「お稽古を続けて欲しいのに、何で続けないの? と思ってしまうこと」について考えてみるセッションでした。
「何で来ないの?」、「何で続けないの?」と、いちいち思う自分だと、辞める人が出るたびに、ストレスになってしまうわけです。もっと気が楽になる捉え方は、あるのでしょうか?
クライアントさんは、自宅でお教室をされていらっしゃいます。それこそ、クライアントさんは先生になるくらいですから、何十年も続けていらっしゃるわけです。そんなクライアントさんも、私のセッションを1年以上続けていらっしゃるので、これはと思ったら、継続しながら、変化、成長を楽しみたいタイプなのかもしれません。続けない人のことを、あまりよく思っていないようです。
そんな自分との違いもあるのでしょうか?「何で来ないの?」と思ってしまうときがあるそうなのです。生徒さんによっては、3年以上続いているひとも何人かいらっしゃるそうです。一方、途中、出産などのためにお休みをされて、こちらから声を掛けてみたら、また戻ってくる人もいるそうです。
十人十色あるのでしょう。相手の都合で辞めることもあるというのは、当然あることだと、理解することは、そんなに難しいことではないかもしれませんが…。
クライアントさんが、「何で来ないの?」という言葉を使ったところに、「来ないことが許せない!」という感じも伝わってきました。
「来ないことが許せない?」というところから、「何が許せない?」という話につながっていきました。
クライアントさんが、たまに行く勉強会があって、その勉強会に行けないとき、仲間の人が、「どうしたんだろうね?」とよく言っているのを聞くことがあるそうです。
それを聞いて、「出られない時もあるよ~。いいじゃん。でも、私の教室にあなたも来ないときがあるよね・・・」と、思ったのだそうです。「とっても屈折していますねぇ」と、ご自身で笑いながらおっしゃいました。
「そっとしておいてあげることができたら、楽ですよね」と振ってみると、「それができたら楽ですよね」とお答えになりました。
クライアントさんが、思うその感じを、私も体験したことがあるのを思い出しました。
2日前まで、「出席します」になっていた人が、前日の夜になって、「法事になってしまいました」という理由で、ドタキャンのようなことがあったのです。既に予定人数に入っていたので、もうキャンセルも効かない時刻でした。「え? 法事ならば、事前に分かるものでは?」と思い、そんなドタキャンは、あり得ない! と怒りがこみ上げてきましたが、仕方のないこと。
相手に「残念です。了解しました」と、短い返事を送りました。怒りがこみ上げていたので、それでも怒りを抑えての返事でした。なんだか、嫌な予感がちょっとしていたんです。
突然のことでしたが、幸い、他の人が参加できることになったので、穴は埋まりました。
しかし、それを最後に、その知人とは縁が切れてしまったのです。
そのときの私は、怒りがこみ上げて、「事実かどうかわからないけれど、仕方のないこと」という納得のさせ方をしました。
しかし今は、「そのような理由を述べることで、精いっぱいだったのかな?」と、理解するので、許さない! という気持ちも湧いてこなくなりました。
誰しも、「閉じているモード」のときというのもあるでしょう。
本当は、日程的に行かれるお誘いだけれども、理由をつけて、断りたいときもあるし、その理由は、もしかしたら、建前上の理由を使うこともあるかもしれませんし、理由を説明しないで、「行かれません」と返事をする場合もあるかもしれません。
色々話しながら、屈折していた理由が見えてきました。クライアントさんは、「繋げる感じに持って行かなくちゃ」と思っていたようでした。つまり、繋げることが出来ていない自分を許せていなかったことに、つながりました。
自分は、繋げる自分でありたいということ。
相手が来ない理由を、「それは仕方ない」というところで納得しようとしても、なんだか消化不良ですが、「今は、そういう気分じゃないのかな。そんなときもあるものね」というところまで、相手を理解しようとすると、そっとしておけるのではないでしょうか。
そして、「また、機会があったらお声掛けしますね」と最後に付け加えると、相手もきっと安心するでしょう。つながる言葉を投げかけることのできる自分も、自分で安心するのだと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
今のあなたは、どんなモードですか?
