生徒さんのピアノの発表会準備中とのこと。一生懸命やらせるばかりなような気がしてしまっているので、そもそも、どんな演奏にしたいか? を考えたいとのことでした。
クライアントさんが思いついたことから、お話してもらいました。
「生徒には、クラシックができるようになってもらいたいです。何百年も残っているものだから、演奏の価値があるんだと思うんですよね。そこで、響き、和音のバランスを指導していきたいんですけど、ここまで言っていいのかな? と思ったりするときもあれば、食いつくときもあるんです」とのことでした。
クライアントさんが、困っているのは、クラシックの態勢をつくりたいのに、砕けてしまう小学生の男の子がいるということでした。そんな、砕けた様子をみて、「この砕け感は?」と思って、「もっとしっかりしなさい!」と言いたくなってしまうけれど、「じゃあ、何がきちんとなのか?」と、そのあたりが、クライアントさんの中で曖昧のようでした。
レッスンのときに、あまりうまく弾けなくて、ふにゃっと砕けてしまう。本当は、「クラシックを弾く姿勢」まで持っていきたいけど、まだそこまで行けていない…そんな生徒さんの気持ちを想像してみることにしました。
「本人のレベルより難しいから、余裕がないのかな。音を外すことが気になってしまい、そこがクリアできないと、次のことに進めないのかも。まずは、音を外さないところをクリアさせるように、一つずつですかね…」とおっしゃいました。
「一つずつ」と言えば、思い出したことがあったので、クライアントさんに話をシェアしました。先日、姪っ子と旅行へ行ったとき、彼女にとっては、初めてひとりで乗る自転車体験をしました。おそらく、小学1年生なら乗れそうなペダルまでの距離で、4歳の彼女にとっては、ギリギリ足がつくくらいだったのです。そこで、私が自転車の後ろを抑えながら、走らせるのを手伝っていたのですが、ペダル作業とハンドル作業と同時に行うことは、初めての自転車ですし、難しかったようで、右へ行ったり左へいったり、フラフラしながら進んで行きました。
その様子から、今度は、二人乗りの自転車にして、私がハンドルを操作することにして、彼女にはペダルを漕ぐだけに集中してもらったのです。1つの作業に集中することで、どうにか漕ぐことはできました。終わったら満足そうな顔をして、「ああ、手が痛かった~」と言ったので、あれ、足じゃなかったの? と、違うところに力が入っていたのか…と気づかされました。
つまり、本来注意を向けるところ以外のところに、力が入っているということは、砕けるというのは、その中に何かを隠しているのかなと、考えてみることにしました。
砕けるというのは、出来なかった時の照れ隠しなのか? 怒られないようにしているのか? 間違えて悔しかったのか? どうなのでしょうか?
クライアントさんが言いました。
「1回目は、しゃきっとしないけれど、次から出来るようになるところもあるんですよ。学校でも、歌とか伴奏とか褒められるようですし。今度こそやろうねといっても、フワフワしているし…。そう言えば、『歯切れ良く弾かなくちゃいけないの?』と訊いてくるときがありますね」
「なるほど、理由を知りたがるってことですかね?」
「そう言えば、彼の妹も、何で? と訊いてきますね。妹は、てきぱきしているタイプで、ちゃんと聞いてくるのですが」
「兄、妹そろって、理由を明確にしたいタイプなのでしょうかね」
どう弾いたらいいのか? 言われてもピンとこないことをごまかしている感じが、砕けているのかもしれない、とそんな風に見えてきました。そう言えば、「なんで?」という顔をしているときがあるそうなのです。
感覚的な言葉で言われたとき、理解できるときもあれば、「?」というときもあるかもしれません。私の知人が、私と同じ先生からボイトレを習っているのですが、ボイトレの先生が使う言語は、結構、感覚的なところがあります。
私は、「こんなイメージで」と言われると、「はい、分かりました」と言って、イメージを再現しようとするタイプなのですが、知人は、「そんなこと言われてもわかりません!」と言い返しているのだそうです。(笑)
ときに、いい感じで歌えたときに先生が、「どうやったの今?」と訊いてきたので、「歌詞じゃなくて、楽譜を見たんです」と答えたら、「じゃあ、それやって」と言われたときに、そうしていこうと、自分で腑に落ちたようでした。いままでは、歌詞だけのプリントを持っていたそうなのですが、楽譜をみるようにしたら、音を外さなくなったのだそうです。
「そうすれば、うまくいく」ということが、言語化されると、また再現しやすくなるのでしょう。子供ですから、「そんなこと言われてもわかりません!」とは、言えなかったのかもしれません。砕けた時は、「何でそうするの? と疑問に思っているのかな」と、考えてみる。そこまで相手のことを考えてみて、クライアントさんも、「そうか!」と腑に落ちた感じでした。
「なんでそうするの?」と訊かれたら、生徒さんと一緒に理由を考えていけばいいのでしょう。逆に、クライアントさんとしても、感覚的なことを言語化しながら教えることで、生徒さんから、発見を引き出してもらえることでしょう。
絆とは、相手が理由で自分が変わること。先生と生徒さんとの絆も深まっていきながら、より生徒さんたちの力が引き出されていくといいですね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
発見をするときはどんなときですか?
