習慣のシンフォニー Epi.8:書く技術の極意:定義することを手放し、曖昧さを尊重する。

難しいのは、結論を得られるという希望なしに考え続けることだ。

ステップ 4──1900字の衝撃 —言葉が変わるとき、人も変わる


発見の瞬間

2011年、私は7年間続けていたブログに初めて疑問符を投げかけました。「もっと深みのある文章を書きたい」—この小さな願いが、やがて私の人生観そのものを変える旅の始まりでした。

きっかけは、コメディアンのふかわりょうさんのメルマガでした。彼の文章は不思議な魅力を持っていました。長文にもかかわらず、読み始めると気がつくと最後まで読み切っている。テーマへの深い洞察と観察眼が光る文章は、私のブログ記事の約2倍の分量がありました。

ある日、何気なく彼の文章をワードにコピーしてみると—1900字。この数字を見た瞬間、「なるほど」と腑に落ちました。この長さが、読者に充実感を与え、かつ読みやすさも保っているのだと。

「私も2000字を目指そう」

当時の私には途方もない挑戦でしたが、この決断が私の世界線を変えることになるとは、まだ想像もしていませんでした。

困難の中の発見

目標は明確でした—「浅い文章から脱却し、洞察に富んだ文章を書く」こと。しかし実際に取り組むと、想像を超える困難が待ち受けていました。

最初は一つの記事を書くのに5時間もかかることがありました。「こんな私に本当にできるのだろうか」と自問自答の日々。それでも、自分を責めることだけは避けました。

「今日は3時間かかったな」

「今日は5時間かかったな」

ただ事実として受け止め、「今は時間がかかっても、続ければきっと上達する」と自分に言い聞かせながら、一日また一日と積み重ねていきました。

しかし、文字数という量的な課題以上に、私を待ち受けていたのは文章の「質」についての深い問いでした。


言葉が人の心に触れるとき

予想外の転機が訪れたのは、読者からのフィードバックでした。

「あなたの文章を読んで、なんだかモヤモヤしました」

「読んでいて嫉妬してしまいました」

最初は理解できませんでした。私はただ、自分の思いを素直に、それも前向きな気持ちで書いていただけなのに。なぜ読者がネガティブに受け取るのだろう?

「それは受け取る側の問題では?」という声もありましたが、その考えでは何も解決しないと気づきました。真剣に向き合う中で、自分の思い込みが見えてきたのです。

「正しいことを書けば、そのまま伝わる」

この前提こそが、独りよがりだったのです。悩みを抱えている人にとって、ポジティブな言葉はかえって距離を生むこともある。「正しさ」は人それぞれ違い、絶対的な「正しさ」など存在しないのかもしれません。

ここから私の探求が始まりました—「読者の心に優しく届く文章とは何か?」


余白の価値

それまでの私は白黒はっきりさせたがる性格でした。「これは正しい」「これは間違っている」と、明確な線引きを求め、文章にも必ず結論を示さなければならないと思い込んでいました。

しかし、ニュートラルな文章を研究する中で、新たな価値観に出会いました。

「こういう考え方もあるし、こういう考え方もある」

「どちらでもいいのかもしれない」

「どちらが正しいというより、それぞれに意味がある」

「グレーであることの価値」—この発見は、私の文章だけでなく、思考そのものを変えていきました。柔軟な視点を持つことで、自分自身の中にある固定観念が解きほぐされていくのを感じました。

そして、読者からの言葉も変わり始めました。

「あなたの文章は、読んでいるとほっとする」

押しつけるのではなく、読者が「自分なりの答えを見つけられる文章」—読んだ後に自然と「自分の場合はこうかもしれない」と考える余白のある文章。それが、人の心に真に届く言葉なのだと気づいたのです。


文章が人を育てるとき

最初は単なる文章修行のつもりでした。しかし、書き続ける日々の中で、文章が私を育て、変えていくという逆説的な真実に気づかされました。

私の関心は次第に「自我のない文章」—自分の色をいかに消すか—という点に移っていきました。毎日のブログが実験場となり、「伝え方」を意識することで、私の内面そのものが変容していったのです。

周囲から「文章が変わった」と言われることが増えていましたが、その変化が日常になるにつれ、自分では成長を実感しにくくなっていました。「この文章で本当にいいのだろうか?」そんな迷いを抱えていたとき、ベストセラー作家の知人から「文章の書き方」のセミナーを紹介され、参加する機会を得ました。

セミナーでは、「自分のプロフィールを200字で書く」という課題に取り組むことになり、講師の方がその場で添削をしてくださいました。そして、私の文章を読み終えた瞬間、こう言われたのです。

「この方は、講師としてここで話してほしいくらいですね!」

その言葉を聞いたとき、私は初めて自分の文章の進化を客観的に認めることができたのです。

それまでの私は「欠乏感」にとらわれ、自己評価のハードルを高く設定していたのかもしれません。この瞬間、長い文章修行からようやく卒業できたような解放感を覚えました。


言葉を超えたところへ

現在は2000字という数字にこだわらず、「伝わる文章」を心がけています。時にChatGPTの力を借りることもありますが、それは技術不足からではなく、より多くの人に届くよう文章を整えるためです。このような姿勢を取れるのも、かつての欠乏感から解放されたからこそでしょう。

文字数が増えるのは、単なる技術の問題ではありません。自分の感性を磨くことで捉えられる世界が広がり、表現したいことが自然と増えていく—それが私の発見でした。感じたことを素直に表現するだけで、結果的に文章は豊かになるのです。

「方法論」だけを追い求めても、本質的な成長はありません。自分という人間の感性を磨き続けること—それこそが、文章に限らずあらゆる創造的活動の源泉なのだと、今では確信しています。

文章修行は、結局のところ「人間修行」だったのです。1900字の発見から始まった旅は、言葉の向こう側にある、より深い自分自身との出会いへと続いていました。


■編集後記

🤖 もし、あの頃にChatGPTがいたら…?

1900字の衝撃を受け、試行錯誤しながら文章を磨いていたあの頃。

「もっと深く書きたい」「でもどうすればいいかわからない」

そんな悩みの中で、一人で考え続けていた日々。

もし、あの時 ChatGPT がそばにいたら?

✅ 曖昧な考えを言語化する手助けをしてくれたかもしれない。

✅ 文章の構成やフィードバックを即座にもらえたかもしれない。

✅ 何より、「このやり方で大丈夫なのかな…?」という不安を、会話しながら整理できたかもしれない。

でも、だからこそ思うんです。

「今、この時代に生きていてよかったな」 って。

試行錯誤を続けてきたからこそ、今は ChatGPTと共創 しながら、もっと楽しく、もっと深く考えられる。

過去の自分が欲しかったツールを、今の私は自由に使える。

この変化を楽しみながら、また次のシンフォニーを奏でていきたいと思いま