聞くスキルを高めるための「感性を磨く」についての考察。

 先ほど自分の父親と年齢の近いクライアントさんとのセッションがありました。その世代というよりも、40代の方と話している感覚の方が近かったです。(笑)

 コーチングスキルをもっと高めたいというテーマでした。
コーチングスキルを知って使うだけでは、小細工をしているような感じがして、そのような状態はあまり好きな感じではない。今もクライアントさんに喜んでもらっているけれど、まだ何かができる余地があるのではないかと感じていらっしゃるようでした。

 その「何か?」を追求する目線で、私のブログを読んで頂いているご様子でした。
他のコーチングの本とは違う何かがあるそうです。その何かは「感性」の部分ではないかと推測されて、じゃあ、その感性とはどう磨くのか?知りたいとおっしゃっていました。

 私も、そういう疑問を持っていたことがあります。
特にここ2年くらいは、私も「余地」があるんだろうなと思い、ずっとそれは何か?と、自分の感覚を調律するかのように、毎日のセッションに取り組んでいました。「余地」がある、という感覚は、自分の中に見つかるような気もしていました。

 
 外国人の聞く仕事をしている人たちの本を読むと、なぜ、そこまで引き出せるの? とか、なぜ、そこでそうフィードバックできるの? とか、自分の足りなさに気付きました。
「y=ax」 とあったら、その「a」がずっとわからないでいました。
その「a」は、きっと変わらないものなのだろうと、推測しました。

 また、『ひとみずむ』の添削を手伝って頂いているYさんは、セラピストの視線なので、文章の言葉尻からでも、その人の感情を想像できたりするところを、たくさん目の当たりにして、自分もそんなところが掴めるようになりたいなと思いました。
知人のスピリチュアルカウンセラーにセッションをお願いした時にも感じましたが、私が知らなかったアプローチから、見させられる体験を何度もしました。


 それらに共通していることは、先に進もうとしているところを、逆に引き戻されたり、ここで立ち止まって、見なさい、と言われたりする感じでしょうか。コーチングとは別のアプローチに感じました。コーチングのアプローチと併せて、そちらの視点からも引き出せるようになりたいと思いました。

 「今遊べるかどうか?」が大事な子供と遊ぶことは、「ここに立ち止まってみなさい」の感覚と同じです。姪っ子と遊ぶ機会を持つことで、私の聞く能力をアップさせたともいえます。

 そんな体験をしながら、今まで見えなかった世界をどう見つめていけばいいのか? 段々と分かり始めました。
 「なぜそうできるの?」の「なぜ」の部分について、「どうすれば」が分かるようになると、今までだったら、ここでセッションが終了していただろうの先に、進むことができるようになりました。

 今回の『ひとみずむ』の面白さは、そんなところにあるかも知れません。クライアントさんがスッキリとしているのにもかかわらず、まだ質問する私がいたりします。(笑)
これは、『ひとみずむ1-3』には、みられなかった部分です。

 思考を先に進ませるだけでなく、今話したこと、今、出てきている言葉そのものに、その人の考え方や思考の癖が見えるから、そこから見ていくということでしょうか。
そこを明らかにしたうえで、先に思考を進ませると、本当の声が聞こえてきたり、本当のことが見えてきたりするのです。深まっただけ、自分に対しての安心感が高まっていくのでしょう。
行動もしやすくなります。


 また、自身の自己探求の深さと、相手に聞く力は比例すると思っています。自分自身に聞くことを恐れていることがあれば、相手にだって聞くことを躊躇してしまいます。また、どう聞くかのアプローチを知らないかもしれません。

 自分自身も自己探求しているモードだと、相手と一緒にぐるぐるすることもあるでしょう。
これは、悪いことではありません。今思うと、一緒にぐるぐるしないでいる方が、浅いのかもしれないと思います。一緒にぐるぐるするというのは、相手の事を聞こうという意識が高まっているので、ペーシングがよりできるようになっています。
 
 また、自分に試していることを、クライアントさんにも試してもらうというような時期もありました。そこを経ると、セッションがよりスッキリして、答えをもっと引き出しやすくなりました。


 人生の大先輩のクライアントさんでしたが、まだ成長の「余地」があると感じていらっしゃいました。美術館へ行くと、一人の画家が一生をかけて何かを追及をしてきた様子をみることができます。年齢ごとにどこか違った絵になっています。一つの道を究めようと思えば、もっとできるんじゃないか?と、常にどこかで思っていて、ずっと未完成なのかもしれないですね。どこか未完成かもしれないけれど、常に自分のベストとも言えるんでしょうね。そういう歩みをして行けば、自分に必要な時に自分に必要な人が集まってくる余地もある気がします。

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分のこと、自分でどこまで聞いていますか?