相手と「違う」と感じることを、どうすれば「そうね」と言えるようになるか?

 海外の出張先で、日本人仲間たちとディナーへ行ったとき、その国の人らしい、メニューの提案の仕方をされ、「日本じゃ、ありえないよね」と嫌悪感を抱いているように見える人が多かったそうなのです。同じサービス業をしている者として、余計に敏感に感じたのでしょうか。しかし、海外生活が長いクライアントさんは、「いいですよ」と思わず返事をしてしまったことで、「いいよ」って言わなきゃよかったと、自己否定につながってしまったとおっしゃっていました。
 皆が嫌悪感を抱いているのに、自分は肯定している状態になったこということは、みんなのことを否定しているのではないかと、自分の発言に対して、自分を責めることにつながりました。

 クライアントさんとしては、双方の言っていることを理解したいと思っているのだそうです。お客様は神様です、と言われる日本の考え方もわかるし、お客様も従業員も同等に考える、その国の人たちの考え方もわかるし…という気持ちです。だけれども、日本人といると、自分が悪いこと言っちゃたのかな? と自己嫌悪になりやすくなるそうです。

 双方を理解したいと思っている、その考え方が、クライアントさんの考え方ですが、結局、いつも収まるところが「自己嫌悪」。そこに運んでいるのは、自分自身ですから、自分が自己嫌悪になる手前の考え方をどうにかしていけばいいのかなということです。

 どうして、自己嫌悪になってしまうのでしょうか?おそらく、「同意しなくてはいけない」という思い込みがありそうです。ここは、同意ではなくて、共感的理解を示すコミュニケーションスタイルもあります。「同意しなくてはいけない」と思っていることが、自己否定につながっていそうです。

 共感的理解というのは、「あなたの言っていることは分かる」ということです。「自分はそうじゃないけど、言っていることは分かる」そういう理解です。
 私も、セッションをしていて、さまざまなクライアントさんがいらっしゃるので、私と考え方が違うとき、以前は、「それは、共感できません」と、どこかで思ってしまい、ときに思わず口からポロっと「それは、どうなんでしょう?」と発してしまったことがありました。後からクライアントさんに、「傷つきました」とメールを頂いたことがありました。それはそれは、猛反省をしましたが、どうすれば、「違う」ことを「そうね」と言えるようになるのだろうか? と色々考えていたのです。
 あるとき、「共感的理解」という言葉を知って、「あなたの言っていることは理解できます」でいいのだと、悩み始めてから2年くらい経って、ようやく分かりました。ちょうど、自分の中でも、ありのままでみられるようになってきたころでしたので、すんなりと理解できました。

 今は、「なるほど、そうなる気持ちも理解できます」と、伝えたり、その様な姿勢で傾聴することは自然になりました。相手は、同意でなくても、もっと話をしてくれるのです。
 クライアントさんは、きっと外国暮らしをしていた頃は、「あなたの言っていることはわかります」というような言葉を、発していたのではないでしょうか。
 日本だと「同意」することが、和を生み出すような雰囲気があるので、違うなと思っても、「そうだよね」と、つい答えてしまうこともありそうですが、個人主義を重んじるところだったら、「共感的理解」は自然にしてきたのではないかと。

「日本にいる時も、それでいいんですよ」と私がクライアントさんに言うと、「そうか!」と安心したような口調で答えました。実際、私もその様なコミュニケーションスタイルを取れるようになってからのほうが、幅が広がりました。

 しかし、なぜ、日本人といると、自分が悪いこと言っちゃたのかな? と自己嫌悪になりやすくなるのでしょうか? 話のテーマは移っていきました。
 なにか、クライアントさんの中に、「分かってほしい!」というような思いがありそうに思いましたので、海外暮らしのことを聞いてみたいと思いました。

「海外に一人で住むのが大変だったんです。自分が一人で生きているとき、妥協をしたり、受け容れたり、周りの人を分かってあげたり、苦労したことがいっぱいあります」と話が続いていきました。
 そして、日本の会社に就職するときの面談で「プライドは捨ててください。0からフラットにして始めてください」と、働く前から言われ、その通りだわ、とフラットにしようと思う反面、経験を重ねてきたのに、表面的にしか見られていないことが、悔しいし、悲しい思いもしたようでした。

「直さなくちゃ。自分が悪いのかな。だったら黙っていよう。相手に言われないように」と考えることが増えて、自分で勝手に疲れてしまうようになったのだと、自己嫌悪が始まったその地点に辿りつきました。

 クライアントさんは、思いがけない話がするすると引き出されたことに、「コーチングってすごい!」とびっくりしたご様子でした。不思議なもので、感情という線でつながっているので、関連する話は、次から次に思い出されていくものです。

「しなやかに、否定しないようになりたいです!」と、クライアントさんがおっしゃいました。
自分のことを否定しなければ、相手のことも否定しなくなります。つまり、「ゆるしの儀式」をまずはしてみることです。「自分を責めている自分を許します」と紙に書いて燃やすのです。
 あるクライアントさんが、便せんを出して書き始めたら、数々の悪事が出てきたとおっしゃっていました。燃やしたらスッキリして、よく、夜中に目覚めていたそうなのですが、最近は、途中で起きなくなったそうなのです。これは、ゆるしの儀式と関連していると、感じたようでした。

 さらに、感情の線を辿って、もっと過去のことが浮かび上がってきました。子供の頃の親とのかかわりについてでした。

 何でもコントロールしたがるところがあり、しょっちゅう怒られていたそうなのです。今は、親の愛情表現と理解しているそうなのですが。でも、理解しているだけで、きっと心の中には、寂しそうなものがありそうに思いました。

「もうやめたいな~」と言うと、「絶対ダメ!」と言われることが目に見えているので、弱音を吐けないのだそうです。
ダメだしされると、直で、私が悪いのかなと考える思考回路ができ上っていたのは、ここがスタートでした。

 「気持ちを聴いてもらったことがないのでは?」と訊くと、「そうか。なかったですね」とおっしゃいました。
 つまり、自分の中の脳内会話も、自分の気持ちを聴く前に、「自分が悪いのかな」とすぐに考えてしまうようになっていました。

「自分の気持ちを聴いていない自分を許します」また、もうひとつ、ゆるしの言葉が出てきました。
 自分の気持ちを聴いてあげることができたら、人の気持ちを聴いてあげられることにつながりそうです。

 冒頭のレストランの話に戻りますが、「確かに、日本のサービスレベルは高いですからね~。それが、私たちの強みですよね。大切にしたいですね~」と、嫌悪感を抱いているように見えた人へ、言葉を返すこともできるでしょう。

 もっと根本的なところまで理解しようと相手のことを想像する目が養われると、「嫌悪感を抱いている人」というよりも、「そういう考えを大事にしている人」というように見えてきて、「よっぽど大切になさっているのだな~」という思いの方が、浮かんでくるように見えるのかもしれません。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

相手を理解することについて、どう考えていますか?