対立する人間関係の話し合いにどのように関わり、どのようにナビゲートし、どんな会話をしていくか?

 クライアントの医師の方もが、退院する患者さんとその家族が、退院後どうするか? の話をしているところに立ち会ったそうです。

 患者さんは家で過ごしたい、家族の方は老人ホームへということを話していて、少しもめているようでした。その光景は、それぞれが、本音を言うのを恐れている感じにも思えので、これからのことを苦労と苦労に思わせないように、考え方を変えていくように、医師としては、もっていかないといけないな、と思いながら、その場に立ち会っていたようでした。
 結局、自分自身が入ることで、家族同士が感情的になるのは抑えることはできたようで、とりあえず折衷案にはまとまったとのことでした。

 また、その時の自分の関わり方をこのように話していました。
「今の自分は、相手の言うことを『うーん、そうですか…』と聞いて、吸収して終わっていて、次の言葉が出ない、ということが多く、 共感はできるけれども、いいアドバイザーになれていないし、なにかよい提案をできたらいいけれども、それもないし、こんなんでよいのか?と思っています」と。これからのためにも、どのように間に入っていけばよいかについて考えたいということでした。

 こういった場面は、色々ありそうですよね。家族の中の話合いだけでなく、会議や、ブライダルサロンでの新郎新婦の会話に入るとかもそうですし、販売員をしていて、家族で買い物に来ている人の間に入って、双方の意見をまとめてあげるとかもそうですね。

 ひとりで考える時も、「ひとり会議」をしているのかもしれません。本心のAさんと、恐怖心のBさん、世間一般の意見Cさんと、3人くらいが心の声の折り合いをつける。まあ、その時は、どうかAさんが頭角を現してくれるといいですけどね。

 こんな風に間に立って話合いをまとめる人を、司会者とかファシリテーターとかいうのでしょうか。司会者、ファシリテーターは、人と人との間に入り、意見を引き出す役割です。場合によっては専門的な立場としての意見を求められつつ、間に入ることもありますが、結論は、相手に決めてもらうように促すのだと思います。

 まずは、「今は、ファシリテーターをしている」と自分を認識するところから入りましょう。
 目的は、双方の話し合いで答えが決まることです。ファシリテーターは、ある意味、無責任な立場ともいえると思います。「無責任だ」くらいに思った方が、客観性を持って取り組めるでしょう。


「Aさんはどうですか?」
「Bさんはどうですか?」
「Aさんは、Bさんの案をどう思いますか?」
「Bさんは、Aさんの案をどう思いますか?」
「Aさんは、つまり・・・ということですね」
「もし、A案とB案の中間を取るとどうなるでしょうか?」
「C案というのはありそうでしょうか?」

 など、自分の意見は言わず、双方がやり取りしやすいように、質問を投げたり、話をまとめたりする立場を務めます。

 クライアントさんが、「意外とこういう立場になることって、やったことのないことだった」とおっしゃっていました。
 例えば、一生、司会をしない人生を送る人の方が多いかもしれません。

 ファシリテーターという役を体験してみることによって、相手が話しやすい質問はどうすればいいのだろう? と考えることになったり、話の要点をまとめることにも注力することになるので、聴く力もアップしていくのだと思います。役に就くことでの自分自身の幅の広がりはきっとあるのだと思います。
 
 私の人生で初めて司会をした時はいつだったのでしょうか? もしかしたら、小学生の学級委員の時に既に体験していたのかもしれません。あの頃は、板書に必死で、自分の意見はやはり言っていなかったと思います。笑

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

新しいポジションにトライしていますか?