昨日と今日の自分はどこが違いますか?
以前の私は、「毎日仕事で、昨日も今日もあまり変わらない。ま、仕事だからしょうがない。休みの日を楽しみにがんばろう」と思っていて、休みの日の計画はとても好きでした。なんだか、休みの日だけのために頑張っている感じもあり、普通の日と休みの日、みたいになっているのは若干違和感でした。
ですが、今は、「しょうがない日」がなくなりました。毎日が違う日です。楽しい日もあれば、不安な日もあるし、嬉しい日もあるし。何でもあります。不安な日があったとしても、寝る前までは、不安が少し和らいで、何か、自分の心のつまりを発見できればいいなぁと思って、1日をゆったり過ごすこともあります。以前と比べると、ON、OFFというのはあまり区別がなくなり、それぞれにいい一日と感じています。
クライアントさんに「昨日知らなかったことを知ったり、できなかったことができたりしたいです。発見のある毎日になりたいんです。堀口さんはプライベートの方のブログで、毎日楽しいことが見付けられているように思うんですが、どうしたらいいんでしょうか?」と、質問されました。
そう思って、自分のブログを振り返ってみたら、「よくネタにしとるなぁ~」と自分のことを再認識しました。もう、毎日が違うものであることは、当たり前な感覚です。以前の私は、仕事の毎日で、仕事で今日はこれをやった、あれをやった、と言うところでは、違いを感じていたと思いますが、生活の中に何かを見出したり、自分の気持ちの流れを感じたり、自分が成長したことを発見する力は、今ほどではなかったと。毎日同じ日は、嫌だな、と私も思ったことがあって、「違うことがあるとしたらなんだろう?」と考え始めたことがあります。違いに意識し始めたんですね。
私は、29歳のときにブログを始めた日から1日の意識の仕方が変わりました。「これはネタに困る!まずはネタ帳だ!」と思って、新聞を急に購読したところから始まります。それから、「気づきノート」と題して、ネタノートを毎日持参することにしました。ブログに何かを書こう、アウトプットしようと思う気持ちが、「発見力」アップへとつながったと思います。
まず、1つは、「見つけよう」と思うことですね。先日書いた「問いを持とう」と同じことだと思います。
それから、クライアントさんに、「今日は何か見つけたことありましたか?」と聞いてみると、「新人社員が、積極的に質問をしてくるところがいいなと思いました」など、振り返りって考えてもらうと、やっぱりあるんです。ご本人も、「ありました」と認識したようでした。
2つ目は、「振り返ること」。これで、自分が何を感じていたのか?何を発見したのか?認識することになり、今日は新しい発見していたな!と、感じられ、1日が充実したものであったと満足へとつながると思います。
いち例として、発見しようとか、何でだろう?と思わない人は、何でも「物事はこうだ」、「相手はきっとこうだろう」と、聞いてもいないし、見てもいないのに、先入観を持ち、勝手に決め付けている可能性があります。だから、聞く必要ない気がしているのでしょう。アパレルの時に、「若いのにおばあちゃんみたいになっている人がいる」って上司が表現して、ああ、なるほど、と納得したことがあります。
推測の中身は、事実ではありません。また、推測はするけれど、推測してしまっている自分には気付いていない状況ですから、自分の内側ともかけ離れています。これまでのセッションでも、「推測癖」のある人はたくさんいました。推測しているだけで、どんどん不安になっていたのです。
「推測癖」があると、自分より周りのことが気になり、自分のパフォーマンスが落ちてしまうこともあります。見られていることに意識が取られます。それよりも意識すべきところは、自分が今何をしているかです。
自分の話していることに集中できるように、クライアントさんに戦場カメラマンの渡部さんをイメージするように、と伝えたことがあります。その人は、なんと渡部さんの写真をA4にして、デスクに置くようにしたとか。そのやり方には笑ってしまいましたが、とても功を奏しているようです。
まずは、自分がそういう癖があることに気付くこと。また、癖がついてしまったいきさつは、もしかしたら過去の出来事や、子供の頃にあったのでしょう。癖があることと、いきさつも受け入れられると、「推測癖」は、次第になくなり、事実を「聞いてみよう」「みてみよう」となれていきます。そうなると、自然と発見力がアップして行くと思います。
子供の時は、事実だけをみて、無邪気にしていたはずですから。
みんな、もとから発見力があるはずです。
『枕草子』の「うつくしきもの」の中に、
「二つ三つばかりなる児の、急ぎてはひ来る道に、
いと小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、
いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし」。
という一文があります。私の姪っ子も全く同じことをしたことがあります。
すごく小さい埃を、目ざとく見つけて「あ、これ」と言って拾います。それから大人に見せるのですが、周りの大人は「それ、きたないからダメでしょ」となるんですけどね。
大人になっても無邪気な心は取り戻せると思います。先入観を持たずして、いま新たなる事実を発見してみよう!と。
早速、そのクライアントさんからメールが来て、何度も挫折をしていたブログを再開したとの報告でした。ブログのタイトルを、「子供の心をイメージしたものにしてみるのもいい」と話していたので、「童心」という言葉が使われていました。
セッションを重ねるごとに、自分の殻が外れて、だんだんと「自分のままでいても大丈夫だ」と感じているのかもしれません。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
昨日はどんな発見をしましたか?
