コーチングの勉強をしていらっしゃるとのことで、
セッション準備シートにはこんな風に書いてありました。
■堀口さんのセッションを体感する。何が違うのか?
・ディスカッションの焦点 :上手い?人のセッションは、
やっぱり自然だし、邪魔がない。それってどうして?
自分の状態がいい時には、自然に興味を持って質問ができているとのこと。
しかし、状態があまりよくない時に何を考えているのか?聞いてみると、
質問しなくちゃと焦りが出てくると言っていました。
そんなときは、テキストのどこかにあったような質問が出てきて、
自分に違和感が出てしまうそうなのです。
また、相手のテーマに関して、自分の中でも考えてしまうと
不自然になるとのことでした。
私もそうでしたが、なかなかさじ加減が難しいのです。
私が思っているのは、自分は「無」の状態でいいということ。
なぜならば、相手の領域の中で相手の答えが見つかるように、
質問でサポートしているだけのことです。
ここまで考えてみたところで、
クライアントの方の思い込みが出てきました。
「絶対に答えに導かなくちゃ。結果を出させなくちゃ」と。
だから、困った時は色々なテクニックを試そうとしたり、
自分の中で色々考えだしてしまうとのことでした。
そこが違和感の正体であったんですね。
その方は「ハートがしがみついている感じがします」っておっしゃっていましたが。
しがみついていたのは、「何としてでも結果を出さなきゃ」の部分でした。
では、どう考えたらいいのか?
私も「結果をだなくちゃ」と思いすぎていた時は、
アドバイスもして、やってもらうとかありました。
しかし、アドバイスで動かない人がたくさんいて、
なぜか私がどうしても苦しくなってしまったのです。
これはどうすべきかと、自分のコーチやメンターに相談したら
「要望するけど期待しない」という言葉が返ってきました。
「え?結果には無責任でいいの?」と、意外に思いましたが、楽になりました。
だって、お二人とも私のことを引き出すサポートをしてくれているのに、
私に期待していないってことですよ?!
だけど、私は自分が変化したいように前進してきました。
期待されないからよかったのか!と、腑に落ちました。
もし、期待されていたら、息が詰まると思います。
自分のためよりも、その人のために頑張ってしまいそうです。
そうするとずっと依存的な人間になってしまい自立できなさそうですからね。
期待しない、って冷たいのかなと思っていましたが、
本当は、とてもあたたかいものに包まれている感覚だと段々分かってきました。
結局、私がサポートできることは「相手の中の答えを導く」ことだけです。
時には相手の方が気づいていない相手のことについて
私が気づかせることも多いです。
自分のこととなると、鈍感な方も多いですからね。
それで、今思っているもっと自然な考えは、
セッションで対話をしただけで、人は、変化するということです。
だから、セッションの時間、私が話を聞くだけでいいと言うことです。
そうなると、完全に私の中にコントロール欲がなくなって、
いい感じでお話を聞けるようになりました。
そして、あと必要なのは信じることだなと思います。
それに気付いたのは、2年前のことだったのですが・・・。
さらにここ1年はまた発展して、わかってきたことがあります。
これは、もう少し自分の中で熟成させてから
言語化させてみたいです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
期待されていないと思うとどんな気持ちになりますか?
セッション準備シートにはこんな風に書いてありました。
■堀口さんのセッションを体感する。何が違うのか?
・ディスカッションの焦点 :上手い?人のセッションは、
やっぱり自然だし、邪魔がない。それってどうして?
自分の状態がいい時には、自然に興味を持って質問ができているとのこと。
しかし、状態があまりよくない時に何を考えているのか?聞いてみると、
質問しなくちゃと焦りが出てくると言っていました。
そんなときは、テキストのどこかにあったような質問が出てきて、
自分に違和感が出てしまうそうなのです。
また、相手のテーマに関して、自分の中でも考えてしまうと
不自然になるとのことでした。
私もそうでしたが、なかなかさじ加減が難しいのです。
私が思っているのは、自分は「無」の状態でいいということ。
なぜならば、相手の領域の中で相手の答えが見つかるように、
質問でサポートしているだけのことです。
ここまで考えてみたところで、
クライアントの方の思い込みが出てきました。
「絶対に答えに導かなくちゃ。結果を出させなくちゃ」と。
だから、困った時は色々なテクニックを試そうとしたり、
自分の中で色々考えだしてしまうとのことでした。
そこが違和感の正体であったんですね。
その方は「ハートがしがみついている感じがします」っておっしゃっていましたが。
しがみついていたのは、「何としてでも結果を出さなきゃ」の部分でした。
では、どう考えたらいいのか?
私も「結果をだなくちゃ」と思いすぎていた時は、
アドバイスもして、やってもらうとかありました。
しかし、アドバイスで動かない人がたくさんいて、
なぜか私がどうしても苦しくなってしまったのです。
これはどうすべきかと、自分のコーチやメンターに相談したら
「要望するけど期待しない」という言葉が返ってきました。
「え?結果には無責任でいいの?」と、意外に思いましたが、楽になりました。
だって、お二人とも私のことを引き出すサポートをしてくれているのに、
私に期待していないってことですよ?!
だけど、私は自分が変化したいように前進してきました。
期待されないからよかったのか!と、腑に落ちました。
もし、期待されていたら、息が詰まると思います。
自分のためよりも、その人のために頑張ってしまいそうです。
そうするとずっと依存的な人間になってしまい自立できなさそうですからね。
期待しない、って冷たいのかなと思っていましたが、
本当は、とてもあたたかいものに包まれている感覚だと段々分かってきました。
結局、私がサポートできることは「相手の中の答えを導く」ことだけです。
時には相手の方が気づいていない相手のことについて
私が気づかせることも多いです。
自分のこととなると、鈍感な方も多いですからね。
それで、今思っているもっと自然な考えは、
セッションで対話をしただけで、人は、変化するということです。
だから、セッションの時間、私が話を聞くだけでいいと言うことです。
そうなると、完全に私の中にコントロール欲がなくなって、
いい感じでお話を聞けるようになりました。
そして、あと必要なのは信じることだなと思います。
それに気付いたのは、2年前のことだったのですが・・・。
さらにここ1年はまた発展して、わかってきたことがあります。
これは、もう少し自分の中で熟成させてから
言語化させてみたいです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
期待されていないと思うとどんな気持ちになりますか?
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