昨日の記事の方に引き続き、28歳の方のセッションがありました。私もその頃、転機でした。なんだか、全てがゼロになったかのような、そんな状況でもあり、心境だったのです。これからの新しい自分を構築していく、今思えばスタート地点だったのかもしれません。
他人に流された人生を生きるのか? 自分のために人生を生きるのか? きっと、そんな岐路だったのでしょう。
今回、対面セッションに来てくださった男性は、5年前から私のブログを読んでくださっているようでした。読むだけで、自分の視点が変われることもあったからずっと読んでいたようで、まさか、自分がセッションを受けるとは、考えてもみたことがなかったそうです。しかし、27歳になって、色々と自分を変えるために行動をすることが増える中、選択に迷うことも増えてきて、セッションの必要性を感じたとのことでした。
他人に流された人生を生きるのか? 自分のために人生を生きるのか? きっと、そんな岐路だったのでしょう。
今回、対面セッションに来てくださった男性は、5年前から私のブログを読んでくださっているようでした。読むだけで、自分の視点が変われることもあったからずっと読んでいたようで、まさか、自分がセッションを受けるとは、考えてもみたことがなかったそうです。しかし、27歳になって、色々と自分を変えるために行動をすることが増える中、選択に迷うことも増えてきて、セッションの必要性を感じたとのことでした。
クライアントさんは、これからやりたいことがあるけれど、それに進むことは正解なのだろうか? いや、それを後回しにした人生も意味があるし、それを先に実行に移した場合も意味があるし…。でも、それをやらないと、自分自身が納得できない! これからどんな決定をしていくのか? 考えたいとのことでした。
海外で勉強してみたいとおっしゃっていました。しかし、明確な目的もないのに、行ってどうするんだ? という周りの声。以前、短期留学をしたとき、遊んで帰ってきてしまったことの反省があるようです。しかし、帰ってきてからやる気が高まり始め、積極的に外国人の出没するところへ、足を向けてみたりして、外国人の友たちと交流を深めた体験が再び足を運ぼうという気にさせたとか。目的はまだ明確ではないけれど、今度こそ、打ち込める自分を感じているようでした。
これからの人生は、やらされている感じよりも、自分が楽しいとおもえることをしていきたいとおっしゃっていました。しかしながら、意志はあるようですが、決断まで自信が持てない。何が足を引っ張っているのでしょう?
過去の自分についても訊いてみました。「諦める自分」がいつもいたようです。小学生のときは、運動で1番を取るのは当たり前くらいに思っていたけれど、どんどん自分よりもできる人が現れてきて、「かなわなそうだから、やらないこと」が増えて、そんなセルフイメージのまま、社会人になったとのこと。平気で力も抜くし、人に迷惑をかけていたこともあったと振り返るそうです。しかし、25歳から、自分を変えることを決意して、今の自分になってきたとおっしゃっていました。
「じゃあ、これからも自分の望む自分になっていけばいいですね」ということなのでしょうが、不安の声は、こんなセリフにも表れていました。「将来は、誰かとコラボをしてやってみたい」 「尊敬する人に今は会いたいと思っている」「だれか、お手本になる人が欲しい」と。
私は、こうフィードバックしました。
「自分でやろう。自分で新しいものを作ろうって思わないんですか?」と。
すると、クライアントさんは、ハッとしていました。
「完全に、ビビりでした…。誰かに依存しようとしていたんですね…」
身近な人が、理想の状態になっているのを見ると、自分がそうなっていないことに、イライラしてしまうのだそうです。そこから、「人と比べる自分」も見えてきました。ブレてしまう原因が、もうひとつ分かってきたのです。
先日のセッションだった方も、「ここで資格をとれば、このコミュニティーの中で資格を生かす場を与えます」と言われ、それを期待して、講座を受講し、そのあと会社も辞めてわざわざ東京にも出てきたそうなのですが、話と違う! という、場合によっては裁判沙汰になりそうなことに巻き込まれてしまったそうです。結局そこを抜け出すことを選択するしかなく、今はまた新しい仕事を始めて週7で働く毎日とおっしゃっていました。
「最短で行けると思ったので…」と、そういう選択をしたそうですが、やはり、自分の花を咲かせるには、急がば回れなのかもしれません。自分が依存的になっていることには、客観的に気づけないものです。
また、「人と比べる」気持ちについては、違う花を咲かせようと思ったら、比べることもなくなるのではないでしょうか?
