「4年くらい全然変わっていません」と現状維持の自分が嫌で、突破口を探している方がいらっしゃいました。仕事は慣れ過ぎていて、だからといって新しい仕事に移るつもりはなく、ただ、今、変化していない自分について、どことなく変えたいようでした。
2回のセッションをした後にお会いしたら「変わった」と生き生きした顔でおっしゃっていました。きっとこれは、表面的な「変化」ではなく、深いところでの変化です。自分自身の気づいていなかったことについて気づいたからだと思いました。
継続して私のコーチングを受けているあるクライアントさんが、以前、他のコーチングを受けた時は、「小さな変化」を体験したそうなのですが、今に比べると「表面的」なところでコーチングをしていた感じとおっしゃっていました。
そのコーチとのセッションの回数の最後の方は、「もう、大丈夫です」とコーチに言ったそうです。「大丈夫です」というのは、表面的には大丈夫で、もっと深いところまでの話になっていなかったのではないかと、今感じるようでした。
私は、単に対話のできる場所が欲しくて、セッションを継続しているところがあります。無意識が、言語化されて気づきます。深い対話をすれば、自然と人は、「今のまま」で変化を感じて行くのだと思います。
私が思う変化とは、「新しいことをしたから変化した」というよりも「今のままで変化したと感じる」ことです。
「小さな成功体験を積ませることによって自信をつけさせよう」というコーチにコーチングをしてもらったときは、辛かったとおっしゃる方もいらっしゃいました。
目標をコミットさせて、それを続けることによって、自信がつくと言われたようなのです。なので、真面目なクライアントさんは、ちゃんと取り組んだそうなのですが、実は、無理矢理で、最後にコーチに「自信がついたようですね」と言われて、「はい」と答えてみたものの、全然本心ではなかったようでした。
そうやって、外からのものに頼って変化するよりも、「今の自分」のままで、変化したと感じることが、本当の自信になるのではないかと思います。私は、そういうセッションを展開させることを心がけています。
冒頭のクライアントさんですが、「ちょっと聴いてください!」と話が始まりました。コーチングを受けていることをたまたま知り合いが知って、「大丈夫? 悩みでもあるの? 人に相談するなんて気をつけた方がいいよ」と言われたことに、怒りを感じたそうです。
そして、「へぇ、そんな風に思うんだね」と返して、もうそのことは忘れようとして、話を分かってくれそうな友達にも、話させてもらったそうなのですが、まだ怒りは収まらず、私に話してきました。
もし私だったら「うん、コーチをつけると自分の気持ちや考えていることを、話させてもらえる場だから、すっきりするよ。なかなか、自由に話せる場ってないからね。いつでもそのコーチ紹介するので言ってね」と返答したことでしょう。
しかし、その人は、そうは言えなかったのです。また、こういう気持ちになったのは、実は今回だけではなく、繰り返し起こっていた出来事だったのです。
何かに気付かせようとして、たまたま同じようなことが再び起きたのでしょう。
話の経緯を聞いてみると、本当に偶然の流れで引き起こされた出来事で、私もびっくりしました。ここで、この怒りについて、向き合わなければ、また同じことが起きてしまうものなんです。
「なぜ、カチンときたか?」について、考えていきました。
その人の中では、「なぜ、そういう反応をする自分なのか?」までは、まったく考える視点を持っていなかったので、「はぁ。そうですよね。何で引っ掛かるだろう?」と、初めて考えたようでした。それが、問題の本質です。見たくない本質に向き合うことで、繰り返していた悩みは解決していくのです。
相手がどうこうというよりも、自分の中にあるものが反応しているのです。
対話を進めて行くと、「人間不信」という言葉が出てきました。たまたま最近あった飲み会で、「俺、最近人間不信でさぁ」という人と出会って「わかる!」と話が合ってしまったとか。
「そこで、『わかる!』とかいっている場合じゃないですね(笑)」と言ったら、笑いごとになってきたので、段々とニュートラルに考えやすくなっていきました。
「人のことを信じられなくなっている自分」に気付いたのです。もともと、「人のことを信用しすぎる」と言われてきたタイプの自分が、今、「不信」状態になっていたことが明らかになっていきました。それから、その気持ちについてざっくばらんに話していきました。
「怒り」の裏の気持ちは何でしょうか?
「自分の大切にしていることがあるのでは?」と、質問しました。
自分がいいと思っていることを反対されたことが、嫌だったのではないでしょうか? 温かい気持ちがあるから、それに対して反論を受けたことにひどくがっかりしたのではないでしょうか。
そんな、どちらかと言うと温かい気持ちに気付いてあげることが、「変化」を生むのだと思います。
怒った状態で進めようとすると、自分から相手を断絶しようという態度に出がちです。たった一人とのやり取りがきっかけで、怖くて多くを遮断するようになっていたのです。
「人間不信」にしていたのは、自分自身です。怖いから、絶ってしまう。
でも、もともとは、温かい気持ちを持っている自分であるのです。
そこに気付くことで、自分の中に安心感を持てるようになっていくのだと思います。
結局、変わったようで、変わっていない。
自分の内側に気付くことが変わったように感じるのかもしれませんね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
裏の気持ちについて考えていますか?
