仕事が長く続かない。今やっている仕事を人に言うのは恥ずかしい。これから、結婚もしなくてはいけない。運命と感じる仕事に会えていない。面白いと思う求人がない。友達がいない。自分の情熱がわかない・・・という悩みのセッションがありました。
結婚をしなくてはいけないという言葉には、いささかびっくりしましたが、自分の中でルールを作って、それができていない自分は、ダメな自分・・・と、自分を責めてしまっていることが、情熱が湧きにくくなっているところなのではないかと感じました。
また、転職を繰り返すうちに、履歴書に有利かどうかで仕事を選ぶことを無意識にされているようです。自分の欲求よりも、他人の顔色、世間体などを気にして、自分の決定をしていては、ぶれていくでしょう。
子供のころから、親が何も言わないタイプだったというのがリンクしているかわかりませんが、決定の基準値を自分がやりたいかどうかよりも、世間の基準を指標にいつの間にかしてしまうようになったのかもしれません。
もうすこし、自分の中だけの枠、世間以外にも、人との出会いなどで、自分の人生を考えてみる必要もあるのではないかと感じました。人との出会いは、それこそ神様からのメッセージなのではないかと思います。
私は進路を決めるとき、流れに身を任した瞬間が、運命と感じる出来事になっており、実は人生が大きく展開するポイントになっています。
大学時代のアルバイトの面接で、私の人生が開けたと思っています。
初めてのアルバイトでしたので、ドキドキしながら、レストランのドアを開けました。自分が行ったことのない大人の雰囲気のバーカウンターのあるところでした。オシャレとは程遠い自分で、申し訳ない様な気持ちにもなりました。
しかし、面接では、厨房希望で履歴書を出したのに、社員に説得されて、ウエイトレスを薦められました。合否結果は、その場で合格しました。驚きましたが、面白そうな気配も感じました。
そのように、手をさしのべてくださる人がいて、「いや、できません」と扉の前にいるのにバタンと閉めてしまっては、もったいないと思うのです。
アパレルでの面接もそうでした。青山事務所のプレスルームでの面接でした。豹柄のファーがあって、この業界は無理と思いました。しかし、ここは面接。怖気づいていたら、絶対に受かるはずはないと思ったので、完全アウエイの場所でしたが、まるで、ホームで話しているかのように、自分の話だけして、面接を終わらせました。これならば、落ちても別に後悔ないというところまで。結果、1社しか受けずに、入社が決まりました。
アルバイトの時も、異業種転職の時も、面接場所に着いてみて、「なんで、私がこの場所に来ちゃったのだろう・・・」と、浮足立ちながらも、相手がなぜか手を差し伸べてくれました。
自分の過去を振り返ってみても、「出会えてない」と思うとき、自分がドアの前には立ってはいるけれど、相手が手を差し伸べてくれているその手をつないでみる勇気が足りないのかもしれないと思いました。仕事の転機だけでなく、人との出会いもそうでしょう。
自分の中ではこうだから・・・というのを、外すことは勇気がいることかもしれません。しかし、自分の人生は自分だけのコントロールで動いているとは考えにくいと思うのです。
向こうからやってきたものに、乗ってみる勇気が運命に従っているのかなと、私は感じています。そんな運命に従った中での苦悩ならば、きっといずれ乗り越えることのできる「言葉」や「人」に巡り合えるのだと。そして、また誘われていくのでしょう。流れに従ってみたあとから、あれは運命だと感じられるのだと思います。
ちなみに、メリットがあるから・・・とか、そういう小賢しいことで、相手の提案に乗るのとはあくまでも違います。
燃え尽きでなく、経験がまだ不足している段階での「何をしたらいいかわからない」とき。自分の中だけで凝り固まらないで、もっと自由な発想や考えをする人に出会うように意識することから始めたらいいのではないかと思います。意識すると、自分が1歩踏み出すだけで、意外と簡単に引っ張ってくれる人が現れるでしょう。運命って不思議なところがありますね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
どんな時に、自分の転機が訪れていますか?
