自分の価値を見つける視点についての考察。

 最近は、自分のことを客観視する時間を増やしています。今日は、アワードの時のビデオを観ました。随分と力が抜けている自分がいて、以前よりも自分の映像を見ることが楽になっているのを感じました。
 
 以前は、音声や撮影から、自分の話し方の直したいところを探すような視点で観ていました。
 独立したばかりの頃、「話しながら笑うのが気になって仕方なかった」とか、「言葉遣いが悪い」、「前髪が邪魔そうなので、ちゃんと止めてほしい」など、お客様アンケートに書いてあったことがあります。その時はとてもへこみましたが、自分で自分のことをちゃんと見て、嫌だなと思ったら、直していかないといけないなと思っていました。色々な意見をありがたく成長の糧にさせていただきました。
 それから、視点の移動というのは、回数を重ねる過程で起こりうるようで、今回は、「自分の役割は何か?」という視点で見ている自分に気付きました。

 前回の新月に「自分の価値は何か教えてください」という願い事を書きました。独立7年目に入りますし、初心に返るような質問を自分に投げかけました。
 
 するとその夜に、いつも行くお花やさんから髪型を褒められました。次の日、ネイルサロンで、爪の形を褒められました。また、久々のクライアントさん数人から、喜びの報告メールを頂いたりしました。質問一つでいろいろやってきたので、スピリチュアルだなぁと思いました。
 
 褒められたら、「そう見えましたか。ありがとうございます」と答えることが多いです。相手にとってそう見えたということなので、そんな受け取り方がニュートラルな気がしています。

 これは、なにも頑張ることなく自分のままであることで褒められたことであり、その時に、「ああ、自分の価値は、頑張らないところにあるんだなぁ」とふと思ったのです。
 自分から働きかけないところに、自分の価値がみつかるのでしょうか。「何もしない」の意味が実体験でわかってきました。

 クライアントさんにも「自分の価値は何ですか?」という質問を自分に投げかけてみる課題を出している方がいらっしゃるのですが、「この質問はすごいです!」と、おっしゃっていました。
 
 自分がどんな時に人の役に立っているのか? 自然とやっていることの中から見つかります。頑張って働きかけるのとは違うところです。また、相手からどんなことをよく頼まれるのか? に意識が向きやすくなったりするので、役割に気づきやすくなるのだと思います。

 
 あるクライアントさんが、次の転職先を探していて、声をかけられたそうです。
営業のお仕事なので、「車の運転をできた方がいい」と言われたようですが、現在はペーパードライバーのようでした。本当の気持ちとしては、やはり運転はしたくないようです。しかし、採用されるためには、頑張って運転しなくちゃ、自分は役に立てないのかもしれないと、自己PR不足になるところを不安がっていました。

 私の方が、クライアントさんが、車を運転しなくても大丈夫だったエピソードを思い出しました。
 その方は、数年前、沖縄にひとり旅へ行きました。私も、沖縄ひとり旅へ行った時には、6年ぶりに運転をしたほどでしたから、運転した方がいい場所だと思います。
しかし、運転しないけど、どうにかなってしまったようでした。たまたま知り合った人と仲良くなって、ドライブに連れて行ってもらえたりしながら、毎日が充実したものになったようです。つまり、その人の価値は、「一緒にいたら楽しそう」と感じさせるところにあるのだと思います。
 
 本当に「探さないこと」だなぁと、セッションで話しながら改めて思いました。

 結果を出したからとか、評価を受けたからというところばかりに、価値を見出したほうがいいと思いがちですが、それでは「ただ存在しているだけの自分」の価値に気づくことは遠くなりそうな気もしています。楽にいるところに見つかると、深いところでの自己満足につながるのだと思うのです。

 頑張って働きかけることを手放してみる。わざと強がったり、弱がったりすることを辞めてみる。相手から自分の価値について言われた時には、謙遜でも、嬉しくて舞いあがるでもなく、ただ「そう見えたんですね。ありがとうございます」と答えてみる。
 すると、自分の価値に気づきやすくなるのかもしれません。

 
 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

ただ存在している自分には、なにが集まってくるでしょうか?