■information■
★10月1日(土)11:00~@銀座にて★秋コミコレクションテーマ 「我慢」
言いたいことを我慢しないで、相手にうまく意見も言えたり、言いたいことを我慢しているような人の話を引き出したりするコミュニケーションについて考えていきます。
以前の私は、「毎日仕事で、昨日も今日もあまり変わらない。ま、仕事だからしょうがない。休みの日を楽しみにがんばろう」と思っていて、休みの日の計画はとても好きでした。なんだか、休みの日だけのために頑張っている感じもあり、普通の日と休みの日、みたいになっているのは若干違和感でした。
ですが、今は、「しょうがない日」がなくなりました。毎日が違う日です。楽しい日もあれば、不安な日もあるし、嬉しい日もあるし。何でもあります。不安な日があったとしても、寝る前までは、不安が少し和らいで、何か、自分の心のつまりを発見できればいいなぁと思って、1日をゆったり過ごすこともあります。以前と比べると、ON、OFFというのはあまり区別がなくなり、それぞれにいい一日と感じています。
クライアントさんに「昨日知らなかったことを知ったり、できなかったことができたりしたいです。発見のある毎日になりたいんです。堀口さんはプライベートの方のブログで、毎日楽しいことが見付けられているように思うんですが、どうしたらいいんでしょうか?」と、質問されました。
そう思って、自分のブログを振り返ってみたら、「よくネタにしとるなぁ~」と自分のことを再認識しました。もう、毎日が違うものであることは、当たり前な感覚です。以前の私は、仕事の毎日で、仕事で今日はこれをやった、あれをやった、と言うところでは、違いを感じていたと思いますが、生活の中に何かを見出したり、自分の気持ちの流れを感じたり、自分が成長したことを発見する力は、今ほどではなかったと。毎日同じ日は、嫌だな、と私も思ったことがあって、「違うことがあるとしたらなんだろう?」と考え始めたことがあります。違いに意識し始めたんですね。
私は、29歳のときにブログを始めた日から1日の意識の仕方が変わりました。「これはネタに困る!まずはネタ帳だ!」と思って、新聞を急に購読したところから始まります。それから、「気づきノート」と題して、ネタノートを毎日持参することにしました。ブログに何かを書こう、アウトプットしようと思う気持ちが、「発見力」アップへとつながったと思います。
まず、1つは、「見つけよう」と思うことですね。先日書いた「問いを持とう」と同じことだと思います。
それから、クライアントさんに、「今日は何か見つけたことありましたか?」と聞いてみると、「新人社員が、積極的に質問をしてくるところがいいなと思いました」など、振り返りって考えてもらうと、やっぱりあるんです。ご本人も、「ありました」と認識したようでした。
2つ目は、「振り返ること」。これで、自分が何を感じていたのか?何を発見したのか?認識することになり、今日は新しい発見していたな!と、感じられ、1日が充実したものであったと満足へとつながると思います。
いち例として、発見しようとか、何でだろう?と思わない人は、何でも「物事はこうだ」、「相手はきっとこうだろう」と、聞いてもいないし、見てもいないのに、先入観を持ち、勝手に決め付けている可能性があります。だから、聞く必要ない気がしているのでしょう。アパレルの時に、「若いのにおばあちゃんみたいになっている人がいる」って上司が表現して、ああ、なるほど、と納得したことがあります。
推測の中身は、事実ではありません。また、推測はするけれど、推測してしまっている自分には気付いていない状況ですから、自分の内側ともかけ離れています。これまでのセッションでも、「推測癖」のある人はたくさんいました。推測しているだけで、どんどん不安になっていたのです。
「推測癖」があると、自分より周りのことが気になり、自分のパフォーマンスが落ちてしまうこともあります。見られていることに意識が取られます。それよりも意識すべきところは、自分が今何をしているかです。
自分の話していることに集中できるように、クライアントさんに戦場カメラマンの渡部さんをイメージするように、と伝えたことがあります。その人は、なんと渡部さんの写真をA4にして、デスクに置くようにしたとか。そのやり方には笑ってしまいましたが、とても功を奏しているようです。
まずは、自分がそういう癖があることに気付くこと。また、癖がついてしまったいきさつは、もしかしたら過去の出来事や、子供の頃にあったのでしょう。癖があることと、いきさつも受け入れられると、「推測癖」は、次第になくなり、事実を「聞いてみよう」「みてみよう」となれていきます。そうなると、自然と発見力がアップして行くと思います。
子供の時は、事実だけをみて、無邪気にしていたはずですから。
みんな、もとから発見力があるはずです。
『枕草子』の「うつくしきもの」の中に、
「二つ三つばかりなる児の、急ぎてはひ来る道に、
いと小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、
いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし」。
という一文があります。私の姪っ子も全く同じことをしたことがあります。
すごく小さい埃を、目ざとく見つけて「あ、これ」と言って拾います。それから大人に見せるのですが、周りの大人は「それ、きたないからダメでしょ」となるんですけどね。
大人になっても無邪気な心は取り戻せると思います。先入観を持たずして、いま新たなる事実を発見してみよう!と。
早速、そのクライアントさんからメールが来て、何度も挫折をしていたブログを再開したとの報告でした。ブログのタイトルを、「子供の心をイメージしたものにしてみるのもいい」と話していたので、「童心」という言葉が使われていました。
セッションを重ねるごとに、自分の殻が外れて、だんだんと「自分のままでいても大丈夫だ」と感じているのかもしれません。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
昨日はどんな発見をしましたか?
■information■
★10月1日(土)11:00~@銀座にて★秋コミコレクションテーマ 「我慢」
言いたいことを我慢しないで、相手にうまく意見も言えたり、言いたいことを我慢しているような人の話を引き出したりするコミュニケーションについて考えていきます。
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