4月という季節は、心機一転したくなるのでしょうか。
「やりたくない」と言いながら、悪いかな…で、ずるずる引きずっていた人も、「自分のやりたくないことは、『やりたくない』と誠実に伝えてもいいのですよ」と背中を押して、執着を手放したクライアントさんは、これまでも結構いらっしゃいました。
執着を手放したのはいいけれど、だからと言って何かをやりたかった…というのは、すぐにわからないようなのです。執着しているということは、執着で頭がいっぱいになって、考える余白がないのかもしれませんね。
余白を作ると、何かが入ってくるのでしょう。この現象は、面白いなぁと思います。
執着を手放したら、次に「新しい気づきを得る」ことが、セッションの役割になっているようです。
「話がまとまっていないから、話したいことをざっくばらんに話してみる」というようなセッションと違って、「沈黙」の多いセッションになるのが、「新しい事を考える」セッションです。
「何を求めているのか?」無意識の領域を探っていくわけなので、クライアントさんも分からないし、私も「空」の状態で、一緒に考えていきます。
あるクライアントさんは、役職を外してもらう形での人事異動となって、すごく気が楽になっている状態でした。
そこで、「自分が打ち込めることを探したい」というテーマでした。
学生の時に部活に打ち込んだこともないし、スポーツ観戦で、「日本が勝った!」みたいな場面でも、少し冷めてみるところがあって、「熱くない自分」のことが気になるのだそうです。
仕事の場面では、できるだけ部下に仕事を振るのだそうです。そうすると、自分ができることでも、部下にやってもらうので、自分自身が熱中して何かに取り組んでいることが少なくなると言っていました。
「仕事を振ることができることも才能なのでしょう。でも、自分が何かを表現すること、自己表現をしたいのかもしれませんね」と尋ねてみると、「自己表現」という言葉が、フィットしたようで、「したいのかもしれない…」と、段々と無意識の声が反応してきました。
そして、「趣味は何ですか」と、まるで初対面のような質問をしてみたら、「特にないですね」とのお返事が。
先日、映画『僕達急行A列車で行こう』を観たばかりとあって、「趣味がある」ことは、自分らしさの象徴であったり、強みであったり、仲間とのつながりができたりするものだと、再認識しました。
また、趣味は、自分だけで楽しむから発展して、仲間がいて、シェアするという感覚になると、さらに楽しみが増すもののように思います。
別の見方をすると、自分の趣味=専門分野をシェアすることで、「発信」をする人になると考えることができます。
例えば、私は、29歳のときに不特定多数の人にお店の情報やファッション情報をブログで発信し始めました。自分が楽しむ範囲以外の違ったつながりが出来たり、趣味をさらに深める事ができました。
なんとなく「発信してみたいな」と思い始め、自然の流れでそうなったのですが、今考えると、「発信」することを毎日繰り返すことで、自己成長が加速したような気がします。
独立へつながったのも、趣味をアウトプットしていたブログがきっかけでした。
読む側から、発信する側へ。
「発信」する人になると、よりよい情報を伝えられる自分になろうとして、文章力や観察力がアップすることへも繋がりますし、世の中への社会貢献へも繋がっていくのです。また、「読む人」を意識することで、人の気持ちを想像する力も自然と磨かれていくと思います。
今日からあなたが「メルマガ」を発行する人になるとしたら、どんなことを書くでしょうか? ということを想像してみる。
自分の知っていること、考えていること、思っていることをシェアすることは、誰でもやろうと思えば、できることだと思います。
最近、再び読みなおしている 『愛するということ』by エーリッヒ・フロムに注目すべき記述がありました。
「愛するためには、性格が生産的な段階に達していなければならない。この段階に達した人は、依存心、ナルシシズム的な全能感、他人を利用しようとか、なんでも貯めこもうという欲求はすでに克服し、自分の中にある人間的な力を信じ、目標達成のためには自分の力に頼ろうという勇気を獲得している。これらの性質が欠けていると、自分自身を与えるのが怖く、したがって愛する勇気もない。」
この記述には、自分の実体験を重ね合わせられるところがあると思いました。
「発信する」という視点、自己成長へとつながると思います。
そして、何かがきっと変化するのです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
趣味は何ですか?
