相手に求めなくても、自分で自分の価値を認識できればいいのに。

 相談に乗っているというか、話を聞いてあげている身近な友人がいるそうですが、いつも話を聞いてあげるだけで、何の解決策も提供できずにいて、「あの人に話したのが間違いだったわ」と言うのを他人から聞いてしまったそうです。
 しかしそれからも、寒いけれど外の駐車場で立ち話とか、朝から電話がかかってくるとか、相変わらず関係性は続いているようです。

「相変わらずですね~。私がもっと聴くのがうまくなればいんだと思うのですが…」とクライアントさんは、いつもそうおっしゃっています。もっとうまくなりたいけれど、出来ないことに執着しているのか? なんとしてでも、できるようになりたいのか? 「もういいやっ」とも手放したい気持ちもありながら、相変わらずということでした。

 ここで、「自分」から視点をずらすために「相手にはどうなってもらいたいのですか?」と質問してみました。

「楽になって欲しい。でも、余計しんどくさせてしまったのは自分ですね。先日は、相手がやってみたいことについて語っていたので、やったらいいのにと言うと、でも・・・と心配事ばかりを言っていたので、心配事のほうをちゃんと聴けてあげなかったのかも…。でも、時間を割いて聞いてあげたのに…。ん・・・。どうやら、自分の結末しか見えていないようですね。相手に必要として欲しい。必要としてくれなかったらどうしよう…と」

「相手に言いたいことはないんですか? これだけ聞いたのに! 朝から電話しないでくれる?! とか…」と私が言うと、「はい、まさにその通りです」と笑っていました。

 でも、相手も優しいところもあるので、ちゃぶ台をひっくり返さないように決めているのだそうです。トイレも我慢し、寒いのも我慢して…。旦那さまには、「無理しないでよ」と言われるそうです。

「我慢しすぎですね。生理的なことは我慢しなくてもいいのにねぇ」と聞いてみると、「そうですね。この我慢は異常。嫌われたくないっていうのが強いですね~。そこまで我慢しなくてもいいですよね」と、自分の聴く力を試しているというよりも、嫌われたくないというのがでてきました。

「もしかして、相手は自分がいなくても大丈夫だったりするのでは?」と聞くと、「大丈夫そうですね…。相談を受けている自分なんだ、と思いたいがために、私が相手を求めているような気がします。求められないと、価値がない自分になってしまうと。自分が自分で価値を認められれば、求めなくても自分で価値を認識できれば、執着から解放されそうですね」と、自分で解決策に気づかれていました。
 相手に自分の価値を委ねるよりも、自分で自分の価値を見いだせれば、我慢までして、相手に合わせる必要もなくなりそうだ。もう少し気楽に行けそうだということです。

「自分の価値はなんでしょうか?」

(沈黙)

「いや、ないですよ何も。資格とか、結果を出したとか、
人のために何かをしているというわけでもないし」

「価値を資格や結果に置かないで、考えてみるとどうでしょう?」

(沈黙)

私が気づいたことを言いました。「年齢より若く見えるところも価値なのでは?」と。

「え?そういうところ。丸裸の価値ですね(笑)」

ということで、ここから自分が毎日していることについて、訊いてみました。

「フローリングの床を毎日水ぶきで磨くこと。堀口さんのブログを読むこと。旦那さんを見送ること。ご飯、味噌汁を作る。ご飯は精米して、土鍋で炊いています」

「え!!!精米して土鍋?! どれだけ美味しいんでしょうか! フローリングの床を毎日水ぶきも凄いですよ!」

「家に居ると色々やってしまうんですよね。気になることがお家の中にいっぱいあるんです。でも、人のために何かをしたとか、ではないから、価値はあるのかなと…」

「食を大切にしているっていうことですよね」

「でも、相手のためにできることがないと価値がないと…。
堀口さんも人のためにブログを書いているとおっしゃっていましたよね」

「結果的に人のためにもなることもあるようですが、
自分が1日をまとめたくて書いているのもあるし、自分の進歩を言語化しないと、
自分の中に落とし込みがしにくいタイプだから、自分が前進できたか確認しているんです。
結局は自分のためですよ」

「そうですかぁ。でも、変わったことをしないと・・・」

「毎日精米&土鍋でも、都会の人間からしたら、じゅうぶん変わっていますよ。匠です(笑)」
1年以上セッションをしていますが、精米土鍋の話は、初めて出てきたのでした。

 食にこだわって毎日継続していること。とても価値があるのではないでしょうか。子供のころの経験から、「そう暮らしていきたい」と思ったとのことでした。クライアントさんにとっては、そこに初めて光があったったので、え、そんなこと? になっていらっしゃるようでしたが。

 価値は、そういったところにも発見できるのだ、という視点を持つことで、色々見えてくる気がします。後はご自身で自分の価値だと認識できるかどうかです。まずは、受け容れることだと思います。

 そうして、「自分はこういうものが価値があると思う」というものを作り出すことなのかもしれないと、私は考えています。

 
 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分の価値を受け入れていますか?