自分にとっては当たり前のことなのに、相手ができていないとイライラする。

 昨日の事例の続きの記事です。自分らしさを出さなくちゃ、と思って、うまく出せなくて、でも出してみると、周りにやんわりと指摘されて、どう自分が演じたらいいのか? わからなくなっていることについて書きました。セッションでは、自分らしさを出すことだけでなく、たとえば、テレビ番組の司会者のような、自分はおいて置き、相手らしさを引き出すという視点もあるということについて、理解が深まり、次のテーマへと進みました。

 部下に伝わらないと感じることがあったり、自分にとっては、当たり前のことなのに、できていないところを見るとイライラしてしまうそうです。時間も限られているし、「結論から話そうね」と言っても、実際には、話しながら結論が導かれるケースが多く、限られた時間のなかで、なかなかうまく伝わらないことに、ますますイライラが募るそうでした。

 以前の部署では、短い言葉で伝わりやすかったことがあるから、そうなるように部下に求めているのかな? とおっしゃっていました。
 それを聞いて私は、「せっかちなところがありますね~」とフィードバックをしたら、「そうなんです!」と返ってきました。

 自分のことを話さない部下がいるそうなのです。過去にわかってもらえないことがあったようで、わかってもらおうと思わないから、話さなくなったようだという、理由は知っているようでした。
 私は、クライアントさんが、「自分のことを話さない人は、コミュニケーションが難しいな…」で止まっているように感じたので、「そんな彼女の言語化を助けてあげるスタンスで取り組んでみるのはどうでしょう? 言葉にしたいことが話せるように、質問を投げかけることや、安心して話せるような態度をとることです。安心して話せるところがある、と感じてもらうだけでも、少しきっかけを与えられるかもしれませんよ。それに、自分も成長することができますよ」と伝えました。

 すると、「コミュニケーションが下手くそだと思っていたけれど、3人とも違うということが、今見えてきました。一人は、言語化を助ける。もう一人は、どう思われるか、あわせる傾向がある、他力本願のところも。あと一人は、考えるけど、ゆっくり」と個別に特徴を掴めたところで、相手の問題だったところが、自分の取り組む課題として、見る視点が変わったのです。昨日の記事でおっしゃっていた「色々な顔を使い分けられる女性」のテーマに取り組める機会が目の前にあるということが見えてきました。すべては必然です。


 相手が話しやすくなるときというのは、「あなたの言っていることは理解できますよ」というような共感的理解もそうですが、「私もそういう経験があってね…」と、相手と同等の感じに寄り添ったとき、相手は、「私だけじゃなかった。ホッとした」となることもあるのです。 

 クライアントさんは、たまたまセッションの前日、同僚が「私も」と上司に言われ、安心して話せて、諭してくれて、自分の答えを見つけられたという話を聞いたばかりだったようでした。見事にセレンディビティが起こりました。


 次に、「イライラの解消」についても考えました。私もそうだったのですが、「せっかちを解消すること。待てる自分になること」で、私の中のほとんどのイライラが軽減出来たのです。

 随分年下の知人に「堀口さん、待てませんからね」と言われて、「待ってやる!」と思ったことが、待てる自分になりたいと思った始まりでした。その思い方も、せっかちですが。(笑)

 今思えば、その言葉は本当に私に必要なメッセージでした。
 自分のこのせっかちさのルーツはどこだろう? とある日考えていたら、「親だ!」と分かったので、親にまで確認してしまったほどです。親は、「私も未熟だったのよ」と言って、私に謝ってきました。許しました。(笑)
 そして、私は悪くなかった! と思うことができ、そこから「ゆっくり」にフォーカスした日々を過ごし始めたのです。

 急ぐこともできて、待つこともできるようになると、ペーシングができる幅がうんと広がり、人間関係が円滑になりました。そしてなにしろ、自分を自分が待ってあげて、時間をかけて取り組むことで、自分のやっていることにも、自信が持てるようになったのです。

 先日、私の知人が、急に結婚指輪をつけていたので、「え!結婚したんですか!」と訊いてみると、自分は試験で忙しいし、彼女を作ることすら気に留めていなかったのに、相手に最初のアプローチをされてから、断ったけれど、ゆっくりと待たれて、気づけばゴールインだったようで、自分が一番驚いているとおっしゃっていました。待ってくれるということに、誠実さや気持ちの深さを感じたようです。クライアントさんが、恋愛でも悩んでいらしたので、ちょっとシェアしてみました。参考にするようです。(笑)


 「相手がこうだから、困っている」ということが悩みの発端だったところが、セッションの中では、自分に視点を移していくことで、「なるほどね」となっていく。自分が変わることで、周りとの関わり方は劇的に変わっていくものです。

 ペーシングと待つことは、私の中では同義語のような、そんな気がしています。


今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

待てますか?