You can take the girl out of the city, but you can't take the city out of the girl. (その女の子を街から離れさせることはできても、街をその女の子から取り除くことはできない。)
第一章:35歳からの自己改革
皆さんは、35歳頃の自分を覚えていますか? どんな生活を送り、どんなパーソナリティーだったでしょうか?
私の場合、2010年、ちょうど35歳だった頃のことを今でもはっきりと覚えています。一見すると、ビジネスは順調そのものでした。周りから見れば、何の問題もなく順風満帆なキャリアに見えていたと思います。けれども、実際の私はと言えば、毎日の売上に一喜一憂する日々を過ごしていました。
「今日はDVDが1枚も売れていない…」そんな日が初めて訪れた時のことは、今でも忘れられません。その瞬間、まるで地面が揺れるような不安が押し寄せ、心臓が締め付けられるようでした。焦りに駆られて、すぐにGoogle広告の文言を変更したり、次の施策を考えたりと、わずかな売上の変動にも過敏に反応していたのです。
コーチとしても、未熟さゆえの苦い経験が数多くありました。今でも忘れられない出来事があります。ある日、コーチングの勉強を始めたばかりのクライアントさんから「有料セッションを始めたい」という相談を受けました。私は「まだ早いのではないでしょうか」と率直に答えてしまったのです。すると後日、「コーチがクライアントをジャッジしてはいけないのでは?」という指摘のメールが届きました。その時の衝撃は今でも鮮明で、そのメールを読んだ場所さえ覚えています。申し訳なさで胸が締め付けられる思いでした。
人間関係でも悩みは尽きませんでした。自分とは異なる感性を持つ友人たちとの交流を大切にしていました。新鮮な刺激を求めて関係を築くものの、3年ほど経つと決まって喧嘩になり、関係が途切れてしまうのです。「私には長く続く友情を築く能力がないのかもしれない…」そんな思いに苛まれる日々が続きました。
振り返ってみると、当時の私は周りの評価や数字に振り回される「35歳のクライシス」真っ只中にいたのだと思います。でも、この時期は私の人生における「ステップ0」でした。この経験があったからこそ、その後の大きな変化につながっていったのです。
面白いことに、後で知ったのですが、お釈迦様は35歳と8ヶ月で悟りを開いたそうです。私の転機と同じ年齢だったことに、何か不思議な縁を感じます。きっと皆さんも、この年齢の前後で人生の転換点を迎えた経験があるのではないでしょうか。
1.1:南の島で気づいた、今の私
独立して以来、順調に伸び続けてきた売上が、5年目にして、初めて前月を下回りました。数字を目にした瞬間、胸の内側からじわじわと焦りと不安が湧き上がってきます。売上の低下をなんとか挽回しなければ、という思いが頭を巡るのに、次に何をしたらいいのか、具体的な案が何一つ浮かびません。
そんな時、ふと頭に浮かんだのは、知人から紹介されていたスピリチュアルカウンセラーのKさんのことでした。
私はすぐにKさんに会いに行きました。ホテルの高層階にあるラウンジで出されたコーヒーに手を伸ばしながら、私はその時の正直な気持ちを打ち明けました。
「何がしたいのか、自分でもわからないんです」
Kさんは私の話を静かに聞いてくれました。そして、少し間を置いてから、穏やかな笑みを浮かべながら、思いがけない言葉を口にしました。
「今は、ゆっくりしてください。南の島に行ってみるのはどうですか?」
「え?でも、売上が下がっているのに、ゆっくりするんですか? むしろ、滝に打たれた方がいいですよね。」
私の戸惑いをよそに、Kさんは軽やかに頷きました。
「ほら、また自分を責めている。ゆっくりすれば、本当にやりたいことが自然に湧き上がってきますよ。」
さらにKさんは、今の私の状態を「感情にアスファルトを塗り固めているようなもの」と表現しました。その言葉にはっとしました。確かに、私は売上や数字を追うことに必死になりすぎて、自分の感情に耳を傾けることを完全に忘れていたのです。
