2年以上セッションをしているクライアントさんのセッション準備用紙に、「家族といるときの気持ちを穏やかにする。相手の言葉や言動で心がざわつくのは?」と書いてありました。
だいぶ、自分の内側に向き合ってきた方なので、自分の中のイライラするものと違った性質のような気がしました。だから余計に、何だろう? と話を聞いてみたくなりました。
クライアントさんは、よく実家へ行く機会があり、母親の話を聞いてあげるそうです。自分の話をする間はないなぁと、思うようですが、以前よりも、話を聴いてあげることが、苦にならなくなったから、相手が高いモチベーションのまま話が終われるようになったことは、よかったと言っていました。
つまり、自分が話せないことにざわざわしているというよりも、その話の内容の方で、心がざわつく感じがしていることが分かってきました。どんな話のときにそうなるのか? 聞いてみました。
「母は、道徳的な正義感が強いところがあり、他人がしたことについて、『あんなことするなんて』と家族にこぼしたり、自分のやった道徳的なことについてもアピールしたりするところがあります」と言っていました。
となると、「私はちゃんとやっています」ということを言いたい気持ちが無意識に出ているように私は感じました。しかも、そうこぼすのは、家族内ということです。
「なぜ、ちゃんとやっているということをアピールしたいのか?」相手の気持ちになって想像してみることにしました。
クライアントさんがわかる範囲で想像したところ、祖父が厳しい人だったようで、理不尽に怒られた経験を持っているからかもしれないと、そんな事実が出てきました。
「私は悪くない」と、どこかで言いたいのかもしれません。だから、家族にだけ、無意識で「自分が正しいことをした」という話が出てしまう。となると、こちらの関わり方としては、その認めて欲しい気持ちを理解して、「ちゃんとやっているね」と言うとどうでしょうか。
クライアントさんが、「以前の自分なら、『そんなに大変なら、やらなければいいじゃん』と言ってしまいそうなところ」と言っていました。
「そんなに大変ならやらなければいいじゃん」OR「ちゃんとやっているね」。
どちらの言葉を発するかで、これからの相手との関わりは違ったものになるでしょう。気持ちを理解するとは、こういうことなのだと、私は考えています。
クライアントさんは、教える仕事をしていて、前回のセッションでは、生徒指導の仕方について、考えました。そのときは、「何でできないのか?」よりも、「どうしてそうなったのか?」の方を、これからさらに意識していくことが課題になっていたので、そことも繋がりました。
きっと、自分のことを深く見られるようになったことで、人と接したときに感じることも、一段と深まっているのではないかと思いました。
親といえども、気持ちが不安なことはあるものだと思います。私の母は、最近ボイトレを習い始めたのですが、自分がこれまで歌ってきた歌い方でOKと思っていたところが、先生から「もっと声を出しましょう」と言われて、いつもより声を出すようにがんばったようです。しかし、その日のレッスンの録音を聴いてみたら、いやになったと言っていました。
「それだったら辞めたら」と、昔の自分なら言ってしまいそうですが、今は、「まあ、最初は、そんなもんだからね。私も、友達に『声が変』って言われたけど、『今は変なの』って、答えたことあるし」と言いました。
それから、母は3回くらい録音を聴き直してみたそうで、先生の言っていることが段々と分かってきて、今は、通過点なのだと、はっきりと認識できたそうです。そして、モチベーションも上がったようでした。
「親だから」というレッテルを外して、いつもと同じように、相手の気持ちを想像して、見えていないところまで感じてみるようになれたのは、私もつい最近ですが、これからは、そんなふうに寄り添えたらいいなと思っています。仕事もリタイアして、逆に、新たなる挑戦がきっと増えるでしょう。
クライアントさんも、自分の内側の声を聴くことがふつうになって、相手への共感性が自然と高まってきたようです。セッションを継続してくださっていることで、変化を目の当たりに見させて頂いています。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
自分の声掛けは、いつもどんなふうですか?
□■□■□■□■□
■9/29 sat@銀座 「聴くことは幸せにつながるセミナー」
だいぶ、自分の内側に向き合ってきた方なので、自分の中のイライラするものと違った性質のような気がしました。だから余計に、何だろう? と話を聞いてみたくなりました。
クライアントさんは、よく実家へ行く機会があり、母親の話を聞いてあげるそうです。自分の話をする間はないなぁと、思うようですが、以前よりも、話を聴いてあげることが、苦にならなくなったから、相手が高いモチベーションのまま話が終われるようになったことは、よかったと言っていました。
つまり、自分が話せないことにざわざわしているというよりも、その話の内容の方で、心がざわつく感じがしていることが分かってきました。どんな話のときにそうなるのか? 聞いてみました。
「母は、道徳的な正義感が強いところがあり、他人がしたことについて、『あんなことするなんて』と家族にこぼしたり、自分のやった道徳的なことについてもアピールしたりするところがあります」と言っていました。
となると、「私はちゃんとやっています」ということを言いたい気持ちが無意識に出ているように私は感じました。しかも、そうこぼすのは、家族内ということです。
「なぜ、ちゃんとやっているということをアピールしたいのか?」相手の気持ちになって想像してみることにしました。
クライアントさんがわかる範囲で想像したところ、祖父が厳しい人だったようで、理不尽に怒られた経験を持っているからかもしれないと、そんな事実が出てきました。
「私は悪くない」と、どこかで言いたいのかもしれません。だから、家族にだけ、無意識で「自分が正しいことをした」という話が出てしまう。となると、こちらの関わり方としては、その認めて欲しい気持ちを理解して、「ちゃんとやっているね」と言うとどうでしょうか。
クライアントさんが、「以前の自分なら、『そんなに大変なら、やらなければいいじゃん』と言ってしまいそうなところ」と言っていました。
「そんなに大変ならやらなければいいじゃん」OR「ちゃんとやっているね」。
どちらの言葉を発するかで、これからの相手との関わりは違ったものになるでしょう。気持ちを理解するとは、こういうことなのだと、私は考えています。
クライアントさんは、教える仕事をしていて、前回のセッションでは、生徒指導の仕方について、考えました。そのときは、「何でできないのか?」よりも、「どうしてそうなったのか?」の方を、これからさらに意識していくことが課題になっていたので、そことも繋がりました。
きっと、自分のことを深く見られるようになったことで、人と接したときに感じることも、一段と深まっているのではないかと思いました。
親といえども、気持ちが不安なことはあるものだと思います。私の母は、最近ボイトレを習い始めたのですが、自分がこれまで歌ってきた歌い方でOKと思っていたところが、先生から「もっと声を出しましょう」と言われて、いつもより声を出すようにがんばったようです。しかし、その日のレッスンの録音を聴いてみたら、いやになったと言っていました。
「それだったら辞めたら」と、昔の自分なら言ってしまいそうですが、今は、「まあ、最初は、そんなもんだからね。私も、友達に『声が変』って言われたけど、『今は変なの』って、答えたことあるし」と言いました。
それから、母は3回くらい録音を聴き直してみたそうで、先生の言っていることが段々と分かってきて、今は、通過点なのだと、はっきりと認識できたそうです。そして、モチベーションも上がったようでした。
「親だから」というレッテルを外して、いつもと同じように、相手の気持ちを想像して、見えていないところまで感じてみるようになれたのは、私もつい最近ですが、これからは、そんなふうに寄り添えたらいいなと思っています。仕事もリタイアして、逆に、新たなる挑戦がきっと増えるでしょう。
クライアントさんも、自分の内側の声を聴くことがふつうになって、相手への共感性が自然と高まってきたようです。セッションを継続してくださっていることで、変化を目の当たりに見させて頂いています。
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