとめるのです。
でも、自然にそんな感情が出てきたときに、癒せばいいので、「いらっしゃいませ」という感じです。(笑)セッションで、インナーチャイルドが、現れることはよくあります。とても自然なことです。
クライアントさんは、相手の都合で、断られるときというケースに弱いようです。
断られることが平気な人ならば、「相手はその様に望むのならば、尊重しよう。それに、これからも、相手が気まずくならないように、言動を配慮しよう」という風にできると思うのですが、クライアントさんの場合、「相手が必要なければ、身を引こうと思う」という思考になって、勝手に自分で自分を寂しくしていたのです。
「寂しいことがもっと寂しくなるから、引こうとする。閉じようとする。言葉に振り回わされる。身を引く準備をする。拒絶されるだろうから・・・」そんな風になっていたのです。
そんな、身を引くことなく、とどまってみればいいのでしょうが・・・。
私も、そのような事がありました。自分ではそんなつもりがなくても、「どことなく寂しそうにするところがあるよね」と、勘のいい友達には、どうも知られていました。
友達関係が、長く続いても3年くらいで終了するので、次の友達を探さなくてはいけないと思うタイプでした。引越しも2年、3年に1度はして、同じ所に留まらないものだと、勝手に思っていました。
友達との間で、何かよくないことが起きると、そこで、縁が切れてしまうことを繰り返していました。修復しようとせずに、勃発したから、解散…という考えです。
例えば、長く続いているご夫婦やパートナーの方は、勃発したら、どうにか仲良くしようと、共に生きることを考えながら、より関係性を深めていらっしゃるのでしょう。
私の場合、修復しないで、次にいくパターンを持っていたので、友達の方も、そういうパターンを持つ人ばかりを引き寄せていたのかもしれません。類は友を呼ぶです。なぜか、「離れる」ことと、いつもお友達のようになっていました。だから、悲しかったのです。
しかし、30代半ばになると、私のパターンを崩すような人たちが現れ出しました。そこで、気づかせてもらったのです。
いつもならば、このパターンは、身を引いたほうがいいかなと、勝手に考えて自分で閉じて寂しくなるパターンでしたが、相手に、「何故、抵抗するの?」と問われたことで、自分で閉じることをしなくてもいいと、気付けたことがありました。これからも、ご縁を深めていけばいいのか! と。
そうしたら、悲しいことが減りました。幸せに感じることがかなり増えました。
2年前に自分のひとみずむを書いたのですが、題名を『逃悲行』にしたのも、悲しみを避ける自分を表現したためです。
それから、悲しい感情が出てきたら、その感情を味わいつくすことにしたのです。
以前は、悲しみを乗り越えられるための思考をし、次に進むことばかり考えていたので、味わっていなかったんですね。だから、悲しい感情が、ずっと残り続けていたのでしょう。
クライアントさんは、どこから、拒絶されることに悲しみを持ち始めたのでしょうか?
親との関係はOKだけれど、小学生の時、仲良しの子に突然、1カ月以上無視されたことがあったことを、今でも覚えているとおっしゃいました。
それが理由で、悲しいことがこれ以上起きないようにしようと、身を引く態度をとってしまいがちなのかもしれません。
世話を焼くか、身を引くか…。相手との距離感、接し方が、自分の心地よさを掴めていないのかもしれません。
これからは、人とのかかわりをどうしていけばいいか考えることを課題としました。
また、寂しい気持ちが起きた時、味わいつくしてみることです。そうすると、何かが見えてくるのでしょう。
不思議なもので、何かの弾みに、感情がどっとやってくることがあります。
そんなときは、「ああ、寂しんだね~」とその感情を味わい尽くしてみると、とてもスッキリして、その下層にある新しい考えが浮かんできます。今まで、見つけたことのなかった、新しいアプローチで、一番自分の心が平和になる何かを知れるのです。
文字通り、雨のち晴れになるのです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分で自分のことを悲しくしてしまうことはありませんか?
