今日は自分がセッションの日でした。大体、私がセッションを受けるテーマにすることは、今やろうと思っていることをさらに進めるための思考の整理です。
6月くらいから、なんとなく書き始めていた自分の回想録が、あれから2か月たって、4つテーマがでてきました。そして、その中の1つを題名にして、再び取り組み出しているものについてです。書くことは毎日していて、そのうち本を出してみたいなぁと独立当初から思っているけれど、小冊子のレベルでさえも、書きたいことがなかなか見えてこずにいたのです。
しかしながら、ようやくここ1年くらいゆっくりしてみて、書きたいことがわかり始めました。書きたいのが見つかったら、とりあえず、小冊子をつくろうと思っていました。そのことについて、昨日は、ヘアサロンで、メンターとアシスタントの子に、そしてネイルサロンで、4年くらい担当して貰っているスタッフの子に、コンセプトについて、話を聞いてもらいました。いい感触でした。ようやく、人に話せるレベルになってきたようで、このタイミングで、播磨さんとのセッションの日になりました。
自分ひとりで構想が見つかって、とにかく書いてみるのですが、不安で仕方ないのです。「独りよがりじゃないか?」「上から目線じゃないか?」「こんなこと書いていいのか?」とか。なので、聞いてもらって「読みたいですね」と言ってもらえることは、かなり勇気になりますね。
そんな風に、人に励ましてもらうのを原動力にすることも必要ですが、何よりの原動力にしたいのが、自分が書きたいかどうかです。
テーマが決まって8月から書き始めていたのですが、なぜか、楽しいと思えなかったので、この10日間は、自分が考えずに、さらさらとキーボードを打つ手が進むような動機は何か?と考えることに時間を割きました。
まずは、表紙を作ること。気にいった表紙を先につくることで、私はイメージが広がりやすくなるのです。次に、自分が気に入るような言葉で副題を付けました。つくりたい形に近づいてきたら、すでに書いていた「はじめに」部分が、違和感満載になり、これはいらないなぁと気づき、削除。そして、絵も挿入した方が自分らしいのではないかと気づき、画像のサイトで絵を買い始めたりしていました。「自分らしさ」を軸にすると、段々と気分がノリノリになってきました。
播磨さんに、そんな最近の試行錯誤を話して、感想をお聞きしました。
挿絵を選ぶにしても、「自分の好きな絵を何も考えずに選んでみたら」とか、「目次は、書いてからつければいいんじゃない?最初から決めすぎなくてもいいよ」とか、とにかく、私が「自然」になっているかどうか?を気にしてくれているようでした。
いろいろ不安になってしまうと、防御策として、頭でっかちになりすぎて、自分の表現したいものとは、別のものになっていくことがあります。不自然になっていないか?を今日は確認できたような気がします。そうなると、自分のインスピレーションをもう少し頼りにすればいいかなと思いました。
そこで、最近観た映画、「ツリーオブライフ」を思い出しました。
作り手が作りたいようにつくっているその世界観を見せられた感じがして、受け取り方は千差万別の余白感いっぱいの作品。好き、嫌いが極端なこの作品、私は嫌いではありませんでした。
相手が読みやすいものとは何か? とずっと考え続けている理論的なことは、すでに肥やしになっていると思いつつ、今こそ自分を信じて書いてみたいと、思えるようになりました。
セッションが終わってから、自分の好きな挿絵を選ぶ作業をしました。絵を差し込んでみると、文章がまたより自然にアウトプットできました。そうそう、この感覚が欲しかったと、思いました。
自分を自然な旋律へ導いてくれる播磨さんのセッションは、私のお手本でもあります。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
あなたらしくやっていますか?
6月くらいから、なんとなく書き始めていた自分の回想録が、あれから2か月たって、4つテーマがでてきました。そして、その中の1つを題名にして、再び取り組み出しているものについてです。書くことは毎日していて、そのうち本を出してみたいなぁと独立当初から思っているけれど、小冊子のレベルでさえも、書きたいことがなかなか見えてこずにいたのです。
しかしながら、ようやくここ1年くらいゆっくりしてみて、書きたいことがわかり始めました。書きたいのが見つかったら、とりあえず、小冊子をつくろうと思っていました。そのことについて、昨日は、ヘアサロンで、メンターとアシスタントの子に、そしてネイルサロンで、4年くらい担当して貰っているスタッフの子に、コンセプトについて、話を聞いてもらいました。いい感触でした。ようやく、人に話せるレベルになってきたようで、このタイミングで、播磨さんとのセッションの日になりました。
自分ひとりで構想が見つかって、とにかく書いてみるのですが、不安で仕方ないのです。「独りよがりじゃないか?」「上から目線じゃないか?」「こんなこと書いていいのか?」とか。なので、聞いてもらって「読みたいですね」と言ってもらえることは、かなり勇気になりますね。
そんな風に、人に励ましてもらうのを原動力にすることも必要ですが、何よりの原動力にしたいのが、自分が書きたいかどうかです。
テーマが決まって8月から書き始めていたのですが、なぜか、楽しいと思えなかったので、この10日間は、自分が考えずに、さらさらとキーボードを打つ手が進むような動機は何か?と考えることに時間を割きました。
まずは、表紙を作ること。気にいった表紙を先につくることで、私はイメージが広がりやすくなるのです。次に、自分が気に入るような言葉で副題を付けました。つくりたい形に近づいてきたら、すでに書いていた「はじめに」部分が、違和感満載になり、これはいらないなぁと気づき、削除。そして、絵も挿入した方が自分らしいのではないかと気づき、画像のサイトで絵を買い始めたりしていました。「自分らしさ」を軸にすると、段々と気分がノリノリになってきました。
播磨さんに、そんな最近の試行錯誤を話して、感想をお聞きしました。
挿絵を選ぶにしても、「自分の好きな絵を何も考えずに選んでみたら」とか、「目次は、書いてからつければいいんじゃない?最初から決めすぎなくてもいいよ」とか、とにかく、私が「自然」になっているかどうか?を気にしてくれているようでした。
いろいろ不安になってしまうと、防御策として、頭でっかちになりすぎて、自分の表現したいものとは、別のものになっていくことがあります。不自然になっていないか?を今日は確認できたような気がします。そうなると、自分のインスピレーションをもう少し頼りにすればいいかなと思いました。
そこで、最近観た映画、「ツリーオブライフ」を思い出しました。
作り手が作りたいようにつくっているその世界観を見せられた感じがして、受け取り方は千差万別の余白感いっぱいの作品。好き、嫌いが極端なこの作品、私は嫌いではありませんでした。
相手が読みやすいものとは何か? とずっと考え続けている理論的なことは、すでに肥やしになっていると思いつつ、今こそ自分を信じて書いてみたいと、思えるようになりました。
セッションが終わってから、自分の好きな挿絵を選ぶ作業をしました。絵を差し込んでみると、文章がまたより自然にアウトプットできました。そうそう、この感覚が欲しかったと、思いました。
自分を自然な旋律へ導いてくれる播磨さんのセッションは、私のお手本でもあります。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
あなたらしくやっていますか?
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