クライアントさんが思いついたことから、お話してもらいました。
「生徒には、クラシックができるようになってもらいたいです。何百年も残っているものだから、演奏の価値があるんだと思うんですよね。そこで、響き、和音のバランスを指導していきたいんですけど、ここまで言っていいのかな? と思ったりするときもあれば、食いつくときもあるんです」とのことでした。
クライアントさんが、困っているのは、クラシックの態勢をつくりたいのに、砕けてしまう小学生の男の子がいるということでした。そんな、砕けた様子をみて、「この砕け感は?」と思って、「もっとしっかりしなさい!」と言いたくなってしまうけれど、「じゃあ、何がきちんとなのか?」と、そのあたりが、クライアントさんの中で曖昧のようでした。
レッスンのときに、あまりうまく弾けなくて、ふにゃっと砕けてしまう。本当は、「クラシックを弾く姿勢」まで持っていきたいけど、まだそこまで行けていない…そんな生徒さんの気持ちを想像してみることにしました。
「本人のレベルより難しいから、余裕がないのかな。音を外すことが気になってしまい、そこがクリアできないと、次のことに進めないのかも。まずは、音を外さないところをクリアさせるように、一つずつですかね…」とおっしゃいました。
「一つずつ」と言えば、思い出したことがあったので、クライアントさんに話をシェアしました。先日、姪っ子と旅行へ行ったとき、彼女にとっては、初めてひとりで乗る自転車体験をしました。おそらく、小学1年生なら乗れそうなペダルまでの距離で、4歳の彼女にとっては、ギリギリ足がつくくらいだったのです。そこで、私が自転車の後ろを抑えながら、走らせるのを手伝っていたのですが、ペダル作業とハンドル作業と同時に行うことは、初めての自転車ですし、難しかったようで、右へ行ったり左へいったり、フラフラしながら進んで行きました。
その様子から、今度は、二人乗りの自転車にして、私がハンドルを操作することにして、彼女にはペダルを漕ぐだけに集中してもらったのです。1つの作業に集中することで、どうにか漕ぐことはできました。終わったら満足そうな顔をして、「ああ、手が痛かった~」と言ったので、あれ、足じゃなかったの? と、違うところに力が入っていたのか…と気づかされました。
つまり、本来注意を向けるところ以外のところに、力が入っているということは、砕けるというのは、その中に何かを隠しているのかなと、考えてみることにしました。
砕けるというのは、出来なかった時の照れ隠しなのか? 怒られないようにしているのか? 間違えて悔しかったのか? どうなのでしょうか?
クライアントさんが言いました。
「1回目は、しゃきっとしないけれど、次から出来るようになるところもあるんですよ。学校でも、歌とか伴奏とか褒められるようですし。今度こそやろうねといっても、フワフワしているし…。そう言えば、『歯切れ良く弾かなくちゃいけないの?』と訊いてくるときがありますね」
「なるほど、理由を知りたがるってことですかね?」
「そう言えば、彼の妹も、何で? と訊いてきますね。妹は、てきぱきしているタイプで、ちゃんと聞いてくるのですが」
「兄、妹そろって、理由を明確にしたいタイプなのでしょうかね」
どう弾いたらいいのか? 言われてもピンとこないことをごまかしている感じが、砕けているのかもしれない、とそんな風に見えてきました。そう言えば、「なんで?」という顔をしているときがあるそうなのです。
感覚的な言葉で言われたとき、理解できるときもあれば、「?」というときもあるかもしれません。私の知人が、私と同じ先生からボイトレを習っているのですが、ボイトレの先生が使う言語は、結構、感覚的なところがあります。
私は、「こんなイメージで」と言われると、「はい、分かりました」と言って、イメージを再現しようとするタイプなのですが、知人は、「そんなこと言われてもわかりません!」と言い返しているのだそうです。(笑)
ときに、いい感じで歌えたときに先生が、「どうやったの今?」と訊いてきたので、「歌詞じゃなくて、楽譜を見たんです」と答えたら、「じゃあ、それやって」と言われたときに、そうしていこうと、自分で腑に落ちたようでした。いままでは、歌詞だけのプリントを持っていたそうなのですが、楽譜をみるようにしたら、音を外さなくなったのだそうです。
「そうすれば、うまくいく」ということが、言語化されると、また再現しやすくなるのでしょう。子供ですから、「そんなこと言われてもわかりません!」とは、言えなかったのかもしれません。砕けた時は、「何でそうするの? と疑問に思っているのかな」と、考えてみる。そこまで相手のことを考えてみて、クライアントさんも、「そうか!」と腑に落ちた感じでした。
「なんでそうするの?」と訊かれたら、生徒さんと一緒に理由を考えていけばいいのでしょう。逆に、クライアントさんとしても、感覚的なことを言語化しながら教えることで、生徒さんから、発見を引き出してもらえることでしょう。
絆とは、相手が理由で自分が変わること。先生と生徒さんとの絆も深まっていきながら、より生徒さんたちの力が引き出されていくといいですね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
発見をするときはどんなときですか?
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