「やりたくない」と言いながら、悪いかな…で、ずるずる引きずっていた人も、「自分のやりたくないことは、『やりたくない』と誠実に伝えてもいいのですよ」と背中を押して、執着を手放したクライアントさんは、これまでも結構いらっしゃいました。
執着を手放したのはいいけれど、だからと言って何かをやりたかった…というのは、すぐにわからないようなのです。執着しているということは、執着で頭がいっぱいになって、考える余白がないのかもしれませんね。
余白を作ると、何かが入ってくるのでしょう。この現象は、面白いなぁと思います。
執着を手放したら、次に「新しい気づきを得る」ことが、セッションの役割になっているようです。
「話がまとまっていないから、話したいことをざっくばらんに話してみる」というようなセッションと違って、「沈黙」の多いセッションになるのが、「新しい事を考える」セッションです。
「何を求めているのか?」無意識の領域を探っていくわけなので、クライアントさんも分からないし、私も「空」の状態で、一緒に考えていきます。
あるクライアントさんは、役職を外してもらう形での人事異動となって、すごく気が楽になっている状態でした。
そこで、「自分が打ち込めることを探したい」というテーマでした。
学生の時に部活に打ち込んだこともないし、スポーツ観戦で、「日本が勝った!」みたいな場面でも、少し冷めてみるところがあって、「熱くない自分」のことが気になるのだそうです。
仕事の場面では、できるだけ部下に仕事を振るのだそうです。そうすると、自分ができることでも、部下にやってもらうので、自分自身が熱中して何かに取り組んでいることが少なくなると言っていました。
「仕事を振ることができることも才能なのでしょう。でも、自分が何かを表現すること、自己表現をしたいのかもしれませんね」と尋ねてみると、「自己表現」という言葉が、フィットしたようで、「したいのかもしれない…」と、段々と無意識の声が反応してきました。
そして、「趣味は何ですか」と、まるで初対面のような質問をしてみたら、「特にないですね」とのお返事が。
先日、映画『僕達急行A列車で行こう』を観たばかりとあって、「趣味がある」ことは、自分らしさの象徴であったり、強みであったり、仲間とのつながりができたりするものだと、再認識しました。
また、趣味は、自分だけで楽しむから発展して、仲間がいて、シェアするという感覚になると、さらに楽しみが増すもののように思います。
別の見方をすると、自分の趣味=専門分野をシェアすることで、「発信」をする人になると考えることができます。
例えば、私は、29歳のときに不特定多数の人にお店の情報やファッション情報をブログで発信し始めました。自分が楽しむ範囲以外の違ったつながりが出来たり、趣味をさらに深める事ができました。
なんとなく「発信してみたいな」と思い始め、自然の流れでそうなったのですが、今考えると、「発信」することを毎日繰り返すことで、自己成長が加速したような気がします。
独立へつながったのも、趣味をアウトプットしていたブログがきっかけでした。
読む側から、発信する側へ。
「発信」する人になると、よりよい情報を伝えられる自分になろうとして、文章力や観察力がアップすることへも繋がりますし、世の中への社会貢献へも繋がっていくのです。また、「読む人」を意識することで、人の気持ちを想像する力も自然と磨かれていくと思います。
今日からあなたが「メルマガ」を発行する人になるとしたら、どんなことを書くでしょうか? ということを想像してみる。
自分の知っていること、考えていること、思っていることをシェアすることは、誰でもやろうと思えば、できることだと思います。
最近、再び読みなおしている 『愛するということ』by エーリッヒ・フロムに注目すべき記述がありました。
「愛するためには、性格が生産的な段階に達していなければならない。この段階に達した人は、依存心、ナルシシズム的な全能感、他人を利用しようとか、なんでも貯めこもうという欲求はすでに克服し、自分の中にある人間的な力を信じ、目標達成のためには自分の力に頼ろうという勇気を獲得している。これらの性質が欠けていると、自分自身を与えるのが怖く、したがって愛する勇気もない。」
この記述には、自分の実体験を重ね合わせられるところがあると思いました。
「発信する」という視点、自己成長へとつながると思います。
そして、何かがきっと変化するのです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
趣味は何ですか?
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