自分の気持ちに気づくことについての考察。

 「自分の気持ちに気づくことについて」。
こんなこと気づいて当たり前。と一瞬思えそうですが、実はわかっていない人は少なくありません。クライアントさんが、新しい上司に「子供のころはどんな子だった?」と質問をされたそうです。そうしたら、急に涙が流れだし、子供の頃の自分が「苦しい」って言っているのを感じたそうです。

 泣くと、「うるさい」と怒られることが多かったので、いつの間にかネガティブなことがあっても、「大丈夫」と言い聞かせるようになり、辛い面を認めない習慣を持ったのかもしれないとおっしゃっていました。


 姪っ子が泣いている時、うちの家族は、放っておいたり、場合によっては背中をさすって泣いているのに付き合ったりします。やがて泣きやんで、ケロっとしてまた遊びを始めていました。それを見たときに、感情を全部出し切ればいいのだろうと見当が付きました。

 しかし、大人になったら感情的になっては、周りの人たちもびっくりすることでしょう。
なので、一人になった時に「怒っているんだな」とか「悲しいな」とか、感情を味わえばいいと思います。

 どうでしょうか?「悲しい」と思った瞬間に、無理に明るくしようとしていませんか?
怒りの感情を封じ込めようとしていませんか?

 喜怒哀楽は同じ線上にある気がします。ネガティブな感情が起きたら「大丈夫」とすぐに上乗せすると、気持ちに鈍感になります。「楽しい」感覚も麻痺してきそうです。「最近、喜びの感情があまりよくわかりません」とおっしゃる方も多いです。色々な感情が出てきても、厄介だからと無視する習慣になっているのかもしれません。


 ネガティブだから、味わってはいけないというのはないのです。ネガティブ感情が出たら、味わう。感情を味わっていくと、過去の感情も消化されていくので、実は、イライラすることもなくなっていきます。だんだんと穏やかになっていきます。自分の気持ちに気付いてあげることは大事なことです。

 『ノルウェイの森』の映画で「悲しみは味わうことでしか消化されない」というようなナレーションがあったのが印象的でした。主人公が、悲しみに浸る旅をしているシーンでした。叫んだり、じーっとしたり、ボーっとしたり味わっているかのようでした。そのあと、新しい恋人とハッピーエンドですね。


 ネガティブ感情が出てきたときは、消化のチャンスです。
「いつ出てきても受け止めるよ」と自分が思っていると、楽な気持ちでいられます。
そういう風に受け止める気持ちが持てると、ネガティブもポジティブもない、ニュートラルな状態になりやすいのではないかと、最近思っています。

 実は、今年の秋の旅行、南仏ひとり旅日記は、「ネガティブもポジティブも同じ線上で扱う」ことを意識して書いていました。自分で書いていても、いつもと違う感じが出せたように思いました。同時に、「これでいいのか」とも思えました。こうして、発信をしていると、読む方に心配かけないようにとポジティブな側面だけを抽出して文章を書くことが多かったので、人から見られる自分と自分で思っている自分にギャップがあって居心地が悪いと感じていたこともありました。書くときに、自分の中でこれは、ポジティブ、これはネガティブと、線を引いていたような気がします。

 線を引いていた時は、セッションでネガティブな話は苦手で、どう対処していいか困っていました。今は、同じ線上と思っているので、クライアントさんも何でも話して下さいます。気持ちがすっきりすれば、行動力の方は自然につくようです。行動について考えるセッションもあってもいいし、内面のことについて考えるセッションもあってもいいし、両方のバランスですね。

 そのクライアントさんにとっては、「同じ線上」というのは、考えたこともなかったようでした。いろいろな感情が湧いてきても、味わってみようとやっていくと、くよくよの停滞時間も段々短くなって、感じないように他のことに没頭するよりも、スッキリすることができるでしょう。自然に逆らわないのが一番です。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分の気持ちどどう付き合っていますか?


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堀口ひとみ×播磨弘晃『冬コミコレクション』
■テーマ「言葉」
1月14日(土)11:00~18:00@銀座にて
※今回から定員10名になりました。只今残席5名です。

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コミコレを企画している私たちは、教えないを極めたいと考えています。
「教える」の反対は、「自分で考える」ことかと思います。
そうなると、セミナーの形としては、公開ディスカッションのようなもの。
公開コーチングでもありません。

コミコレとは、ただ、考える場所。
考えて出た答えに正解も不正解もありません。
ただ、そうなんだ、というだけです。
だけど、考えない時より、考え抜いた方がすっきりします。
考えることができる自分であることが、自信になるのだと思います。