「本当のことは言わない方がいいんだけど…」について考えてみたい。

 「本当のことは言わない方がいいんだけど…」について考えてみたいというテーマでした。
クライアントさんが読んだ心理学系の本やメルマガで、「言いたいことを我慢していませんか?」とか「ありのままの自分を表現しましょう」など、色々な解釈に腹が立ったりするそうです。
 というのも、自分のことを考えてみると、今まで本当のことを言わなきゃよかったということの方が印象的に残っているからだそうです。だから、「本当のことは言わない方がいいのかな?」と思いとどまるということでした。そもそも「本当のことって何?」という疑問もあるようです。

 しかし、身近な人に「はっきり言ってもらった方がいいわ」という人がいて、「職場の人に嫌われているようです」と言ったら、「それは、あなたが私のことを好きじゃないから、周りが同調してくれただけよ」と、キレられたそうです。


 友達が心理学のタイプわけに関して、「4つのタイプがあるけど、私の性格はタイプ分けできないのよ」と言ったので、内心は「そう考える人こそが、Bタイプなのに…」と思ったそうなのですが、建前では「そうだね」とその人を立てることにしたそうです。

 あるある話だなと思いながら、私は聞いていました。「はっきり言って欲しい」と言う人に限って、はっきり言うとキレられる。(笑)一方で、はっきり言ったら傷ついてしまう人もいるかもしれません。
 そう悩んでいるときに「言いたいことを我慢していませんか?」と問われて、クライアントさんは、どうしたらいいのか? よく悩むようでした。

 私は、以前から自分を表現することに関しては、飲み込まないほうだと思います。人に対しては、人のネガティブ評価は基本的にしたくないと思っていたので、良いところを探す傾向にありました。自分が本当にそう思った褒め言葉を伝えるということです。

 「奇麗な方ですね!」とある人に、本当にそう思っているから言ったのですが、1年後のお話する機会に、「あの言葉、傷つきました」と言われ、困ったことがあります。なんで、褒めたのにそんなことが起きたのだろうか? と、その時の私は全く理解不可能でしたが、今ならこうかなと分かります。

 こちらの評価のようなフィードバックだと、相手を傷つけたり、怒らせる傾向にあるのです。つまり、褒め言葉も評価だということです。ですので言うときに気をつけます。「私は奇麗な方だと思いました」と、あくまでも「私がそう感じましたよ。(あなたがどう思うかは別として)」というニュアンスが残るような伝え方にするのです。すると、全然相手の反応が違うようになります。

 一方で、受け取り方の問題もあると思います。私が相手から褒め言葉を頂いたならば、「その人はそう見えたんだ」と思うだけなので、自分の思っていることは置いておいて、「ありがとうございます」と、言って下さった好意を受け取るようにします。


 つぎに、相手のパフォーマンスの改善を促したい場合の、本当のことを言うかどうか? についての話になりました。

 身近な人にせっかちな人がいて、その性格のせいで、人にイライラしたり、八つ当たりしているように見えるそうです。過去の私みたいな人だなと思いながら聴いていました。
 そんな人に本当のことを言いたい場合、難しいですよね。ところが、ついに私のせっかちを止めた人がいました。

 結構年下の仕事仲間に「堀口さんは、待てませんからね」と言われたとき、「待ってやる!」とせっかちに思ったことがありました。(笑)それからの私は待つことに慣れるように意識し、今はバランスがとてもよくなれたと感じます。
 待てるようになった今、せっかちだなと思う人に「待てませんからね」と言うと、かなりの効き目を発揮しています。その人のテンションにあう言葉を選ぶセンスは工夫する価値があると思います。


 「本当のことをはっきり言って欲しい、という人」の話に戻り、クライアントさんがこんなことをおっしゃいました。「本当のことを私に言ってという人ほど、本当のことを言われていない人なんでしょうね。だから『そのままでいいんじゃない?』と言おう」と。確かに、そう返されると、自分で自分のことを改めて考えてみようと、本人の元に戻るような言い方なので、「本当のことを言って欲しい」というはっきりとしたタイプには、別の意味で効果的な気もします。

 「ジャッジを手放すことについて」という次のテーマへ続きました。「評価をする」ということとつながっていそうです。

 上司の発言について、「ちょっとした欠点だわ。そう言うこともあるよね」と思いながら、許せない気持ちも湧いてきて、つい人のダメ出しを探そうとする自分の癖も発見して、ジャッジを手放そうと思ったとのことでした。

 私は、「人のダメ出し、良くないところ探しをする自分」と自分のことをジャッジしていること自体、手放したらいいように思いました。
 「ダメ」とついている言葉を外すことです。この場合「そう言う現象が見受けられた」ということではないでしょうか。そう捉えると、自分の中にいいとか、悪いという物差しのない捉え方なので、心が楽になるのです。


 「本当のことを言いましょう=評価、ジャッジ」クライアントさんのなかでは、そこにつながっていたので、なかなか難しい問題になっていたのかもしれません。
 自分自身が、評価やジャッジを手放せば「本当のこと」の内容が変わってくるのではないでしょうか。自分が見たこと、自分が感じたことだけが事実です。それこそが、本当のことになるのかもしれません。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

いい、悪いを抜きで考えると?