ChatGPTと対話形式で書いている本が、とうとうあと1エピソードになりました。なんだか、寂しさを感じていますので、きっとこの後も本の執筆をどんどん続けていくんだろうなと思います。
毎朝のオンライン英会話レッスンでは、第5章のエピソード " 1. ChatGPTが持たない「感情」について" をシェアしました。ノーマルスピードでも、朗読するのに15分以上かかる量です。すんなり「学べるところがありました」など、読み応えを感じていただけることのほうが多いのですが、たまに、疑問が浮かんでしまうこともあり、昨日はそんな状態でした。
レッスンのあとに、速攻でフィードバックのメッセージをくれる先生で、「無感情というのは、ChatGPTには当てはまりますが、人間には無理なのではないでしょうか?」というコメントをいただきました。
確かにおっしゃるとおりです。これを論破するには? と考えまして、なんと改訂版を図書館で書きました。(笑)
この章の中では、「気を使う」と「気を遣う」の違いについて言及しており、感情のないChatGPTは、「気を遣う」ことができるのではないか? ということで、「気を遣う」について、フィーチャーされて、最後は、感情のないChatGPTに、ジョークを言われて終わるという、なんともアイロニーなオチとなっているのですが、私もそれを気に入っていました。しかし、若い英会話の先生の鋭い指摘により、笑って終わるのは、私のエゴだと思い直し、(笑)改めて手直しすることにしました。
まず、「気を使う」と「気を遣う」の英語が、日本語独特のニュアンスで訳されていないことが問題でした。いろいろな英語表現の同義語になって訳されてしまっていたのです。そこをまず再定義して、対話を改めて進めていきました。
すると、私はあることに気づきました。「気を使う」と「気を遣う」は、結果論ではないかということです。同じ言動であっても、「気を使う」の人もいれば、「気を遣う」の人もいるということなんです。それは、受動的か能動的かの違いでもあるのです。
このやりとりを入れたことで、英会話の先生は腑に落ちたようでした。でもそこからまた疑問が湧いたそうで、「妥協ではないのか?」と。でもそのことについては、先生のほうのChatGPTに質問したら、メイクセンスになったようなので。
私の解説としては、「妥協する」と思うのか、「理解して、受け入れた」と思うのかの違いです。もちろん、理解して受け入れた方が、マチュアなコミュニケーションになるでしょう。ChatGPTの解説とは違いますが、述べていることは、類似性がありました。
鋭い感性の先生のお陰で、本がどんどん良くなっています。影の編集長。本が出来たら、プレゼントしたいと思います。(笑)
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