2010年のフランスドキュメンタリー映画『ちいさな哲学者たち』を鑑賞しました。
たまたま、TUTAYAで題名を見て借りたものでしたが、なかなか観ごたえのあるものでした。
フランスのある幼稚園の教室で、”哲学する”クラスが試験的に始まりました。子供教育に熱心なフランスならではの試みです。日本とは違い、色々な人種がいるクラスです。そこで、「愛とは?」、「死とは?」、「豊かさとは?」、「自由とは?」 について、3歳~5歳の子供たちが議論します。その2年間をまとめたものです。
ただ、その様子について、ずっと観させられる映画なのです。ドキュメンタリーなので、台本はもちろんありません。だから、話を追うわけでもないところが、観る者の集中力を試されているようでもありました。自分が子供たちの話を聴くことにどれだけ集中できるか、試験する意味で鑑賞するのもありかもしれません。
また、何を見せたいわけでもないような、何気ない映像が、シーンの途中に挟まれているところは、シュールでとてもフランス的でもありました。私はとても好きです。
テーマがあって、語る授業。私と播磨コーチとで行っているコミコレもそういう時間なので、重ね合わせて見るところもいっぱいありました。
たまたま、TUTAYAで題名を見て借りたものでしたが、なかなか観ごたえのあるものでした。
フランスのある幼稚園の教室で、”哲学する”クラスが試験的に始まりました。子供教育に熱心なフランスならではの試みです。日本とは違い、色々な人種がいるクラスです。そこで、「愛とは?」、「死とは?」、「豊かさとは?」、「自由とは?」 について、3歳~5歳の子供たちが議論します。その2年間をまとめたものです。
ただ、その様子について、ずっと観させられる映画なのです。ドキュメンタリーなので、台本はもちろんありません。だから、話を追うわけでもないところが、観る者の集中力を試されているようでもありました。自分が子供たちの話を聴くことにどれだけ集中できるか、試験する意味で鑑賞するのもありかもしれません。
また、何を見せたいわけでもないような、何気ない映像が、シーンの途中に挟まれているところは、シュールでとてもフランス的でもありました。私はとても好きです。
テーマがあって、語る授業。私と播磨コーチとで行っているコミコレもそういう時間なので、重ね合わせて見るところもいっぱいありました。
観る者の集中力以上に、さらに集中力がいるのが、哲学の授業のナビゲーターである若い女性教師でしょう。幼稚園児ですから、自分からどんどん話せるわけもなく、先生が、話を続けさせるために質問を入れていくところが、凄く見ごたえがあったのです。時には、思いっきり脱線してしまう子供の話を元に戻す場面もありました。私は、その若い女性教師に、共感と尊敬の念を抱きました。
彼女にしてみたら、子供たちがどんな発言をするかとても興味があって、この世界初の試みの哲学クラスを実施されたのですから、大きな信念があったのかと思います。
考えることが好きな子供もいれば、寝てしまう子供もいる。観ていると、同じ子供ばかりが発言しているようになってはいました。その子供の発言を聞いていると、普段、世の中や大人を観察している子供の様子がわかりました。大人よりも、余計なことを考える時間が少ないから、物事を率直に見ているのかもしれません。そんな子供から出てきた言葉は、とても価値のあるものばかりでした。質問をすれば、ちゃんと頭の中にあるものが引き出されていく様子を目の当たりにしました。
幼稚園の友達同士で、それには、反対だとか賛成だとか、意見が対立してしまうことも沢山ありました。でも、先生は、そこに正解、不正解をつけずに、「話を続けて」ともっと発言させるように促しているのです。
この授業が果たして効果があったのか、なかったのか? それは、別にどうでもよいことなのかもしれません。考える人がよくて、考えない人が悪いというのもないと思いますし。
ただ、そうやって根気強く話を聴いてくれた人がいたなという体験であったり、家庭でも、考え続けることになったり、考えれば、言葉が出てくることであったり、意見が食い違うことは当たり前で、でも、話し合うことも大事だと教えるものであったり、考えていることをシェアし合うことで、他の視点を知ることもできたり、考えるということが、なんであるか? を見せてくれているのだろうと、私は感じました。
つまり、映画自体が問いの塊のようでした。
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