「愛されたい、こう思われたい。どう思われるだろう?と気にしてしまう」がテーマのセッションです。
「素の自分を出すと、あとからこういう自分を演じたかった」となることがあるそうなのです。なぜならば、「全部を見せることは、我がままなこと」という風に思ってしまい、素を出すのか、それとも相手からどう思われるかを気にして、演じるのか? どちらにするのかもわからなくなって、「あとから、こういう自分を演じたかった」になるという流れのようでした。
ということは、「今はこういう自分でいようとか、出し入れができたらいいのでは?」 ということについても考えてみることになりました。
私の視点は、「出し入れ」ですが、クライアントさんの視点は「演じる」です。クライアントさんの考える「演じる」はどういうイメージを持っているのか? さらに聞いてみると、「演じるは、わるくないが、嘘っぽい」と返ってきました。
「素の自分を出すと、あとからこういう自分を演じたかった」となることがあるそうなのです。なぜならば、「全部を見せることは、我がままなこと」という風に思ってしまい、素を出すのか、それとも相手からどう思われるかを気にして、演じるのか? どちらにするのかもわからなくなって、「あとから、こういう自分を演じたかった」になるという流れのようでした。
ということは、「今はこういう自分でいようとか、出し入れができたらいいのでは?」 ということについても考えてみることになりました。
私の視点は、「出し入れ」ですが、クライアントさんの視点は「演じる」です。クライアントさんの考える「演じる」はどういうイメージを持っているのか? さらに聞いてみると、「演じるは、わるくないが、嘘っぽい」と返ってきました。
ここで、私の「出し入れ」についてシェアしてみました。「演じる」に近いものがあるかなと言えば、子供と遊ぶ時です。クライアントさんは、昔は子供が好きだったけれど、今はどう接すればいいか迷ってしまうとおっしゃっていました。
私も姪ができたとき、子供との遊び方に悩み、大人の自分を崩して、ピエロみたいにならないとダメだと最初は思ったのです。 しかし、段々と遊ぶことを重ねるうちに、自分がピエロを演じようというよりも、子供のペースに合わせてしまえば楽なものということに気づいたことがありました。そうすると、結果的にピエロみたいになっているのかもしれませんが!
また、私は人の話を聴く仕事をしているので、自分はさておき、相手らしさを引き出す役です。プライベートもどちらかと言うと、人のやることに付き合う方が多いかもしれません。その代わり、1人でいる時間は、自分のわがままどおりに過ごすようにしています。(笑)1人の時間があってこその、二人以上、仲間との時間。そんなときは、ちょっと後ろから支える感じが心地よいです。自分ひとりの時は、自分のペースに。相手といる時は、相手にペーシングをしています。
クライアントさんの使っていた「演じる」という言葉以外に、「ペーシング」という言葉があると、新しい視点を伝えると、クライアントさんの中で気づいたことがあったようでした。
「自分らしくいる=我を出さなくちゃ、になっていました。自分らしくいなくちゃ、に必死でした」と言うことでした。
その先に、こんな疑問が出てきました。「でも、これで正しかった? これは、べき姿? といちいち考えてしまいそうです」と。
クライアントさんは、我を出すことに必死だったわけですから、出し入れとして、今後、我を出さないシーンがやってきたときに、不安になると思っているようでした。
そこで、「出し入れ」を実行していて、人生が楽しそうな人たちの例をあげてみました。我を出さないで人気のある芸能人は、わりといる気がします。例えば、司会者などです。タモリさん、黒柳さん、さんまさんは、相手の我を引き出すことの方に、力を注いでいる気がします。自分らしさもありながら、相手らしさも引き出している印象です。
すると、「私、さんまさんが好きなんです!」とおっしゃいました。
「自分の中にもあるものだから、反応しているんですよ」と私が言うと、「半年前に、どういう自分になりたいか? 考えたんです。そのとき、『色々な顔を使い分けられる女性』と手帳に書いたんです」と、クライアントさんのなかで、「自分らしく」と「相手らしさを引き出す」と使い分けられる女性になりたかったということにつながりました。
良く見られたい、こう思われたい…と思うと、我を出そうとする。あるとき、友人から冗談ぽく、「我を出しすぎ」の自分を指摘されたことがあったとか。そのとき、友達にずいぶん気を使わせてしまったなと思い、我を出すことに必死になりすぎだった自分について、罪悪感を抱いてしまったようでした。
自分はこうなんだ、を出す、出しすぎ、罪悪感。
自分はこうなんだ、を出す、出せなかった、イライラ。
こんなループになっていましたが、使い分けについて、定義が明確になったことで、クライアントさんのなかでかなり整理がつき、好きな「さんまさん」がキーワードとなって、いいイメージが潜在意識の中でもきっと広がったのではないかと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分ひとりの時と相手といる時、何か違いはありますか?