せっかちな私は、思い立つと同時に旅の計画を立て始めました。南の島と言えば――その頃ちょうど、与論島に住む学校の先生が私のコーチングセッションを受けていたので、迷うことなくその島を選びました。すると、不思議な偶然が次々と重なります。別のクライアントさんから「ぜひ観てほしい」と薦められた映画『めがね』を借りて観てみると、なんとその舞台が与論島だったのです。この巡り合わせに、驚きました。何か大きな流れに導かれている、そんなシンクロニシティを感じずにはいられませんでした。さらに、映画の主人公と自分自身がどこか重なって見えたことが、この旅の特別な意味をいっそう確信させてくれたのです。
夏の陽光が降り注ぐ与論空港に降り立った瞬間、映画のワンシーンに迷い込んだような不思議な感覚に包まれました。「空港」という青い文字がシンプルに配置された平屋に屋上がついただけの建物には、大都会の空港にはない懐かしさがありました。花で飾られた到着口の看板が、まるで古くからの友人のように私を迎えてくれます。
ここには、都会のようなせわしない人の流れはありません。時間さえもゆっくりと流れているような錯覚を覚えます。
しかし、せっかくの島時間だというのに、私は到着してすぐにパソコンを開こうとしていました。その瞬間、「ゆっくりしなさい」というKさんの言葉が、遠くから静かに響いてくるような気がしました。それでも、いつもの仕事モードに引きずられるように、持ち込んだタスクに取り掛かろうとしてしまう自分がいました。
けれども、ここは南の島――特別なエネルギーが流れているはずの場所です。いや、それなのに? 驚くほど頭が動かず、どんなに考えようとしても全くアイデアが浮かんできません。目の前に広がるエメラルドグリーンの海も、耳元でさざめく波の音も、本来なら私を癒してくれるはずなのに、どこかそれらが遠く感じられ、むしろ心の中に虚しさがじんわりと広がっていくのを感じました。
「なぜここに来たのか」「この旅に何を期待していたのか」――そんな問いが頭をかすめますが、その答えさえ、今は霧の中にあるようでした。
夕暮れ時、思い切って島を散策してみると、改めて「本当に何もない場所だ」ということを実感しました。目の前には、ひたすら広がる空と海、そして真っ直ぐに続く道だけ。家どころか、人影すらありません。この静寂が心を落ち着かせてくれるはずなのに、私はどこか落ち着かず、むしろその「何もない」という感覚に少し戸惑っていました。
それでも、いつもの習慣なので何のためらいもなく「とりあえずブログ用の写真は撮らなきゃ」と考えました。誰もいない一本道に三脚を立て、たたずむ自分の姿をタイマーで撮影。次は砂浜に腰を下ろしている自分をフレームに収めました。これで安心です。
夜には、いつもスカイプで話しているクライアントさんと初めての対面を果たしました。学校の先生をされている穏やかな方で、同僚の先生も交えながら、島のおすすめレストランでハーブ鶏ソテーをいただきました。
同僚の先生から、「コーチングを体験してみたい」というリクエストがあり、即興でセッションをすることに。先生が自分でどんどん気づきを得ていくことを体感され、「これがコーチングなんですね!」と驚かれる姿に、私自身も嬉しさと充実感を覚えました。
その夜、WiFi環境の整うロビーでブログを更新しながら、私は考えていました。「明日こそは、ゆっくりしよう」そう心に誓って、南の島の初日は幕を閉じたのでした。
🖊 編集後記
当時のことを振り返りながら、自分でも思わず笑ってしまいました。もちろん、当時の記録としてブログには書き残してありますが、そこまで詳しくは綴っていませんでした。こうして改めてリライトしてみると、まるで過去の自分を追体験しているようで、どこか新鮮な気持ちになります。この作業自体が、小さな旅のようでとても楽しい時間になりました。
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