子供の目線になって考えるって?  

 休職中のクライアントさんが、自分と向き合う時間が増えたことで、今まで見ないようにしてきたネガティブな感情に気づかれたようでした。私は怒っていない、と封印していたようです。どんな感情もただありのままに受け止め、ジャッジせず、発散してしまいましょう。周りの人はびっくりするので、ひとりでいるときに。
 私はシャウトします。そうすると、身体から毒が抜けた気がしてすっきりするし、そのあとは建設的に思考が進むようになります。子供は、ギャーっとないて、あとでケロッとしているなぁと、気づいたことがあったので、私もそうするようにしたのです。クライアントさんもお子さんがいらっしゃるので、聞いてみると「そういえば良く叫んでます」とおっしゃっていました。一緒に「雄叫び」に参加すればいいのです。

 洋画を観ると、ラテン系の人たちは感情をそのまま表し、恋人でもないのに、抱き合い、キスをして、楽しそうだなぁと思います。それに比べると日本人は感情に蓋をしがちです。私は、英会話レッスンと洋画ばかり見ている影響で、だんだんとオーバーリアクションになってしまいました。昔はそんな人間ではなかったのですが、自分が見ているものの影響はとてもあります。

 そう考えてみると今の子供たちも、YouTubeを通して、すぐに世界とつながれるわけなので、感情に関しても、私たちが子供のころよりも選択肢がいっぱいなんだと思います。


 

 私は姪たちがどんなアプリで遊んでいるのか? 一緒に遊んでみたりします。「Tik Tok」とか、何が楽しいのかよくわかりませんでしたが、やってみると、ふざけた自分を再生して観られるのは、結構楽しいです。

 自分のパフォーマンスを録画し、それを再生してみることが容易にできるので、楽しかったことを振り返り、また次に生かすという、知らず知らずのうちに復習のサイクルも身についていくのですね。しかも自分を客観視することに抵抗のない感じは、学ぶ上で大事なことです。やっていることは、脳が喜ぶことなのかもしれません。 

 時代への共感性というか、今に生きるのなら、今のものも取り入れながら、自分も新しくなっていくことができると、今の時代に生まれたからこその面白さもあるのではないかと思っています。

 子供は、日々新しいことばかりだから楽しいのでしょう。新しいデジタルものがどんどんできていくのも面白いことですが、アナログの世界で、子供に新しいことを示してあげることは、「宿題やりなさい」と、上から目線で言うよりも、きっと子供にとって楽しいことになるのかなと思います。 

 クライアントさんが子供を叱るときに、「おまえ!」と言ったら、すかさずそこに反応を示した息子さんがいたらしく、「そこに反応するのか!」と思ったそうです。いつもは上から目線に感じることが多いなか、急に同じ目線になったことが意外だったのかもしれません。

 目線が同じになると、「自分のレベルに合っている話」と、感覚的に思えるんだと思います。それは赤ちゃん言葉で話すとかそういう、子供に合わせるということでなく、高さが同じとか、一緒にやっているとか、もっとフィジカルなところです。そうすると、素直に言うこと聴きやすい態勢を相手に作らせることになるのだと思います。

 いろいろと「子供の目線になること」について、意見を出しあったセッションとなりました。