□■□■□■□■□
■9/29 sat@銀座 「聴くことは幸せにつながるセミナー」
結婚をしなくてはいけないという言葉には、いささかびっくりしましたが、自分の中でルールを作って、それができていない自分は、ダメな自分・・・と、自分を責めてしまっていることが、情熱が湧きにくくなっているところなのではないかと感じました。
また、転職を繰り返すうちに、履歴書に有利かどうかで仕事を選ぶことを無意識にされているようです。自分の欲求よりも、他人の顔色、世間体などを気にして、自分の決定をしていては、ぶれていくでしょう。
子供のころから、親が何も言わないタイプだったというのがリンクしているかわかりませんが、決定の基準値を自分がやりたいかどうかよりも、世間の基準を指標にいつの間にかしてしまうようになったのかもしれません。
もうすこし、自分の中だけの枠、世間以外にも、人との出会いなどで、自分の人生を考えてみる必要もあるのではないかと感じました。人との出会いは、それこそ神様からのメッセージなのではないかと思います。
私は進路を決めるとき、流れに身を任した瞬間が、運命と感じる出来事になっており、実は人生が大きく展開するポイントになっています。
大学時代のアルバイトの面接で、私の人生が開けたと思っています。
初めてのアルバイトでしたので、ドキドキしながら、レストランのドアを開けました。自分が行ったことのない大人の雰囲気のバーカウンターのあるところでした。オシャレとは程遠い自分で、申し訳ない様な気持ちにもなりました。
しかし、面接では、厨房希望で履歴書を出したのに、社員に説得されて、ウエイトレスを薦められました。合否結果は、その場で合格しました。驚きましたが、面白そうな気配も感じました。
そのように、手をさしのべてくださる人がいて、「いや、できません」と扉の前にいるのにバタンと閉めてしまっては、もったいないと思うのです。
アパレルでの面接もそうでした。青山事務所のプレスルームでの面接でした。豹柄のファーがあって、この業界は無理と思いました。しかし、ここは面接。怖気づいていたら、絶対に受かるはずはないと思ったので、完全アウエイの場所でしたが、まるで、ホームで話しているかのように、自分の話だけして、面接を終わらせました。これならば、落ちても別に後悔ないというところまで。結果、1社しか受けずに、入社が決まりました。
アルバイトの時も、異業種転職の時も、面接場所に着いてみて、「なんで、私がこの場所に来ちゃったのだろう・・・」と、浮足立ちながらも、相手がなぜか手を差し伸べてくれました。
自分の過去を振り返ってみても、「出会えてない」と思うとき、自分がドアの前には立ってはいるけれど、相手が手を差し伸べてくれているその手をつないでみる勇気が足りないのかもしれないと思いました。仕事の転機だけでなく、人との出会いもそうでしょう。
自分の中ではこうだから・・・というのを、外すことは勇気がいることかもしれません。しかし、自分の人生は自分だけのコントロールで動いているとは考えにくいと思うのです。
向こうからやってきたものに、乗ってみる勇気が運命に従っているのかなと、私は感じています。そんな運命に従った中での苦悩ならば、きっといずれ乗り越えることのできる「言葉」や「人」に巡り合えるのだと。そして、また誘われていくのでしょう。流れに従ってみたあとから、あれは運命だと感じられるのだと思います。
ちなみに、メリットがあるから・・・とか、そういう小賢しいことで、相手の提案に乗るのとはあくまでも違います。
燃え尽きでなく、経験がまだ不足している段階での「何をしたらいいかわからない」とき。自分の中だけで凝り固まらないで、もっと自由な発想や考えをする人に出会うように意識することから始めたらいいのではないかと思います。意識すると、自分が1歩踏み出すだけで、意外と簡単に引っ張ってくれる人が現れるでしょう。運命って不思議なところがありますね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
どんな時に、自分の転機が訪れていますか?
□■□■□■□■□
■9/29 sat@銀座 「聴くことは幸せにつながるセミナー」
「傾聴」についての私の考え方をシェアいたします。
このセミナーを通して、聴くことで味わえる幸せや感動を
実感してくださることを心より願っています。
★詳細はこちらです。
--------------------------------------------------------------------
■堀口ひとみ・播磨弘晃 秋コミコレクション テーマ「好き」
10/13 sat @渋谷にて開催。
0コメント