自分には余裕があったのに、素直に「手伝います」と言えなかったのはなぜなんだろう?

 「余裕があるのに、気遣いができなかったことについて」そのときの気持ちを振り返って考えたいというテーマでした。

 義理のお母さんが疲れているようだからと、義理のお父さんに「手伝ってほしい」と頼まれたときのこと。疲れていることに気づかなかった自分にショックを受けたのと、自分には余裕があったのに、素直に「手伝います」という気持ちになれなかったのはなぜなんだろう?と思ったそうです。

 結婚当初は、誕生日、料理などしてあげたい気持ちがあったけれど、家庭と仕事の両立が段々と難しくなってきたことがあったようです。そこで旦那さんに相談すると、「誰も手伝ってくれと言っているわけじゃないから、無理してやらなくていい」と言われ、それもそうだと思い、やらなくなっていっていったそうなのです。

 私は聞きながら、決断の仕方に「極端なところがある」と思いました。
 なぜかというと、「自分の本心と違う行動をとることが増えると自分の気持ちを人に相談するようになり、そうかなと思いながら、そちらに従っていく、すると自分の気持ちがわからなくなる」という流れがありそうだからです。今の本当の気持ちはどうなのか? 訊いてみました。

 「やりたくないという気持ち、それが素直な気持ちだと思う」とお答えになりました。しかし、そこにも私の方が何となく違和感を持ちました。そもそもやりたい気持ちもあるのに、我慢をしながらやっていたことで疲れ、やらなくなる習慣となり、いざ久々にやろうと思うと、「面倒くさい」という気持ちが生まれ出しているようにも見えました。

 だから、本心は「手伝いたい」がある気がしました。またセッションのテーマにあげているということは、「素直に手伝ってあげたい」という気持ちがどこかしらにあるからです。そもそも、無理のない範囲で手伝っていたら、きっと極端なこともなかったはずです。

 一度疲れ果てて、やらなくなって、やらない習慣になっているところに、「やること」としてあがってきたら、面倒くさいと思ってしまうでしょう。腹筋を15回と言われ、あとから20回!と言われると、最後の5回はきつくなります。(笑)

 でも現実は「もう大丈夫」。これからは、自分の無理のない範囲で、素直に手伝える自分になれるのではないかと思うのです。そのために「ただ、行動を取るようにして、潜在意識を修正していく」ようにしてはどうかと、クライアントさんに提案してみました。

 そうして、行動を起こす方を選んでいくことです。「やりたくない」ような気持ちになってしまったところから、段々と本心で思っているほうの気持ちに戻っていけると思います。

 以前にヨガの先生が、「気持ちは先に負けるもの。体の声を聴いてみると、大丈夫だったりする」ということをおっしゃっていて、もう無理!と思ったポーズでも、体が大丈夫そうだったら、もうすこしポーズをキープしてみることをアドバイスしていました。確かに無理と思っても、先生がグイっと曲げてくれると、もっと曲がってしまうことはよくあります。自分のセルフイメージで、可能性を閉ざしていることってあるのだなと、思いました。

 余裕があるのならば、「体の声」の方を聴いてみるのです。「体が大丈夫ならば、やってみようか、とお試しをしていく」ことに、クライアントさんの心の声も納得されたようでした。

 この視点はきっといろいろなことに応用できて、例えば何かを継続させる自分を作るときも、「やるだけやるか」と、何も考えずに行動を自分にさせていくようにするのです。人間は感情のある動物だけれど、ただ行動だけを繰り返しさせて慣らしていくというようなことが、人間にも効くとなると、なんだか動物であることが妙に納得できます。(笑)

 余裕が持てるようになったクライアントさんですから、「体が大丈夫な時はお手伝いしよう」ということを繰り返していきながら、これからは無理をすることもなく、快く手伝いができるようになることでしょう。

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

今の本当の気持ちは?