そこで、最近の様子でも話そうと、私の方から、なんとなく話をしました。すると、「私もそうだ」となっていったのです。
私が、数日前に知ったり、体験したばかりのことが、クライアントさんとリンクすることは、よくあるので、いつも集合体無意識みたいなものを感じずにはいられません。
クライアントさんは、コミュニケーションで、「自分で勝手に悲しくなる思考」をするときがあるということが、見えてきました。
これまでのセッションでは、「言ってみればいいんですよ。言った方が、相手もいいですよね」と、自分が以前のコミュニケーションスタイルを変えたことで、相手も出方が変わり、クライアントさんの思っている方向へと、段々と進んできてはいらっしゃるのです。
これまでのクライアントさんでもそうでしたが、最初は、自分のいつものパターンの行動が変わるので、すいすいと進んでいく感じなのですが、あるときパタっと止まってしまうのです。
「そうすればいいんだ」と、大人の自分がわかっても、内なる子供(インナーチャイルド)が、引きとめるとでも言うのでしょうか。自分の中の癒されていない感情が、「ちょっと待って」と呼びとめるのです。
でも、自然にそんな感情が出てきたときに、癒せばいいので、「いらっしゃいませ」という感じです。(笑)セッションで、インナーチャイルドが、現れることはよくあります。とても自然なことです。
クライアントさんは、相手の都合で、断られるときというケースに弱いようです。
断られることが平気な人ならば、「相手はその様に望むのならば、尊重しよう。それに、これからも、相手が気まずくならないように、言動を配慮しよう」という風にできると思うのですが、クライアントさんの場合、「相手が必要なければ、身を引こうと思う」という思考になって、勝手に自分で自分を寂しくしていたのです。
「寂しいことがもっと寂しくなるから、引こうとする。閉じようとする。言葉に振り回わされる。身を引く準備をする。拒絶されるだろうから・・・」そんな風になっていたのです。
そんな、身を引くことなく、とどまってみればいいのでしょうが・・・。
私も、そのような事がありました。自分ではそんなつもりがなくても、「どことなく寂しそうにするところがあるよね」と、勘のいい友達には、どうも知られていました。
友達関係が、長く続いても3年くらいで終了するので、次の友達を探さなくてはいけないと思うタイプでした。引越しも2年、3年に1度はして、同じ所に留まらないものだと、勝手に思っていました。
友達との間で、何かよくないことが起きると、そこで、縁が切れてしまうことを繰り返していました。修復しようとせずに、勃発したから、解散…という考えです。
例えば、長く続いているご夫婦やパートナーの方は、勃発したら、どうにか仲良くしようと、共に生きることを考えながら、より関係性を深めていらっしゃるのでしょう。
私の場合、修復しないで、次にいくパターンを持っていたので、友達の方も、そういうパターンを持つ人ばかりを引き寄せていたのかもしれません。類は友を呼ぶです。なぜか、「離れる」ことと、いつもお友達のようになっていました。だから、悲しかったのです。
しかし、30代半ばになると、私のパターンを崩すような人たちが現れ出しました。そこで、気づかせてもらったのです。
いつもならば、このパターンは、身を引いたほうがいいかなと、勝手に考えて自分で閉じて寂しくなるパターンでしたが、相手に、「何故、抵抗するの?」と問われたことで、自分で閉じることをしなくてもいいと、気付けたことがありました。これからも、ご縁を深めていけばいいのか! と。
そうしたら、悲しいことが減りました。幸せに感じることがかなり増えました。
2年前に自分のひとみずむを書いたのですが、題名を『逃悲行』にしたのも、悲しみを避ける自分を表現したためです。
それから、悲しい感情が出てきたら、その感情を味わいつくすことにしたのです。
以前は、悲しみを乗り越えられるための思考をし、次に進むことばかり考えていたので、味わっていなかったんですね。だから、悲しい感情が、ずっと残り続けていたのでしょう。
クライアントさんは、どこから、拒絶されることに悲しみを持ち始めたのでしょうか?
親との関係はOKだけれど、小学生の時、仲良しの子に突然、1カ月以上無視されたことがあったことを、今でも覚えているとおっしゃいました。
それが理由で、悲しいことがこれ以上起きないようにしようと、身を引く態度をとってしまいがちなのかもしれません。
世話を焼くか、身を引くか…。相手との距離感、接し方が、自分の心地よさを掴めていないのかもしれません。
これからは、人とのかかわりをどうしていけばいいか考えることを課題としました。
また、寂しい気持ちが起きた時、味わいつくしてみることです。そうすると、何かが見えてくるのでしょう。
不思議なもので、何かの弾みに、感情がどっとやってくることがあります。
そんなときは、「ああ、寂しんだね~」とその感情を味わい尽くしてみると、とてもスッキリして、その下層にある新しい考えが浮かんできます。今まで、見つけたことのなかった、新しいアプローチで、一番自分の心が平和になる何かを知れるのです。
文字通り、雨のち晴れになるのです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分で自分のことを悲しくしてしまうことはありませんか?
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