「何で来ないの?」、「何で続けないの?」と、いちいち思う自分だと、辞める人が出るたびに、ストレスになってしまうわけです。もっと気が楽になる捉え方は、あるのでしょうか?
クライアントさんは、自宅でお教室をされていらっしゃいます。それこそ、クライアントさんは先生になるくらいですから、何十年も続けていらっしゃるわけです。そんなクライアントさんも、私のセッションを1年以上続けていらっしゃるので、これはと思ったら、継続しながら、変化、成長を楽しみたいタイプなのかもしれません。続けない人のことを、あまりよく思っていないようです。
そんな自分との違いもあるのでしょうか?「何で来ないの?」と思ってしまうときがあるそうなのです。生徒さんによっては、3年以上続いているひとも何人かいらっしゃるそうです。一方、途中、出産などのためにお休みをされて、こちらから声を掛けてみたら、また戻ってくる人もいるそうです。
十人十色あるのでしょう。相手の都合で辞めることもあるというのは、当然あることだと、理解することは、そんなに難しいことではないかもしれませんが…。
クライアントさんが、「何で来ないの?」という言葉を使ったところに、「来ないことが許せない!」という感じも伝わってきました。
「来ないことが許せない?」というところから、「何が許せない?」という話につながっていきました。
クライアントさんが、たまに行く勉強会があって、その勉強会に行けないとき、仲間の人が、「どうしたんだろうね?」とよく言っているのを聞くことがあるそうです。
それを聞いて、「出られない時もあるよ~。いいじゃん。でも、私の教室にあなたも来ないときがあるよね・・・」と、思ったのだそうです。「とっても屈折していますねぇ」と、ご自身で笑いながらおっしゃいました。
「そっとしておいてあげることができたら、楽ですよね」と振ってみると、「それができたら楽ですよね」とお答えになりました。
クライアントさんが、思うその感じを、私も体験したことがあるのを思い出しました。
2日前まで、「出席します」になっていた人が、前日の夜になって、「法事になってしまいました」という理由で、ドタキャンのようなことがあったのです。既に予定人数に入っていたので、もうキャンセルも効かない時刻でした。「え? 法事ならば、事前に分かるものでは?」と思い、そんなドタキャンは、あり得ない! と怒りがこみ上げてきましたが、仕方のないこと。
相手に「残念です。了解しました」と、短い返事を送りました。怒りがこみ上げていたので、それでも怒りを抑えての返事でした。なんだか、嫌な予感がちょっとしていたんです。
突然のことでしたが、幸い、他の人が参加できることになったので、穴は埋まりました。
しかし、それを最後に、その知人とは縁が切れてしまったのです。
そのときの私は、怒りがこみ上げて、「事実かどうかわからないけれど、仕方のないこと」という納得のさせ方をしました。
しかし今は、「そのような理由を述べることで、精いっぱいだったのかな?」と、理解するので、許さない! という気持ちも湧いてこなくなりました。
誰しも、「閉じているモード」のときというのもあるでしょう。
本当は、日程的に行かれるお誘いだけれども、理由をつけて、断りたいときもあるし、その理由は、もしかしたら、建前上の理由を使うこともあるかもしれませんし、理由を説明しないで、「行かれません」と返事をする場合もあるかもしれません。
色々話しながら、屈折していた理由が見えてきました。クライアントさんは、「繋げる感じに持って行かなくちゃ」と思っていたようでした。つまり、繋げることが出来ていない自分を許せていなかったことに、つながりました。
自分は、繋げる自分でありたいということ。
相手が来ない理由を、「それは仕方ない」というところで納得しようとしても、なんだか消化不良ですが、「今は、そういう気分じゃないのかな。そんなときもあるものね」というところまで、相手を理解しようとすると、そっとしておけるのではないでしょうか。
そして、「また、機会があったらお声掛けしますね」と最後に付け加えると、相手もきっと安心するでしょう。つながる言葉を投げかけることのできる自分も、自分で安心するのだと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
今のあなたは、どんなモードですか?
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