私も姪ができたとき、子供との遊び方に悩み、大人の自分を崩して、ピエロみたいにならないとダメだと最初は思ったのです。 しかし、段々と遊ぶことを重ねるうちに、自分がピエロを演じようというよりも、子供のペースに合わせてしまえば楽なものということに気づいたことがありました。そうすると、結果的にピエロみたいになっているのかもしれませんが!
また、私は人の話を聴く仕事をしているので、自分はさておき、相手らしさを引き出す役です。プライベートもどちらかと言うと、人のやることに付き合う方が多いかもしれません。その代わり、1人でいる時間は、自分のわがままどおりに過ごすようにしています。(笑)1人の時間があってこその、二人以上、仲間との時間。そんなときは、ちょっと後ろから支える感じが心地よいです。自分ひとりの時は、自分のペースに。相手といる時は、相手にペーシングをしています。
クライアントさんの使っていた「演じる」という言葉以外に、「ペーシング」という言葉があると、新しい視点を伝えると、クライアントさんの中で気づいたことがあったようでした。
「自分らしくいる=我を出さなくちゃ、になっていました。自分らしくいなくちゃ、に必死でした」と言うことでした。
その先に、こんな疑問が出てきました。「でも、これで正しかった? これは、べき姿? といちいち考えてしまいそうです」と。
クライアントさんは、我を出すことに必死だったわけですから、出し入れとして、今後、我を出さないシーンがやってきたときに、不安になると思っているようでした。
そこで、「出し入れ」を実行していて、人生が楽しそうな人たちの例をあげてみました。我を出さないで人気のある芸能人は、わりといる気がします。例えば、司会者などです。タモリさん、黒柳さん、さんまさんは、相手の我を引き出すことの方に、力を注いでいる気がします。自分らしさもありながら、相手らしさも引き出している印象です。
すると、「私、さんまさんが好きなんです!」とおっしゃいました。
「自分の中にもあるものだから、反応しているんですよ」と私が言うと、「半年前に、どういう自分になりたいか? 考えたんです。そのとき、『色々な顔を使い分けられる女性』と手帳に書いたんです」と、クライアントさんのなかで、「自分らしく」と「相手らしさを引き出す」と使い分けられる女性になりたかったということにつながりました。
良く見られたい、こう思われたい…と思うと、我を出そうとする。あるとき、友人から冗談ぽく、「我を出しすぎ」の自分を指摘されたことがあったとか。そのとき、友達にずいぶん気を使わせてしまったなと思い、我を出すことに必死になりすぎだった自分について、罪悪感を抱いてしまったようでした。
自分はこうなんだ、を出す、出しすぎ、罪悪感。
自分はこうなんだ、を出す、出せなかった、イライラ。
こんなループになっていましたが、使い分けについて、定義が明確になったことで、クライアントさんのなかでかなり整理がつき、好きな「さんまさん」がキーワードとなって、いいイメージが潜在意識の中でもきっと広がったのではないかと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分ひとりの時と相手といる時、何か違いはありますか?
0コメント