そうなれるようにと、誰かにお願いして叶えようとするよりも、自分の道を進み始めると、自然と手を差し伸べられるものなのです。
私が、独立前にメンターとメールのやりとりをしたのは、私がメンターになってくださいとお願いしたのではなく、向こうから手を差し伸べられたのです。
誰かとコラボをしたいというのも、声をかけられるには、一度、自分の花を咲かせることなのかもしれません。
そんな話をしたら、クライアントさんは、自分の道を進む勇気を持たれたようでした。オンリーワンの花を咲かせることができるといいですね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分らしい花を咲かせていますか?
海外で勉強してみたいとおっしゃっていました。しかし、明確な目的もないのに、行ってどうするんだ? という周りの声。以前、短期留学をしたとき、遊んで帰ってきてしまったことの反省があるようです。しかし、帰ってきてからやる気が高まり始め、積極的に外国人の出没するところへ、足を向けてみたりして、外国人の友たちと交流を深めた体験が再び足を運ぼうという気にさせたとか。目的はまだ明確ではないけれど、今度こそ、打ち込める自分を感じているようでした。
これからの人生は、やらされている感じよりも、自分が楽しいとおもえることをしていきたいとおっしゃっていました。しかしながら、意志はあるようですが、決断まで自信が持てない。何が足を引っ張っているのでしょう?
過去の自分についても訊いてみました。「諦める自分」がいつもいたようです。小学生のときは、運動で1番を取るのは当たり前くらいに思っていたけれど、どんどん自分よりもできる人が現れてきて、「かなわなそうだから、やらないこと」が増えて、そんなセルフイメージのまま、社会人になったとのこと。平気で力も抜くし、人に迷惑をかけていたこともあったと振り返るそうです。しかし、25歳から、自分を変えることを決意して、今の自分になってきたとおっしゃっていました。
「じゃあ、これからも自分の望む自分になっていけばいいですね」ということなのでしょうが、不安の声は、こんなセリフにも表れていました。「将来は、誰かとコラボをしてやってみたい」 「尊敬する人に今は会いたいと思っている」「だれか、お手本になる人が欲しい」と。
私は、こうフィードバックしました。
「自分でやろう。自分で新しいものを作ろうって思わないんですか?」と。
すると、クライアントさんは、ハッとしていました。
「完全に、ビビりでした…。誰かに依存しようとしていたんですね…」
身近な人が、理想の状態になっているのを見ると、自分がそうなっていないことに、イライラしてしまうのだそうです。そこから、「人と比べる自分」も見えてきました。ブレてしまう原因が、もうひとつ分かってきたのです。
先日のセッションだった方も、「ここで資格をとれば、このコミュニティーの中で資格を生かす場を与えます」と言われ、それを期待して、講座を受講し、そのあと会社も辞めてわざわざ東京にも出てきたそうなのですが、話と違う! という、場合によっては裁判沙汰になりそうなことに巻き込まれてしまったそうです。結局そこを抜け出すことを選択するしかなく、今はまた新しい仕事を始めて週7で働く毎日とおっしゃっていました。
「最短で行けると思ったので…」と、そういう選択をしたそうですが、やはり、自分の花を咲かせるには、急がば回れなのかもしれません。自分が依存的になっていることには、客観的に気づけないものです。
また、「人と比べる」気持ちについては、違う花を咲かせようと思ったら、比べることもなくなるのではないでしょうか?
そうなれるようにと、誰かにお願いして叶えようとするよりも、自分の道を進み始めると、自然と手を差し伸べられるものなのです。
私が、独立前にメンターとメールのやりとりをしたのは、私がメンターになってくださいとお願いしたのではなく、向こうから手を差し伸べられたのです。
誰かとコラボをしたいというのも、声をかけられるには、一度、自分の花を咲かせることなのかもしれません。
そんな話をしたら、クライアントさんは、自分の道を進む勇気を持たれたようでした。オンリーワンの花を咲かせることができるといいですね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分らしい花を咲かせていますか?
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