2回のセッションをした後にお会いしたら「変わった」と生き生きした顔でおっしゃっていました。きっとこれは、表面的な「変化」ではなく、深いところでの変化です。自分自身の気づいていなかったことについて気づいたからだと思いました。
継続して私のコーチングを受けているあるクライアントさんが、以前、他のコーチングを受けた時は、「小さな変化」を体験したそうなのですが、今に比べると「表面的」なところでコーチングをしていた感じとおっしゃっていました。
そのコーチとのセッションの回数の最後の方は、「もう、大丈夫です」とコーチに言ったそうです。「大丈夫です」というのは、表面的には大丈夫で、もっと深いところまでの話になっていなかったのではないかと、今感じるようでした。
私は、単に対話のできる場所が欲しくて、セッションを継続しているところがあります。無意識が、言語化されて気づきます。深い対話をすれば、自然と人は、「今のまま」で変化を感じて行くのだと思います。
私が思う変化とは、「新しいことをしたから変化した」というよりも「今のままで変化したと感じる」ことです。
「小さな成功体験を積ませることによって自信をつけさせよう」というコーチにコーチングをしてもらったときは、辛かったとおっしゃる方もいらっしゃいました。
目標をコミットさせて、それを続けることによって、自信がつくと言われたようなのです。なので、真面目なクライアントさんは、ちゃんと取り組んだそうなのですが、実は、無理矢理で、最後にコーチに「自信がついたようですね」と言われて、「はい」と答えてみたものの、全然本心ではなかったようでした。
そうやって、外からのものに頼って変化するよりも、「今の自分」のままで、変化したと感じることが、本当の自信になるのではないかと思います。私は、そういうセッションを展開させることを心がけています。
冒頭のクライアントさんですが、「ちょっと聴いてください!」と話が始まりました。コーチングを受けていることをたまたま知り合いが知って、「大丈夫? 悩みでもあるの? 人に相談するなんて気をつけた方がいいよ」と言われたことに、怒りを感じたそうです。
そして、「へぇ、そんな風に思うんだね」と返して、もうそのことは忘れようとして、話を分かってくれそうな友達にも、話させてもらったそうなのですが、まだ怒りは収まらず、私に話してきました。
もし私だったら「うん、コーチをつけると自分の気持ちや考えていることを、話させてもらえる場だから、すっきりするよ。なかなか、自由に話せる場ってないからね。いつでもそのコーチ紹介するので言ってね」と返答したことでしょう。
しかし、その人は、そうは言えなかったのです。また、こういう気持ちになったのは、実は今回だけではなく、繰り返し起こっていた出来事だったのです。
何かに気付かせようとして、たまたま同じようなことが再び起きたのでしょう。
話の経緯を聞いてみると、本当に偶然の流れで引き起こされた出来事で、私もびっくりしました。ここで、この怒りについて、向き合わなければ、また同じことが起きてしまうものなんです。
「なぜ、カチンときたか?」について、考えていきました。
その人の中では、「なぜ、そういう反応をする自分なのか?」までは、まったく考える視点を持っていなかったので、「はぁ。そうですよね。何で引っ掛かるだろう?」と、初めて考えたようでした。それが、問題の本質です。見たくない本質に向き合うことで、繰り返していた悩みは解決していくのです。
相手がどうこうというよりも、自分の中にあるものが反応しているのです。
対話を進めて行くと、「人間不信」という言葉が出てきました。たまたま最近あった飲み会で、「俺、最近人間不信でさぁ」という人と出会って「わかる!」と話が合ってしまったとか。
「そこで、『わかる!』とかいっている場合じゃないですね(笑)」と言ったら、笑いごとになってきたので、段々とニュートラルに考えやすくなっていきました。
「人のことを信じられなくなっている自分」に気付いたのです。もともと、「人のことを信用しすぎる」と言われてきたタイプの自分が、今、「不信」状態になっていたことが明らかになっていきました。それから、その気持ちについてざっくばらんに話していきました。
「怒り」の裏の気持ちは何でしょうか?
「自分の大切にしていることがあるのでは?」と、質問しました。
自分がいいと思っていることを反対されたことが、嫌だったのではないでしょうか? 温かい気持ちがあるから、それに対して反論を受けたことにひどくがっかりしたのではないでしょうか。
そんな、どちらかと言うと温かい気持ちに気付いてあげることが、「変化」を生むのだと思います。
怒った状態で進めようとすると、自分から相手を断絶しようという態度に出がちです。たった一人とのやり取りがきっかけで、怖くて多くを遮断するようになっていたのです。
「人間不信」にしていたのは、自分自身です。怖いから、絶ってしまう。
でも、もともとは、温かい気持ちを持っている自分であるのです。
そこに気付くことで、自分の中に安心感を持てるようになっていくのだと思います。
結局、変わったようで、変わっていない。
自分の内側に気付くことが変わったように感じるのかもしれませんね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
裏の気持ちについて考えていますか?
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